講孟余話 / 盡心下 第三十八章
但三代以上ハ道天子ニ在リ、故ニ道ヲ傳フルト云モ、大氏礼樂制度也、礼樂制度道ノ文ニ顕ルヽ者也、故ニ堯舜禹ノ如ク聖々相承ル者ハ別ニ礼樂制度ヲ論スルヲ待タス、唯精一ノ訓アルノミ、殷周易代ノ際ニ當テハ、前王ノ禮樂制度ニ因テ其道ヲ傳ルノミニテ、別ニ精一等ノ口授ヲスヘキ樣ナシ、然トモ道已ニ其中ニ充チテ其外ニ顕ルヽ也、周衰テ孔孟起リ、君相ノ位ナケレハ、礼樂制度ヲ以テ道ヲ傳ルコト能ハス、徒ニ仁義道德ヲ誦シテ傳フル迄也、孟子死後其傳ヲ得ズトハ雖トモ、荀卿楊雄王通韓愈、宋ノ周程張朱ノ如キ皆傳フル所ナシト云ヘカラズ、其他漢ノ司馬遷劉向、唐ノ柳宗元、宋ノ歐陽脩ノ如キ、皆肩ヲ比シテ相下ラス、然トモ後世事愈繁ク、論愈密、道愈分ルヽノ弊ヲ免レス、向ニ周ノ亡ヒテ秦ノ天子タルヤ、悉ク三代ノ礼樂制度ヲ除去シ、刑法律令ヲ以テ天下ヲ制ス、秦自ラ滅絕シテ以來、漢ノ高祖光武、唐ノ太宗、宋ノ藝祖、明ノ太祖ノ如キ、千古ノ英雄一世ノ聖賢ト雖トモ、其刑法律令ハ大氏秦ノ故ニ因ル、又頗ル周ノ礼樂制度ヲ交ヘテ是ヲ文飾ス、然トモ刑法律令ハ自ラ刑法律令、礼樂制度ハ自ラ礼樂制度ニテ、道ノ其中ニ充実シ、外ニ発越スルヲ見ズ、是ニ於テ仁義道德、已ニ儒者ノ私有トナリ、人君徒ニ刑法律令礼樂制度ノ虛名ヲ擁スルノミトハナレリ、然トモ人君儒者、眞ニ憂ヲ茲ニ擔テ其分裂ヲ傷ム者ハ、明君通儒トナルコトヲ得、然ラサル者ハ、庸君迂儒タルノミ、
新字:但三代以上ハ道天子ニ在リ、故ニ道ヲ伝フルト云モ、大氏礼楽制度也、礼楽制度道ノ文ニ顕ルヽ者也、故ニ堯舜禹ノ如ク聖々相承ル者ハ別ニ礼楽制度ヲ論スルヲ待タス、唯精一ノ訓アルノミ、殷周易代ノ際ニ当テハ、前王ノ礼楽制度ニ因テ其道ヲ伝ルノミニテ、別ニ精一等ノ口授ヲスヘキ様ナシ、然トモ道已ニ其中ニ充チテ其外ニ顕ルヽ也、周衰テ孔孟起リ、君相ノ位ナケレハ、礼楽制度ヲ以テ道ヲ伝ルコト能ハス、徒ニ仁義道徳ヲ誦シテ伝フル迄也、孟子死後其伝ヲ得ズトハ雖トモ、荀卿楊雄王通韓愈、宋ノ周程張朱ノ如キ皆伝フル所ナシト云ヘカラズ、其他漢ノ司馬遷劉向、唐ノ柳宗元、宋ノ欧陽脩ノ如キ、皆肩ヲ比シテ相下ラス、然トモ後世事愈繁ク、論愈密、道愈分ルヽノ弊ヲ免レス、向ニ周ノ亡ヒテ秦ノ天子タルヤ、悉ク三代ノ礼楽制度ヲ除去シ、刑法律令ヲ以テ天下ヲ制ス、秦自ラ滅絶シテ以来、漢ノ高祖光武、唐ノ太宗、宋ノ芸祖、明ノ太祖ノ如キ、千古ノ英雄一世ノ聖賢ト雖トモ、其刑法律令ハ大氏秦ノ故ニ因ル、又頗ル周ノ礼楽制度ヲ交ヘテ是ヲ文飾ス、然トモ刑法律令ハ自ラ刑法律令、礼楽制度ハ自ラ礼楽制度ニテ、道ノ其中ニ充実シ、外ニ発越スルヲ見ズ、是ニ於テ仁義道徳、已ニ儒者ノ私有トナリ、人君徒ニ刑法律令礼楽制度ノ虚名ヲ擁スルノミトハナレリ、然トモ人君儒者、真ニ憂ヲ茲ニ担テ其分裂ヲ傷ム者ハ、明君通儒トナルコトヲ得、然ラサル者ハ、庸君迂儒タルノミ、
書き下し
