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甲陽軍鑑 / 品第十四

右のたゝらひ五左衞門がやうなる侍は、地うたひ男と名付けたり、子細は猿樂の太夫をのけて脇·つれ·笛·大筒·小筒·太鼓·狂言にいたる迄、家職を勵ます者はいづれもひと役いたす、勿論其内にて上手斗りもなければ甲乙もある者なるを、無嗜みにて何の役もせぬ猿樂がしらうとの所へ來りて、只今の太夫は下手て上手で脇つとみ、笛·太皷いづれをもよきあしきの沙汰を云て、其方はと人がとへば、我等は地謠の役なりと申す、うたひをよくうたはゞ、わきかつれか立役をすべきことなれ共、自慢のうたいも下手なれば何もならずして、己れが無能をば取りおきて人の藝の善惡許りいふて、しらうとのまへにては藝者ぶりして、能の時は地謠の中にいるさる樂のごとく、

新字:右のたゝらひ五左衛門がやうなる侍は、地うたひ男と名付けたり、子細は猿楽の太夫をのけて脇·つれ·笛·大筒·小筒·太鼓·狂言にいたる迄、家職を励ます者はいづれもひと役いたす、勿論其内にて上手斗りもなければ甲乙もある者なるを、無嗜みにて何の役もせぬ猿楽がしらうとの所へ来りて、只今の太夫は下手て上手で脇つとみ、笛·太鼓いづれをもよきあしきの沙汰を云て、其方はと人がとへば、我等は地謡の役なりと申す、うたひをよくうたはゞ、わきかつれか立役をすべきことなれ共、自慢のうたいも下手なれば何もならずして、己れが無能をば取りおきて人の芸の善悪許りいふて、しらうとのまへにては芸者ぶりして、能の時は地謡の中にいるさる楽のごとく、

書き下し

右のたゝらひ五左衛門がやうなる侍は、地うたひ男と名付けたり、子細は猿楽の太夫をのけて脇·つれ·笛·大筒·小筒·太鼓·狂言にいたる迄、家職を勵ます者はいづれもひと役いたす、勿論其内にて上手斗りもなければ甲乙もある者なるを、無嗜みにて何の役もせぬ猿楽がしらうとの所へ来りて、只今の太夫は下手て上手で脇つとみ、笛·太鼓いづれをもよきあしきの沙汰を云て、其方はと人がとへば、我等は地謡の役なりと申す、うたひをよくうたはゞ、わきかつれか立役をすべきことなれ共、自慢のうたいも下手なれば何もならずして、己れが無能をば取りおきて人の芸の善悪許りいふて、しらうとのまへにては芸者ぶりして、能の時は地謡の中にいるさる楽のごとく、

現代語訳

右のたたらい五左衛門のような侍は、地謡男と名付けた。そのわけは、猿楽の太夫を除いて、脇・連れ・笛・大鼓・小鼓・太鼓・狂言に至るまで、家職に励む者はいずれも一役をする。もちろんその内には上手ばかりではないので甲乙もあるものを、たしなみがなくて何の役もしない猿楽師が素人のところへ来て、今の太夫は下手で、上手で、脇はこう勤めてと、笛・太鼓いずれについても良し悪しの沙汰を言って、そのほうはと人が問えば、我らは地謡の役だと言う。謡をよく謡えば脇か連れか立役をすべきことであるが、自慢の謡も下手なので何にもならず、自分の無能は置いておいて人の芸の善悪ばかり言って、素人の前では芸者ぶりをして、能の時は地謡の中にいる猿楽師のようである。

解説

高坂は口だけの侍を、能の地謡にたとえる。役を持たない猿楽師が、素人の前で太夫や笛の良し悪しを語り、自分は何の役かと問われると地謡だと答える。本当に謡が上手なら脇か連れに立っているはずだ、という皮肉が効いている。自分の無能を棚に上げて人の芸を評する者は、どの職場にもいる。批評する者の実績を問う視点を持ちたい。口の達者さと実力は別物だと、評する側も評される側も心得ておきたい。

この章句が説くこと

批評地謡実績無能たとえ猿楽

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