金剛経 / 『金剛経』相を離れ、怒りを離れる
爾時、須菩提聞說是經、深解義趣、涕淚悲泣、而白佛言:「希有世尊!佛說如是甚深經典、我從昔來所得慧眼、未曾得聞如是之經。世尊!若復有人、得聞是經、信心清淨、則生實相、當知是人、成就第一希有功德。世尊!是實相者、則是非相、是故如來說名實相。世尊!我今得聞如是經典、信解受持、不足為難;若當來世、後五百歲、其有眾生、得聞是經、信解受持、是人則為第一希有。何以故?此人無我相、無人相、無眾生相、無壽者相。所以者何?我相、即是非相;人相、眾生相、壽者相、即是非相。何以故?離一切諸相、則名諸佛。」 佛告須菩提:「如是、如是!若復有人、得聞是經、不驚、不怖、不畏、當知是人、甚為希有。何以故?須菩提!如來說:第一波羅蜜、即非第一波羅蜜、是名第一波羅蜜。須菩提!忍辱波羅蜜、如來說非忍辱波羅蜜。是名忍辱波羅密。何以故?須菩提!如我昔為歌利王割截身體、我於爾時、無我相、無人相、無眾生相、無壽者相。何以故?我於往昔、節節支解時、若有我相、人相、眾生相、壽者相、應生瞋恨。須菩提!又念過去、於五百世、作忍辱仙人、於爾所世、無我相、無人相、無眾生相、無壽者相。是故須菩提!菩薩應離一切相、發阿耨多羅三藐三菩提心。不應住色生心、不應住聲、香、味、觸、法生心、應生無所住心。若心有住、則為非住。」 「是故佛說:菩薩心不應住色布施。須菩提!菩薩為利益一切眾生故、應如是布施。如來說:一切諸相、即是非相。又說:一切眾生、即非眾生。須菩提!如來是真語者、實語者、如語者、不誑語者、不異語者。」 「須菩提!如來所得法、此法無實無虛。須菩提!若菩薩心住於法而行布施、如人入闇、則無所見;若菩薩心不住法而行布施、如人有目、日光明照、見種種色。」 「須菩提!當來之世、若有善男子、善女人、能於此經、受持讀誦、則為如來、以佛智慧、悉知是人、悉見是人、皆得成就無量無邊功德。」
新字:爾時、須菩提聞説是経、深解義趣、涕涙悲泣、而白仏言:「希有世尊!仏説如是甚深経典、我従昔来所得慧眼、未曽得聞如是之経。世尊!若復有人、得聞是経、信心清浄、則生実相、当知是人、成就第一希有功徳。世尊!是実相者、則是非相、是故如来説名実相。世尊!我今得聞如是経典、信解受持、不足為難;若当来世、後五百歳、其有衆生、得聞是経、信解受持、是人則為第一希有。何以故?此人無我相、無人相、無衆生相、無寿者相。所以者何?我相、即是非相;人相、衆生相、寿者相、即是非相。何以故?離一切諸相、則名諸仏。」 仏告須菩提:「如是、如是!若復有人、得聞是経、不驚、不怖、不畏、当知是人、甚為希有。何以故?須菩提!如来説:第一波羅蜜、即非第一波羅蜜、是名第一波羅蜜。須菩提!忍辱波羅蜜、如来説非忍辱波羅蜜。是名忍辱波羅密。何以故?須菩提!如我昔為歌利王割截身体、我於爾時、無我相、無人相、無衆生相、無寿者相。何以故?我於往昔、節節支解時、若有我相、人相、衆生相、寿者相、応生瞋恨。須菩提!又念過去、於五百世、作忍辱仙人、於爾所世、無我相、無人相、無衆生相、無寿者相。是故須菩提!菩薩応離一切相、発阿耨多羅三藐三菩提心。不応住色生心、不応住声、香、味、触、法生心、応生無所住心。若心有住、則為非住。」 「是故仏説:菩薩心不応住色布施。須菩提!菩薩為利益一切衆生故、応如是布施。如来説:一切諸相、即是非相。又説:一切衆生、即非衆生。須菩提!如来是真語者、実語者、如語者、不誑語者、不異語者。」 「須菩提!如来所得法、此法無実無虚。須菩提!若菩薩心住於法而行布施、如人入闇、則無所見;若菩薩心不住法而行布施、如人有目、日光明照、見種種色。」 「須菩提!当来之世、若有善男子、善女人、能於此経、受持読誦、則為如来、以仏智慧、悉知是人、悉見是人、皆得成就無量無辺功徳。」