但だ三代以上は道天子に在り、故に道を伝ふると云ふも、大氐礼楽制度なり。礼楽制度は道の文に顕るる者なり。故に堯・舜・禹の如く聖々相承くる者は、別に礼楽制度を論ずるを待たず、唯だ精一の訓あるのみ。殷周易代の際に当りては、前王の礼楽制度に因りて其の道を伝ふるのみにて、別に精一等の口授をすべき様なし。然れども道已に其の中に充ちて其の外に顕るるなり。周衰へて孔孟起り、君相の位なければ、礼楽制度を以て道を伝ふること能はず、徒に仁義道徳を誦して伝ふる迄なり。孟子死後其の伝を得ずとは雖も、荀卿・揚雄・王通・韓愈、宋の周・程・張・朱の如き、皆伝ふる所なしと云ふべからず。其の他漢の司馬遷・劉向、唐の柳宗元、宋の欧陽脩の如き、皆肩を比して相下らず。然れども後世事愈々繁く、論愈々密に、道愈々分るるの弊を免れず。向に周の亡びて秦の天子たるや、悉く三代の礼楽制度を除去し、刑法律令を以て天下を制す。秦自ら滅絶して以来、漢の高祖・光武、唐の太宗、宋の芸祖、明の太祖の如き、千古の英雄一世の聖賢と雖も、其の刑法律令は大氐秦の故に因る。又頗る周の礼楽制度を交へて是れを文飾す。然れども刑法律令は自ら刑法律令、礼楽制度は自ら礼楽制度にて、道の其の中に充実し、外に発越するを見ず。是に於て仁義道徳、已に儒者の私有となり、人君徒に刑法律令礼楽制度の虚名を擁するのみとはなれり。然れども人君儒者、真に憂ひを茲に担ひて其の分裂を傷む者は、明君通儒となることを得、然らざる者は、庸君迂儒たるのみ。
現代語訳
ただし夏・殷・周の三代以前は、道は天子の身にあった。だから道を伝えるといっても、おおよそ礼楽や制度のことである。礼楽制度は、道が形となって外に現れたものである。だから堯・舜・禹のように聖人が次々に受け継いだ場合は、特に礼楽制度を論じるまでもなく、ただ「精一」の教えがあるだけだった。殷から周への王朝交代のときには、前の王の礼楽制度によってその道を伝えるだけで、別に「精一」などを口伝えする必要もなかった。しかし道はすでにその中に満ちて、外に現れていたのである。周が衰えて孔子・孟子が現れると、君主や宰相の位がないので、礼楽制度によって道を伝えることができず、ただ仁義道徳を唱えて伝えるばかりとなった。孟子の死後、その伝えを得る者はいなかったというが、荀子・揚雄・王通・韓愈、宋の周敦頤・程子・張載・朱子のような人々に、伝えるところがなかったとは言えない。そのほか漢の司馬遷・劉向、唐の柳宗元、宋の欧陽脩なども、みな肩を並べて引けを取らない。しかし後世になるほど、事はいよいよ繁雑に、議論はいよいよ細密に、道はいよいよ分かれていく弊害を免れなかった。かつて周が滅んで秦が天子となると、三代の礼楽制度をことごとく取り除き、刑法と律令で天下を治めた。秦が自滅して以来、漢の高祖・光武帝、唐の太宗、宋の太祖、明の太祖のように、千古の英雄、一世の聖賢といわれる君主でも、その刑法律令はおおむね秦の旧制によっていた。また周の礼楽制度をかなり交えて飾りとした。しかし刑法律令は刑法律令、礼楽制度は礼楽制度で、道がその中に満ちて外にあふれ出るのは見られない。こうして仁義道徳はすでに儒者の私有物となり、君主はただ刑法律令や礼楽制度の名ばかりを抱えているだけとなった。しかし君主や儒者で、本当にこの憂いを担い、その分裂を嘆く者は、名君・通儒となることができ、そうでない者は、凡庸な君主・迂遠な儒者であるにすぎない。
解説
この章句が説くこと
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