甲陽軍鑑 / 品第十三
老若ともにそこつに知行をあたへ、隱居し死して後ち其知行を孫子の有るにつかわさずして取りあぐれば、なにと能き樣にいふても心中は恨み有り、さて又心もしれねわか者は後ちになにたる議者やらんも不知して、せんさくなしに知行を宛行ない度々越度有るに、其の所領をとりあぐれば、本人斗りに不限ヲ親類·部類のしかも用に立つ物迄恨みに思ふなり、それを勘がへて戯け者に知行つかわし其まゝおけば、此家中には何たる馬嫁もむざと知行を取るぞと心得て、若者ども行儀無嗜になる物なり、さりとては又我家中の侍衆を老若ともに他所へこすべからず、とかくとして切符に本領なければ老若には切符なり、
新字:老若ともにそこつに知行をあたへ、隠居し死して後ち其知行を孫子の有るにつかわさずして取りあぐれば、なにと能き様にいふても心中は恨み有り、さて又心もしれねわか者は後ちになにたる議者やらんも不知して、せんさくなしに知行を宛行ない度々越度有るに、其の所領をとりあぐれば、本人斗りに不限ヲ親類·部類のしかも用に立つ物迄恨みに思ふなり、それを勘がへて戯け者に知行つかわし其まゝおけば、此家中には何たる馬嫁もむざと知行を取るぞと心得て、若者ども行儀無嗜になる物なり、さりとては又我家中の侍衆を老若ともに他所へこすべからず、とかくとして切符に本領なければ老若には切符なり、
書き下し
老若ともにそこつに知行をあたへ、隠居し死して後ち其知行を孫子の有るにつかわさずして取りあぐれば、なにと能き様にいふても心中は恨み有り、さて又心もしれねわか者は後ちになにたる議者やらんも不知して、せんさくなしに知行を宛行ない度々越度有るに、其の所領をとりあぐれば、本人斗りに不限ヲ親類·部類のしかも用に立つ物迄恨みに思ふなり、それを勘がへて戯け者に知行つかわし其まゝおけば、此家中には何たる馬嫁もむざと知行を取るぞと心得て、若者ども行儀無嗜になる物なり、さりとては又我家中の侍衆を老若ともに他所へこすべからず、とかくとして切符に本領なければ老若には切符なり、
現代語訳
老若ともに粗忽に知行を与え、隠居したり死んだりした後、その知行を孫子がいるのに渡さずに取り上げれば、どんなにうまく言っても心中は恨みがある。さてまた、心もわからない若者は、後にどんな者になるかも知らずに、詮索なしに知行を宛て行い、度々越度があってその所領を取り上げれば、本人だけに限らず親類・部類の、しかも役に立つ者まで恨みに思うのである。それを考えて、戯け者に知行を遣わしてそのままにしておけば、この家中ではどんな馬鹿もむやみに知行を取るのだと心得て、若者どもの行儀が無嗜みになるものである。とはいえまた、我が家中の侍衆を老若ともに他所へ出してはならない。とかく切符で本領がないので、老若には切符である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武士道』第十章 武士の教育・精神上の勤労は価無きに非ず今や何等の勤労に酬うるにも、一に金銭を以てするが如き風は、武士道を遵奉する者の間に、かつて行はれしこと無かりき。武士道は、金を獲ず、又た価を受けずして、始めて他に尽すことを得るの務あるを信じたり。乃ち僧侶にもせよ、教師にもせよ、其精神上の勤労は、価無きに非らず、却つて価の量るべからざるが故に、金銭を以て之に報ずるを得べきものに非らずとしたり。是に由りて之を見れば、算数的ならざる武士道の名誉の本能は、近世の経済学に超越して、真理の教訓を与へたるものなりと謂ひつべし。けだし賃銭俸給の如きは、勤労任務の結果の、明かに見るを得べく、量るを得べきものにのみ対して、之を払ふて大差なかるべしと雖、教育に奉ずる最美の勤労、即ち人の霊性の啓発に裨補する任務の如きに至りては、其量のもとより瞭かならざるを以て、ひとり之を認むる能はざるのみならず、又た之を数ふるを得ず。
