君子訓 / 巻之上
一學問は、身を修め人を治むるを有用の學とす。是眞の學問なり。もし左もなくて、文字を知るを以て學問とおもひ、多く聞き多く見るに博學多識なりとも、何の益もなき無用の學なるべし。故に唯有用の學を務むべし、無用の學をなすべからず。
新字:一学問は、身を修め人を治むるを有用の学とす。是真の学問なり。もし左もなくて、文字を知るを以て学問とおもひ、多く聞き多く見るに博学多識なりとも、何の益もなき無用の学なるべし。故に唯有用の学を務むべし、無用の学をなすべからず。
書き下し
一学問は、身を修め人を治むるを有用の学とす。是真の学問なり。もし左もなくて、文字を知るを以て学問とおもひ、多く聞き多く見るに博学多識なりとも、何の益もなき無用の学なるべし。故に唯有用の学を務むべし、無用の学をなすべからず。
現代語訳
学問は、身を修め人を治めることを有用の学とします。これが真の学問です。もしそうでなく、文字を知ることを学問と思い、多く聞き多く見て博学多識であっても、何の益もない無用の学でしょう。ですから、ただ有用の学に努めるべきで、無用の学をしてはなりません。
解説
学問の目的を、身を修め人を治めることに置き、それ以外の博識を「無用の学」と退けています。本草学や地誌にも通じた博学の益軒が言うだけに、知識の量ではなく、それを生き方と仕事に生かせるかが問われていることがわかります。大学の「修身・斉家・治国・平天下」の考えを踏まえた実学の立場です。資格や知識を集めることが目的になりがちな今、その学びが自分の行いや周りの人の役に立っているかを問う視点は、社会人の学び直しにも欠かせません。
この章句が説くこと
学問有用修身実学知識
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『童子問』卷下問ふ、蔡氏の書伝に載する所の渾天儀の制。曰く、知らざるなり。問ふ、春秋の春王正月の弁。曰く、知らざるなり。童子云ふ、聞く、先生幼より心を経学に留むと。今此の二事に於て知らざる者は、何ぞや。曰く、学に本有り末有り。必ず知らざるべからざる者有り。知るを必せざる所に在る者有り。学術・政体・己を修め人を治むるの術のごときは、是れ本にして必ず知らざるべからず。其の他、進んでは以て人を治むるに足らず、退いては以て己を修むるに足らざる者は、之を知らずと雖も害無し。渾天儀の制は、是れ有司の掌る所。春王正月の弁も、亦学術に益無し。故に左氏も亦伝へず。大凡支干・孤虚・旺相・律呂・隔八相生の属、皆然り。之を陰陽数学を好む者に附して可なり。儒者の先務に非ず。今世の小子、学を為むるの法を知らず。区区として心を此れ等の細務に留む。甚だ不可なり。
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