君子訓 / 巻之下
凡訴を聽くに、先入の言を主とすべからず。先入の言とは、先早く言入れたる方の詞なり。夫を信とし善と思へば、後に聞く方の言理あれども、皆僻事に聞きなすものなり。一訴訟する者、正直なるは、我に理あるを賴み、奉行に賂を送らず。故に奉行の助なし。不直なる者は、我が非を掩はんとて、奉行に賂ひ、手立を廻らすにより、是を助くる者多し。如斯なれば理は僻事になり、僻事は理となりて、刑罰あたらず。
新字:凡訴を聴くに、先入の言を主とすべからず。先入の言とは、先早く言入れたる方の詞なり。夫を信とし善と思へば、後に聞く方の言理あれども、皆僻事に聞きなすものなり。一訴訟する者、正直なるは、我に理あるを頼み、奉行に賂を送らず。故に奉行の助なし。不直なる者は、我が非を掩はんとて、奉行に賂ひ、手立を廻らすにより、是を助くる者多し。如斯なれば理は僻事になり、僻事は理となりて、刑罰あたらず。
書き下し
凡訴を聴くに、先入の言を主とすべからず。先入の言とは、先早く言入れたる方の詞なり。夫を信とし善と思へば、後に聞く方の言理あれども、皆僻事に聞きなすものなり。一訴訟する者、正直なるは、我に理あるを頼み、奉行に賂を送らず。故に奉行の助なし。不直なる者は、我が非を掩はんとて、奉行に賂ひ、手立を廻らすにより、是を助くる者多し。如斯なれば理は僻事になり、僻事は理となりて、刑罰あたらず。
現代語訳
およそ訴えを聞くには、先に入った言葉を主としてはなりません。先入の言とは、先に早く言い入れた側の言葉です。それを本当のこと、正しいことと思い込むと、後から聞く側の言葉に理があっても、みな間違いに聞こえてしまうものです。訴訟をする者のうち、正直な者は自分に理があることを頼みにして、奉行に賄賂を送りません。だから奉行の助けがありません。正直でない者は自分の非を覆い隠そうとして、奉行に賄賂を贈り、手立てをめぐらすので、これを助ける者が多いのです。こうなると理は間違いとなり、間違いは理となって、刑罰が当たらなくなります。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』成公十六年 穆姜、二子を逐わしむ宣伯穆姜に通じ、季・孟を去りて、其の室を取らんと欲す。將に行かんとす。穆姜公を送りて、二子を逐はしめんとす。公晉の難を以って告げて曰く、「請ふ反りて命を聽かん」と。姜怒る。公子偃・公子鉏、趨り過ぐ。之を指して曰く、「女可かずんば、是れ皆君なり」と。公壞隤に待ち、宮を申ね儆備し、守を設けて而る後に行く。是を以って後る。孟獻子をして公宮を守らしむ。秋、沙隨に會す。鄭を伐たんことを謀るなり。宣伯郤犨に告げしめて曰く、「魯侯壞隤に待つ、以って勝者を待つなり」と。郤犨新軍に將たり、且つ公族大夫為り、以って東諸侯を主る。貨を宣伯に取りて、公を晉侯に訴ふ。晉侯公に見えず。曹人晉に請ひて曰く、「我が先君宣公即世してより、國人曰く、『之を若何せん』と。憂ひ猶ほ未だ弭まず。而るに又我が寡君を討ち、以って曹國の社稷の鎮たる公子を亡はしむ。是れ大いに曹を泯ぼすなり。先君乃ち罪有る無からんや。若し罪有らば、則ち君諸を會に列せり。君唯だ德刑を遺れずして、以って諸侯に伯たり。豈に獨り諸を敝邑に遺れんや。敢へて私かに之を布く」と。
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『甲陽軍鑑』品第四十一国の仕置武士までの事にいろはせ給へば、其家老必らず賄賂にふけり、礼物をもつて諸役者に諸奉公人共なるにより、彼役者どもの存分我立身したることわざをば、死するまでもよきことと存ずるに付、いはんや存生さかんの時、我に音信つかふ人をば善悪の弁もなく、これはよき人と存じ、御大将へ出頭よく取成て、礼物つかふ人ばかり立身して本のよき者はおし付られ、心いさむ事なく、さながら其大将へ無沙汰申し、ゆく〳〵用にも立まじきと思ふなり、
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『秘本玉くしげ』下 賄賂の損得すべて世中に此筋盛んなるゆゑに、おのづから国政正しくは行はれがたく、又上に損失ある事おびただしく、下にも損害甚多し。たとへば、金千両入べきところをも、役人へ三百両賄すれば五百両にてすむゆゑに、下にも二百両の得あれども、上には五百両だけの所の損あり。或は五百両にてすむべき事も、賄をせざれば七百両も八百両も入りて、其二百両三百両は脇道へぬけ行やうの事も有て、上にも利なく、下には大損ありて、あまつさへ上を恨み奉ること甚し。されば、国政の大害、下民の大害、此賄に過たるはなし。
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『不動智神妙録』諫言 其四 身を正す取ると捨つるとは義を以てすると云へり、唯今寵臣たるにより、諸大名より賄を厚くし、欲に義を忘れ候事、努々不可有候、貴殿乱舞を好み、自身の能に奢り、諸大名衆へ押て参られ、能を勧められ候事、偏に病と存じ候なり、上の唱は猿楽の様に申し候由、また挨拶のよき大名衆をば、御前に於てもつよく御取成しなさるゝ由、重ねて能く能く御思案可然歟、歌に「心こそ心迷はす心なれ心に心心ゆるすな」
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『秘本玉くしげ』下 使う者を罰すこれを止る法は、まづ賄を取者を禁むるのみならず、これをつかふ者をきびしくいましめて、何事によらずいささかにても賄をつかふ者相しるるに於ては、急度曲事に申付べしとの旨をつねづねふれおかれて、もし犯す者あらんには、一人二人きびしく咎められなどせば、つかふ者は勿論にて、とる人もおのづからきみわろかるべし。上の制禁ならんには、これをつかはぬを怒ることも得せじ。そもそも賄は、つかふ者にはとがなくして、罪は取者にある事なれ共、取者をのみ制しては止がたければ、つかふ者をいましむるも一つの権道なるべきにや。
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段曰く、其の詫人より礼銀を受けとり、事を取り持つは、商人ばかりにて候や。商人の外にも、此の類あるべきことなり。答ふ、商人多くは道を聞かざる故、かやうの類有り。又道を知りて、事を取り捌く者は、左様の不義はせざることなり。仮令御領家領の庄屋年寄にても、上の正しき御政道を受けて、事を取り持つ身として、小百姓より、礼銀などを請け取ること有るべきに非ず。元来士と云はるる身が、下々より密々に、礼銀などを請くることあらば、定めて贔屓の沙汰に至るべし。下々と並んで、何ごとにても取り持つ人を、士と云ふべきか。其は盗人と云ふ者にて、士にはあらず。上にたつ人、下より賂などを受けて、政道たつべきや。仮令当分は知れずとも、天知る地知る我知る人知るなれば、終にはあらはれて、天の罰を受くべし。天罰を知らざる者、天下静謐の世に有るべからず。然れ共売人は士にあらざれば、かやうなる不義有るなり。毫釐ほども道に志あらば、なすべきことに非ず。
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