君子訓 / 巻之上
一生を好み死をおそるゝ事、人と我と同じ。身の艱難をきらひ安樂を願ふ事、人と我と同じ。父母妻子一處に在るを悅ぶ事、人と我と同じ。飢寒を苦み溫飽を樂む事、人と我と同じ。然らば、我が悅び苦む心を以て、人の心を推はかりて、人にも悅び樂ましむべし。是を恕といふ。是仁を行ふ術なり。されば人に悅び樂ましめてこそ、我が心も樂むべけれ。人の憂を顧ずして、我獨樂む事は有るべからず。譬へば一座にみちみちたる數十人、みな酒を飮みて樂む中に、唯一人隅に向ひて泣くものあらば、一座の人みな興さめぬべし。孟子にも、古之人與民偕樂、故能樂也といへり。人の司となる人は、此道理を能くさとり給ふべし。智者は心明かにして、民の憂へ苦みをよく知りて施さず。民の樂み願ふ事を能く知りて施す。愚者は心昧くして、民の憂へ苦みを知らず、我一人の私のみに徇ひて、民をめぐむ事を好まず。是を以て、智者は必仁あり、愚者はかならず不仁なり。故によく學問し、道理に明かならば、などか仁心もおこらざるべき。
新字:一生を好み死をおそるゝ事、人と我と同じ。身の艱難をきらひ安楽を願ふ事、人と我と同じ。父母妻子一処に在るを悦ぶ事、人と我と同じ。飢寒を苦み温飽を楽む事、人と我と同じ。然らば、我が悦び苦む心を以て、人の心を推はかりて、人にも悦び楽ましむべし。是を恕といふ。是仁を行ふ術なり。されば人に悦び楽ましめてこそ、我が心も楽むべけれ。人の憂を顧ずして、我独楽む事は有るべからず。譬へば一座にみちみちたる数十人、みな酒を飲みて楽む中に、唯一人隅に向ひて泣くものあらば、一座の人みな興さめぬべし。孟子にも、古之人与民偕楽、故能楽也といへり。人の司となる人は、此道理を能くさとり給ふべし。智者は心明かにして、民の憂へ苦みをよく知りて施さず。民の楽み願ふ事を能く知りて施す。愚者は心昧くして、民の憂へ苦みを知らず、我一人の私のみに徇ひて、民をめぐむ事を好まず。是を以て、智者は必仁あり、愚者はかならず不仁なり。故によく学問し、道理に明かならば、などか仁心もおこらざるべき。
書き下し
一生を好み死をおそるる事、人と我と同じ。身の艱難をきらひ安楽を願ふ事、人と我と同じ。父母妻子一処に在るを悦ぶ事、人と我と同じ。飢寒を苦み温飽を楽む事、人と我と同じ。然らば、我が悦び苦む心を以て、人の心を推はかりて、人にも悦び楽ましむべし。是を恕といふ。是仁を行ふ術なり。されば人に悦び楽ましめてこそ、我が心も楽むべけれ。人の憂を顧ずして、我独楽む事は有るべからず。譬へば一座にみちみちたる数十人、みな酒を飲みて楽む中に、唯一人隅に向ひて泣くものあらば、一座の人みな興さめぬべし。孟子にも、古の人は民と偕に楽しむ、故に能く楽しむなりといへり。人の司となる人は、此道理を能くさとり給ふべし。智者は心明かにして、民の憂へ苦みをよく知りて施さず。民の楽み願ふ事を能く知りて施す。愚者は心昧くして、民の憂へ苦みを知らず、我一人の私のみに徇ひて、民をめぐむ事を好まず。是を以て、智者は必仁あり、愚者はかならず不仁なり。故によく学問し、道理に明かならば、などか仁心もおこらざるべき。
現代語訳
生を好み死を恐れることは、人も自分も同じです。身の苦労を嫌い安楽を願うことは、人も自分も同じです。父母や妻子が一緒にいるのを喜ぶことは、人も自分も同じです。飢えや寒さを苦しみ、暖かく満ち足りることを楽しむことは、人も自分も同じです。そうであれば、自分の喜び苦しむ心で人の心を推し量り、人にも喜び楽しませるべきです。これを恕といいます。これが仁を行う術です。ですから人を喜ばせ楽しませてこそ、自分の心も楽しめるのです。人の憂いを顧みずに自分一人が楽しむことがあってはなりません。たとえば一座に満ちた数十人が皆酒を飲んで楽しんでいる中で、ただ一人隅に向かって泣く者があれば、一座の人は皆興ざめするでしょう。