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史記 項羽本紀曰く、「此れ天下の辯士なり、居る所国を傾く、故に号して平国君と為す。」と。項王已に約し、乃ち兵を引きて解きて東帰す。漢西帰せんと欲す、張良・陳平説きて曰く、「漢天下の太半を有ち、而して諸侯皆之に附く。楚の兵罷れ食尽く、此れ天の楚を亡ぼすの時なり、其の機に因りて遂に之を取るに如かず。今釈きて撃たずんば、此れ所謂『虎を養ひて自ら患ひを遺す』なり。」と。漢王之を聴く。漢の五年、漢王乃ち項王を追ひて陽夏の南に至り、軍を止め、淮陰侯韓信・建成侯彭越と期会して楚の軍を撃たんとす。固陵に至り、而して信・越の兵会せず。楚漢の軍を撃ち、大いに之を破る。漢王復た壁に入り、塹を深くして自ら守る。張子房に謂ひて曰く、「諸侯約に従はず、之を為すこと柰何。」と。対へて曰く、「楚の兵且に破れんとす、信・越未だ分地有らず、其の至らざること固より宜なり。君王能く与に天下を共分せば、今立ちどころに致すべきなり。即し能はずんば、事未だ知るべからざるなり。君王能く陳より以東海に傅(つ)くまでを、尽く韓信に与へ、睢陽以北穀城に至るまでを、以て彭越に与へ、各々自ら戦ひを為さしめば、則ち楚敗り易きなり。」と。漢王曰く、「善し。」と。是に於て乃ち使者を発して韓信・彭越に告げて曰く、「力を并せて楚を撃て。楚破れば、陳より以東海に傅くまでを斉王に与へ、睢陽以北穀城に至るまでを彭相国に与へん。」と。使者至る、韓信・彭越皆報じて曰く、「請ふ今兵を進めん。」と。韓信乃ち斉より往き、劉賈の軍寿春より并行し、城父を屠りて、垓下に至る。大司馬周殷楚に叛き、舒を以て六を屠り、九江の兵を挙げ、劉賈・彭越に随ひて皆垓下に会し、項王に詣る。項王の軍垓下に壁す、兵少なく食尽く、漢の軍及び諸侯の兵之を囲むこと数重。夜漢の軍の四面皆楚歌するを聞き、項王乃ち大いに驚きて曰く、「漢皆已に楚を得たるか。是れ何ぞ楚人の多きや。」と。項王則ち夜起きて、帳中に飲む。
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孟子・公孫丑章句下孟子、齊を去り、休に居る。公孫丑、問いて曰く、「仕えて祿を受けざるは、古の道か。」曰く、「非なり。崇に於いて、吾、王に見ゆるを得たり。退いて去る志有り。變ずるを欲せず。故に受けざるなり。繼いで師命有り。以て請う可からず。齊に久しきは、我が志に非ざるなり。」
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『墨子』公孟子墨子の門に游ぶ者有り、子墨子に謂いて曰く、「先生、鬼を以て神眀にして知り、能く人に禍いを為すと為すか」と。子墨子の門に游ぶ者有り、身體强良、思慮狥通なり。隨いて學ばしめんと欲す。子墨子曰く、「姑く學べ。吾れ将に子を仕えしめん」と。善言に勸められて學ぶ。其の年にして、仕えんことを子墨子に責む。子曰く、「子を仕えしめず。子も亦た夫の魯の語を聞かんか。昆弟五人なる者有り。其の父死して、其の長子、酒を嗜みて葬らず。其の四弟曰く、『子、我と葬らば、當に子の為に酒を沽うべし』と。善言に勸められて葬る。已に葬りて、酒を其の四弟に責む。四弟曰く、『吾れ未だ子に酒を予えず。子は子の父を葬り、我れは吾が父を葬る。豈に獨り吾が父ならんや。子、葬らずんば、則ち人、将に子を笑わんとす。故に子に葬るを勸めしなり』と。今、子は義を為し、我も亦た義を為す。豈に獨り我が義ならんや。子、學ばずんば、則ち人、将に子を笑わんとす。故に子に學を勸めしなり」と。
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三略・上略軍讖に曰く、軍に財無ければ、士来たらず。軍に賞無ければ、士往かず、と。
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『春秋左氏伝』閔公二年 衛の懿公、鶴を好む冬、十二月、狄人衛を伐つ。衛の懿公鶴を好み、鶴に軒に乘る者有り。將に戰はんとす。國人の甲を受くる者皆曰く、「鶴を使へ。鶴實に祿位有り、余焉んぞ能く戰はん」と。公石祁子に玦を與へ、甯莊子に矢を與へ、守らしめて、曰く、「此を以って國を贊けよ。利を擇びて之を爲せ」と。夫人に繡衣を與へて、曰く、「二子に聽け」と。渠孔戎に御し、子伯右と爲り、黃夷前驅し、孔嬰齊殿す。狄人と熒澤に戰ひ、衛の師敗績し、遂に衛を滅ぼす。衛侯其の旗を去らず、是を以って甚だしく敗る。狄人史華龍滑と禮孔とを囚へ、以って衛人を逐ふ。二人曰く、「我は、大史なり。實に其の祭を掌る。先んぜずんば、國得可からざるなり」と。乃ち之を先んぜしむ。至れば、則ち守に告げて曰く、「待つ可からざるなり」と。夜國人と出づ。狄衛に入り、遂に之に從ひ、又諸を河に敗る。
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