甲陽軍鑑 / 品第十三
其きほひをもつて氏繩手に沼いれたる富士川の北悉く信虎に取らるゝ、此時かうこく寺の城主靑池飛彈、人より先に信虎被官になるに付きて日淨靑池むすこ與十郞と申す者を、信虎家中足輕大將の小幡入道にちぢやうと申す侍のむこに、信虎下知をもつて仕六合るた唯今は、駿河今川義元信虎聟になる故、息女の假粧田として信虎より今川殿へわたす、これとても父宗雲が今川のかげをもつて小田原迄も發向する其恩を子息氏繩が代に成つて、忘て替り目を見合て今川の持を取つれ共氏繩義理違ひ申に付ておもしろふまはり、此所今川へ歸るは天道より北條家をにくむにて候、
新字:其きほひをもつて氏縄手に沼いれたる富士川の北悉く信虎に取らるゝ、此時かうこく寺の城主青池飛弾、人より先に信虎被官になるに付きて日浄青池むすこ与十郎と申す者を、信虎家中足軽大将の小幡入道にちぢやうと申す侍のむこに、信虎下知をもつて仕六合るた唯今は、駿河今川義元信虎婿になる故、息女の仮粧田として信虎より今川殿へわたす、これとても父宗雲が今川のかげをもつて小田原迄も発向する其恩を子息氏縄が代に成つて、忘て替り目を見合て今川の持を取つれ共氏縄義理違ひ申に付ておもしろふまはり、此所今川へ帰るは天道より北条家をにくむにて候、
書き下し
其きほひをもつて氏縄手に沼いれたる富士川の北悉く信虎に取らるゝ、此時かうこく寺の城主青池飛弾、人より先に信虎被官になるに付きて日浄青池むすこ与十郎と申す者を、信虎家中足軽大将の小幡入道にちぢやうと申す侍のむこに、信虎下知をもつて仕六合るた唯今は、駿河今川義元信虎婿になる故、息女の仮粧田として信虎より今川殿へわたす、これとても父宗雲が今川のかげをもつて小田原迄も発向する其恩を子息氏縄が代に成つて、忘て替り目を見合て今川の持を取つれ共氏縄義理違ひ申に付ておもしろふまはり、此所今川へ帰るは天道より北条家をにくむにて候、
現代語訳
その勢いで、氏縄の手に入れていた富士川の北はことごとく信虎に取られました。この時、興国寺の城主青池飛騨が人より先に信虎の被官になったので、青池の息子与十郎という者を、信虎家中の足軽大将小幡入道日浄という侍の婿に、信虎の下知で(底本ここ判読しがたい)。ただ今は駿河の今川義元が信虎の婿になったので、息女の化粧田として信虎から今川殿へ渡しました。これとても、父宗雲が今川の陰で小田原まで発向した、その恩を子息氏縄の代になって忘れ、替わり目を見合わせて今川の持ち分を取ったけれども、氏縄が義理に違ったので、面白く巡って、この所が今川へ返ったのは、天道が北条家を憎むからでございます。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第十三何様の者をも御扶持尤もの事一本間·井又七年御意にそむき罷り有り候者を、当年よりはや御懇に候へは、上杉家に人なきやうにて候間、十年とは存ずれども、せめて七八年も遠々しく被成尤の事、付扇谷と御無事にて御損多く候事と書き付て、すがの·上原両人にて直に則政公へ上る則政公披見有り、北条家をいやしむ儀、其外なにもかも機に入りて長尾いげん入道をはじめ四五人のこと、少しも則政〓着なし、
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『甲陽軍鑑』品第十三殊更此程我々両人小田原へよき者を指越し承候へば、北条家には何のさたもなく上杉則政公御旗を出されば、めつぽうに究まりたり、其意趣は氏縄が子氏康当年二十二歳に罷成るが、武辺のこと一円心がけず、たど歌斗りよみて罷在り、扨は男色二置するなにとのめばな立ちごと述定。男女のおいやけを大盛代々年では武辺仕さうなる侍なく候処に、当家の家老衆北条家をこともなのめにおぞみ給ふこと、一段聞へぬ儀なり、又本間江州·井又左近両人武略をよく仕たるとのこと、彼両人上杉家へ帰参申度とて皆偽りの作りごとゝ聞へ候縦へ能く仕ても武略は大敵にこそ用る者にて候へ、上杉家の被官よりはらいさき者に何の機遣にて武略なさるべき、当家の各おかしきことを申され候、
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尚書・蔡仲之命乃の視聴を詳らかにし、側言を以て厥の度を改むる罔ければ、則ち予一人汝を嘉せん。」王曰く、「嗚呼(ああ)!小子胡よ、汝往けや。朕の命を荒棄すること無かれ。」
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『韓非子』內儲說下六微第三十一魏王の臣二人済陽君に善からず、済陽君因りて偽りて人をして王命を矯めて己を攻めんと謀らしむ。王人をして済陽君に問はしめて曰く、「誰と恨みあるか。」対へて曰く、「敢て与に恨むこと無し。然りと雖も、嘗て二人と善からず、以て此に至るに足らず。」王左右に問ふ、左右曰く、「固より然り。」王因りて二人の者を誅す。季辛と爰騫と相怨む。司馬喜新たに季辛と悪し、因りて微かに人をして爰騫を殺さしむ、中山の君以て季辛と為すや、因りて之を誅す。
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詩経・国風・唐風・采苓采苓(さいれい)は、晋の献公を刺るなり。献公好んで讒(ざん)を聴く。 苓(れい)を采り苓を采る、首陽の巓(いただき)に。人の為言(いげん)、苟(まこと)にも亦信ずること無かれ。旃(これ)を舎(す)てよ旃を舎てよ、苟にも亦然りとすること無かれ。人の為言、胡(なん)ぞ得ん。 苦(く)を采り苦を采る、首陽の下に。人の為言、苟にも亦与(くみ)すること無かれ。旃を舎てよ旃を舎てよ、苟にも亦然りとすること無かれ。人の為言、胡ぞ得ん。 葑(ほう)を采り葑を采る、首陽の東に。人の為言、苟にも亦従うこと無かれ。旃を舎てよ旃を舎てよ、苟にも亦然りとすること無かれ。人の為言、胡ぞ得ん。
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『甲陽軍鑑』品第十三某関東の侍たちに馬の目利をとふたれば東西にて母に離れぬも、よき馬になる離なれて草を食は、なを能キ馬に成ル、つきつ離れつする馬は後、夫馬に成てもおもき荷持事ならず、遠き路もならず、やす馬と是をいふ、如レ此畜生さへ機の展転するはあしきに、いはんや日本六十余州において西国に大内殿、関東に上杉殿とて、都を持つ人よりは人数持の大身が、よき家老のよき諫を聞しらでしかも我に忠節したる本間江州·井又左近を、すがの·上原両人に讒言せられて始め誉たる口を引かへ、又あしう仰らるゝはたゝ二ツ三ツの童のごとし、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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