孟子にも「昔の人は民と共に楽しんだ。だからよく楽しむことができたのだ」とあります。人の長となる人は、この道理をよく悟られるべきです。賢い者は心が明らかで、民の憂いや苦しみをよく知ってそれを押しつけず、民の楽しみや願いをよく知ってそれを施します。愚かな者は心が暗く、民の憂いや苦しみを知らず、自分一人の私心にだけ従って、民を恵むことを好みません。ですから賢い者には必ず仁があり、愚かな者は必ず不仁です。だからよく学問して道理に明らかになれば、どうして仁の心が起こらないことがあるでしょうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『五常訓』巻之二・仁之上是己をおす恕なり。又一には、仁を人に施すの道、我が心を以て人の心をおしはかるに、人も我も同じ心なれば、我が好む事は、人も亦必、好むものなり。我が心にきらふ事は、人も亦必きらふもの也。かくの如我が心を以て人の心にくらぶるは、つゆ違ふ事なし。不仁無礼を、人の我に施すは、我がきらふ所也。是を以て人の心をおしはかるに、人もまた不仁無礼をきらふ故に、人に不仁無礼を施さず。是恕なり。民を治むる道を以ていはば、わが身もし下にありて、困窮し饑ゑ寒え、妻を売り子を売りて、親子はなれ、兄弟妻子離散するにいたらば、我が甚きらふ事なるべし。其心を以て、民の心をおしはかるに、我がきらふ如く、民も亦きらふべき事を知りて、民の饑ゑず寒えず、困窮せず、妻子を売らざるやうに、あはれみて施すべし。
-
孟子・離婁章句上孟子曰く、「三代の天下を得るや仁を以てし、其の天下を失ふや不仁を以てす。国の廃興存亡する所以の者も亦た然り。天子不仁なれば、四海を保たず。諸侯不仁なれば、社稷を保たず。卿大夫不仁なれば、宗廟を保たず。士庶人不仁なれば、四体を保たず。今死亡を悪みて不仁を楽しむは、
-
言志四録・言志晩録 別存 第十一条 老いたる轎夫を思ふ公齢十一二の時、旁近の花市を過ぐる毎に、必ず轎にて行く。一日門を出でて数百歩、轎を卸して徒行す。左右轎を勧むれども、肯ぜず。既に帰る。左右問ふ、「今日何を以て轎せざるか」と。公笑ひて曰く、「轎夫中に一老人有り。為に其の任を軽くせしのみ」と。左右皆驚嘆す。
-
『大和俗訓』巻之七・躬行下一不仁にして吝嗇なれば、財多くもちても、人をすくひ恵むことなし。吝嗇ならざる人仁愛に心を用ひざれば、其施なくして、かへりて無益の事に財をつひやす。両事をあげていはば、門内に饑に及べる乞食貧人来りて食をこへども、心を用ひて是をめぐまざれば、家のやつこも食をあたへず。又寒夜に客来りて語るに、客にしたがひ来れる下部などを、屋の内寒からざる所に入れ置き、こごえざるやうにするは、いと易き事なるに、客に対するに専らにして、まぎらはしく、従者の寒気にくるしむべきを心にかけざれば、彼が飢寒を知らずして、いたはる事なし。是心を用ひざればなり。善を行ふに志あらん人は、万の事、折節につけて、心を用ひて、人の苦なからん事を思ひはかりて、人をすくふべし。
-
『和俗童子訓』巻之一・総論上一小児の時より、心もちやはらかに、人をいつくしみ、情ありて、人を苦めあなどらず、常に善を好み、人を愛し、仁を行ふを以て、志とすべし。人我が心にかなはざるとて、顔色をはげしくし、詞をあらくして、人を怒り罵るべからず。小児もし不仁にして、人を苦め侮りて情なくば、早くいましむべし。人に対して温和なれども、其身正しければ、幼きとて人侮らず。
-
孟子・盡心章句下孟子曰く、「仁なる者は、人なり。合せて之を言えば、道なり。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る