孔子家語 / 七十二弟子解
商瞿,魯人,字子木,少孔子二十九歲。特好易,孔子傳之志焉。
新字:商瞿,魯人,字子木,少孔子二十九歳。特好易,孔子伝之志焉。
書き下し
商瞿は、魯の人、字は子木、孔子より少きこと二十九歲。特に易を好み、孔子之に志を傳えり。
現代語訳
商瞿は魯の人で、字は子木といい、孔子より29歳年下であった。特に易を好み、孔子は彼にその志を伝えた。
解説
この一文は、商瞿が易(周易)を特に好み、孔子から易の学統を伝授された人物であったことを伝えています。『史記』仲尼弟子列伝などでも、孔子が晩年に易を好んで学び、その伝授を商瞿に託したとされ、後世の易学の系譜において商瞿は重要な位置を占める存在として知られています。数ある経典の中でも易は奥深く難解とされ、その伝承者に選ばれたことは、商瞿の学問的な資質と孔子からの信頼の厚さを物語っています。七十二弟子の中には政治や礼学、文学などそれぞれ得意分野を持つ者が多くいましたが、商瞿は易という特定の学問領域を深く受け継いだ点で特色があります。現代においても、専門分野を深く究め、その学統を次世代へ継承していくという営みの重要性を、この記述は静かに示しています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
商瞿易経学統の伝授史記仲尼弟子列伝孔子晩年の学問
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