書き下し
爾の時、須菩提、是の経を説くを聞き、深く義趣を解して、涕涙悲泣して、仏に白して言さく、「希有なり、世尊よ。仏は是の如き甚深の経典を説きたもう。我は昔より来、得る所の慧眼をもって、未だ曾て是の如きの経を聞くことを得ず。世尊よ、若し復た人有りて、是の経を聞くことを得て、信心清浄ならば、則ち実相を生ず。当に知るべし、是の人は第一希有の功徳を成就せん。世尊よ、是の実相とは、則ち是れ非相なり。是の故に如来は実相と名づくと説きたもう。世尊よ、我今是の如き経典を聞くことを得て、信解し受持すること、難しと為すに足らず。若し当来の世、後の五百歳に、其れ衆生有りて、是の経を聞くことを得て、信解し受持せば、是の人は則ち第一希有と為す。何を以ての故に。此の人には我相無く、人相無く、衆生相無く、寿者相無し。所以は何ん。我相は即ち是れ非相なり。人相、衆生相、寿者相も即ち是れ非相なり。何を以ての故に。一切の諸相を離るるを、則ち諸仏と名づく。」 仏、須菩提に告げたもう、「是の如し、是の如し。若し復た人有りて、是の経を聞くことを得て、驚かず、怖れず、畏れざれば、当に知るべし、是の人は甚だ為れ希有なり。何を以ての故に。須菩提よ、如来の説きたもう第一波羅蜜は、即ち第一波羅蜜に非ず、是れを第一波羅蜜と名づく。須菩提よ、忍辱波羅蜜は、如来は忍辱波羅蜜に非ずと説く。是れを忍辱波羅蜜と名づく。何を以ての故に。須菩提よ、我が昔、歌利王のために身体を割截せられし如き、我は爾の時において、我相無く、人相無く、衆生相無く、寿者相無かりき。何を以ての故に。我は往昔、節節に支解せられし時に、若し我相、人相、衆生相、寿者相有らましかば、応に瞋恨を生ずべかりき。須菩提よ、又た過去の五百世に、忍辱仙人と作りしを念うに、爾所の世において、我相無く、人相無く、衆生相無く、寿者相無かりき。是の故に、須菩提よ、菩薩は応に一切の相を離れて、阿耨多羅三藐三菩提の心を発すべし。応に色に住して心を生ずべからず、応に声、香、味、触、法に住して心を生ずべからず、応に住する所無き心を生ずべし。若し心に住する有らば、則ち為れ住に非ず。」 「是の故に仏は説く、菩薩は心に応に色に住して布施すべからず、と。須菩提よ、菩薩は一切衆生を利益せんが為の故に、応に是の如く布施すべし。如来は説く、一切の諸相は、即ち是れ非相なり、と。又た説く、一切の衆生は、即ち衆生に非ず、と。須菩提よ、如来は是れ真語者、実語者、如語者、不誑語者、不異語者なり。」 「須菩提よ、如来の得たる所の法は、此の法には実も無く虚も無し。須菩提よ、若し菩薩、心に法に住して布施を行ぜば、人の闇に入りて、則ち見る所無きが如し。若し菩薩、心に法に住せずして布施を行ぜば、人の目有りて、日光明らかに照らし、種種の色を見るが如し。」 「須菩提よ、当来の世に、若し善男子、善女人有りて、能く此の経に於いて受持読誦せば、則ち為れ如来、仏の智慧を以て、悉く是の人を知り、悉く是の人を見たもう。皆な無量無辺の功徳を成就することを得ん。」
現代語訳
