君子訓 / 巻之中
一農は國の本なり。一年の間隙なく耕作を務め、米穀を作り出して、上に貢し、萬民を養ふものなり。最憐みて飢寒の憂なからしむべし。農の時を奪はざるは、農の爲のみにあらず、國の爲なり。農民は日夜勤勞すれども、やゝもすれば水早風蟲の災ありて、其利少し。歳凶して土貢を納むることを缺けば、妻子を賣り身を賣るに至る。年豐なれば、米穀價やすくして困究をまぬかれず。利少き故なり。工人は其勤農に及ばざれど其利多し。商人の利は工に倍す。故に農人漸々に減じ、工商は年々に增す。田を作る者は少くして、器を造り、貨物を商ふ者多し。布を織るもの少くして、綾錦を製し繡染を事とする者多きは、世間困究の本なり。是を以て、古の明王は農を重んじて工商を抑へ、五穀を貴んで金玉を賤み給へり。儉約を行ひて華美を禁ずるは、本を重んじ末を抑ふるの道にして、國を治め民を安んずるの政なり。
新字:一農は国の本なり。一年の間隙なく耕作を務め、米穀を作り出して、上に貢し、万民を養ふものなり。最憐みて飢寒の憂なからしむべし。農の時を奪はざるは、農の為のみにあらず、国の為なり。農民は日夜勤労すれども、やゝもすれば水早風虫の災ありて、其利少し。歳凶して土貢を納むることを欠けば、妻子を売り身を売るに至る。年豊なれば、米穀価やすくして困究をまぬかれず。利少き故なり。工人は其勤農に及ばざれど其利多し。商人の利は工に倍す。故に農人漸々に減じ、工商は年々に增す。田を作る者は少くして、器を造り、貨物を商ふ者多し。布を織るもの少くして、綾錦を製し繍染を事とする者多きは、世間困究の本なり。是を以て、古の明王は農を重んじて工商を抑へ、五穀を貴んで金玉を賤み給へり。倹約を行ひて華美を禁ずるは、本を重んじ末を抑ふるの道にして、国を治め民を安んずるの政なり。
書き下し
一農は国の本なり。一年の間隙なく耕作を務め、米穀を作り出して、上に貢し、万民を養ふものなり。最憐みて飢寒の憂なからしむべし。農の時を奪はざるは、農の為のみにあらず、国の為なり。農民は日夜勤労すれども、ややもすれば水早風虫の災ありて、其利少し。歳凶して土貢を納むることを欠けば、妻子を売り身を売るに至る。年豊なれば、米穀価やすくして困究をまぬかれず。利少き故なり。工人は其勤農に及ばざれど其利多し。商人の利は工に倍す。故に農人漸々に減じ、工商は年々に增す。田を作る者は少くして、器を造り、貨物を商ふ者多し。布を織るもの少くして、綾錦を製し繍染を事とする者多きは、世間困究の本なり。是を以て、古の明王は農を重んじて工商を抑へ、五穀を貴んで金玉を賤み給へり。倹約を行ひて華美を禁ずるは、本を重んじ末を抑ふるの道にして、国を治め民を安んずるの政なり。
現代語訳
農は国の本です。一年の間、休む間もなく耕作に努め、米穀を作り出して上に納め、万民を養うものです。もっとも憐れんで、飢えや寒さの憂いがないようにすべきです。農の時期を奪わないのは、農民のためだけでなく、国のためです。農民は日夜勤労しても、ややもすれば水害・日照り・風害・虫害の災いがあって、その利は少ないのです。凶作の年に年貢を納められなければ、妻子を売り身を売るに至ります。豊作の年は米の値段が安くて困窮を免れません。利が少ないからです。職人の勤めは農民に及ばないのに、その利は多いのです。商人の利は職人の倍です。ですから農民はだんだん減り、職人や商人は年々増えます。田を作る者は少なく、器物を作り、品物を商う者が多くなります。布を織る者は少なく、綾や錦を作ったり刺繍や染め物を業とする者が多いのは、世の中の困窮のもとです。そこで昔の明王は、農を重んじて工商を抑え、五穀を貴んで金玉を賤しまれました。倹約を行って華美を禁じるのは、本を重んじて末を抑える道であり、国を治め民を安らかにする政治です。
解説
この章句が説くこと
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