そのとき、須菩提はこの経の説法を聞いて、意味するところを深く理解し、涙を流して泣き、仏に申し上げました。「めったにないことです、世尊よ。仏はこのように深い経典を説かれました。私は、昔から得てきた智慧の目をもってしても、このような経を聞いたことがありません。世尊よ、もしある人がこの経を聞いて、信心が清らかになれば、その人にはまことの姿が現れます。この人は、第一のめったにない功徳を成し遂げた人だと知りなさい。世尊よ、このまことの姿とは、そのまま姿ではありません。だから如来は、まことの姿と名づけられたのです。世尊よ、私は今、このような経典を聞くことができ、信じ理解し、たもつことは、難しいことではありません。もし未来の世の、後の五百年に、この経を聞いて信じ理解しもつ衆生がいるなら、その人こそ第一のめったにない人です。なぜなら、この人には、我相も人相も衆生相も寿者相もないからです。それはなぜかといえば、我相はそのまま相ではなく、人相、衆生相、寿者相もそのまま相ではないからです。なぜなら、あらゆる相を離れたものを、諸仏と名づけるからです。」 仏は須菩提に告げられました。「そのとおり、そのとおりである。もしある人がこの経を聞いて、驚かず、恐れず、おびえなければ、この人は非常にめったにない人だと知りなさい。なぜなら、須菩提よ、如来が説く第一の波羅蜜は、そのままの第一の波羅蜜ではなく、それを第一の波羅蜜と名づけているのである。須菩提よ、忍辱の波羅蜜も、如来は忍辱の波羅蜜ではないと説き、それを忍辱の波羅蜜と名づけている。なぜなら、須菩提よ、私が昔、歌利王に身体を切り裂かれたとき、私はそのとき、我相も人相も衆生相も寿者相もなかった。なぜなら、私が昔、関節ごとに身体を切り離されたとき、もし我相、人相、衆生相、寿者相があったなら、怒りと恨みを起こしたはずだからである。須菩提よ、また過去の五百世に、忍辱の仙人であったことを思い起こすと、そのいくつもの世において、我相も人相も衆生相も寿者相もなかった。だから、須菩提よ、菩薩はあらゆる相を離れて、この上ない悟りを求める心を起こすべきである。形にとらわれて心を起こしてはならず、音、香り、味、感触、心に浮かぶ事柄にとらわれて心を起こしてもならず、どこにもとどまらない心を起こすのである。もし心にとどまるものがあれば、それはとどまるべきでないものにとどまることになる。」 「だから仏は説く。菩薩は心が形にとらわれて布施をしてはならない、と。須菩提よ、菩薩はすべての生き物に利益をもたらすために、このように布施をするのである。如来は説く。あらゆる相は、そのまま相ではない、と。また説く。すべての衆生は、そのまま衆生ではない、と。須菩提よ、如来は、真実を語る者、偽りなく語る者、ありのままに語る者、人を欺かず語る者、違うことを語らない者である。」 「須菩提よ、如来が得た法には、実もなく虚もない。須菩提よ、もし菩薩が、心を法にとどめて布施を行うなら、人が闇の中に入って何も見えないようなものである。もし菩薩が、心を法にとどめずに布施を行うなら、目のある人に日の光が明るく照り、さまざまな色が見えるようなものである。」 「須菩提よ、未来の世に、もし善男子や善女人が、この経を心にたもち読み唱えるなら、如来は仏の智慧で、その人をすべて知り、すべて見ている。みな限りない功徳を成し遂げるだろう。」
解説

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