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講孟余話 / 盡心下 第三十八章

由堯舜至於湯、五百有餘歲云々、堯舜ヨリ孔孟ニ至ル迄、学脉相承ケ、聞知見知スルヲ名ケテ道統ノ傳ト云、詳ニ朱子大学中庸ノ両序ニ見ユ、而シテ朱子ヲ排スル者云ク、是佛氏ニ衣鉢ヲ傳フルト云フコトアリテ、達磨ヲ初祖トシ、二祖三四祖ヨリ、五祖弘忍、六祖惠能、惠能ニ至リ南宗トナリ、弘忍ノ弟子ニ又神秀アリ、是ヲ北宗トス、是ヨリ南北宗分流シテ、幾世マテモ連綿スルヲ羨ミ視テ、儒者衣鉢ノ傳ナキヲ愧チ、道統ノ傳ト云コトヲ造リ出セリ、是宋学ノ佛学タル所以也ト、按スルニ是ハ訳モナキ妄說也、韓退之ノ原道ニ堯以是傳之舜、々以是傳之禹、々以是傳之湯、々以是傳文武周公、文武周公傳之孔子、孔子傳之孟軻、軻之死、不得其傳焉、苟與楊也、擇焉而不精、語焉而不詳、朱子此語ヲ以テ序說ニ表出ス、其意亦見ヘシ、是即チ所謂道流ノ傳ナリ、而シテ韓ノ說ハ実ニ孟子ノ此章ニ原ツク、孟子此章ノ外群聖相傳フルノ実ヲ列擧スル者亦少カラズ、公孫丑下篇第三章、滕文公下篇第十九章ヨリ第二十二章ニ至ル、万章上篇及ヒ下篇首章然トモ是亦孟子ノ創說ニ非ズ、中庸ニ云ク、仲尼祖述堯舜、憲章文武ト、又孔子自ラ云フ、吾夏殷周三代ノ礼ヲ学フト、又云フ、周ハ夏殷ノ二代ニ監ムルト、又云フ、殷ハ夏ノ礼ニ因リ、周ハ殷ノ礼ニ因ルト、又堯曰ノ首章ヲ読テ堯舜禹湯周相傳ノ統ヲ知ルヘシ、是ヲ稽ヘスシテ、宋儒佛氏ヲ羨ミテ道統ノ傳ヲ造ルトハ甚シキ妄言也、

新字:由堯舜至於湯、五百有余歳云々、堯舜ヨリ孔孟ニ至ル迄、学脉相承ケ、聞知見知スルヲ名ケテ道統ノ伝ト云、詳ニ朱子大学中庸ノ両序ニ見ユ、而シテ朱子ヲ排スル者云ク、是仏氏ニ衣鉢ヲ伝フルト云フコトアリテ、達磨ヲ初祖トシ、二祖三四祖ヨリ、五祖弘忍、六祖恵能、恵能ニ至リ南宗トナリ、弘忍ノ弟子ニ又神秀アリ、是ヲ北宗トス、是ヨリ南北宗分流シテ、幾世マテモ連綿スルヲ羨ミ視テ、儒者衣鉢ノ伝ナキヲ愧チ、道統ノ伝ト云コトヲ造リ出セリ、是宋学ノ仏学タル所以也ト、按スルニ是ハ訳モナキ妄説也、韓退之ノ原道ニ堯以是伝之舜、々以是伝之禹、々以是伝之湯、々以是伝文武周公、文武周公伝之孔子、孔子伝之孟軻、軻之死、不得其伝焉、苟与楊也、択焉而不精、語焉而不詳、朱子此語ヲ以テ序説ニ表出ス、其意亦見ヘシ、是即チ所謂道流ノ伝ナリ、而シテ韓ノ説ハ実ニ孟子ノ此章ニ原ツク、孟子此章ノ外群聖相伝フルノ実ヲ列挙スル者亦少カラズ、公孫丑下篇第三章、滕文公下篇第十九章ヨリ第二十二章ニ至ル、万章上篇及ヒ下篇首章然トモ是亦孟子ノ創説ニ非ズ、中庸ニ云ク、仲尼祖述堯舜、憲章文武ト、又孔子自ラ云フ、吾夏殷周三代ノ礼ヲ学フト、又云フ、周ハ夏殷ノ二代ニ監ムルト、又云フ、殷ハ夏ノ礼ニ因リ、周ハ殷ノ礼ニ因ルト、又堯曰ノ首章ヲ読テ堯舜禹湯周相伝ノ統ヲ知ルヘシ、是ヲ稽ヘスシテ、宋儒仏氏ヲ羨ミテ道統ノ伝ヲ造ルトハ甚シキ妄言也、

書き下し

「堯舜より湯に至るまで、五百有余歳」云々。堯舜より孔孟に至る迄、学脈相承け、聞知見知するを名づけて道統の伝と云ふ。詳らかに朱子大学中庸の両序に見ゆ。而して朱子を排する者云く、「是れ仏氏に衣鉢を伝ふると云ふことありて、達磨を初祖とし、二祖三祖四祖より、五祖弘忍、六祖恵能、恵能に至り南宗となり、弘忍の弟子に又神秀あり、是れを北宗とす。是れより南北宗分流して、幾世までも連綿するを羨み視て、儒者衣鉢の伝なきを愧ぢ、道統の伝と云ふことを造り出せり。是れ宋学の仏学たる所以なり」と。按ずるに是れは訳もなき妄説なり。韓退之の原道に「堯是れを以て之れを舜に伝へ、舜是れを以て之れを禹に伝へ、禹是れを以て之れを湯に伝へ、湯是れを以て之れを文・武・周公に伝へ、文・武・周公之れを孔子に伝へ、孔子之れを孟軻に伝ふ。軻の死して其の伝を得ず。荀と揚とは、択んで精ならず、語つて詳らかならず」と。朱子此の語を以て序説に表出す、其の意亦見るべし。是れ即ち所謂道流の伝なり。而して韓の説は実に孟子の此の章に原づく。孟子此の章の外、群聖相伝ふるの実を列挙する者亦少なからず(公孫丑下篇第三章、滕文公下篇第十九章より第二十二章に至る、万章上篇及び下篇首章)。然れども是れ亦孟子の創説に非ず。中庸に云く、「仲尼は堯舜を祖述し、文武を憲章す」と。又孔子自ら云ふ、「吾夏殷周三代の礼を学ぶ」と。又云ふ、「周は夏殷の二代に監む」と。又云ふ、「殷は夏の礼に因り、周は殷の礼に因る」と。又堯曰の首章を読みて、堯・舜・禹・湯・周相伝の統を知るべし。是れを稽へずして、宋儒仏氏を羨みて道統の伝を造るとは、甚しき妄言なり。

現代語訳

「堯・舜から湯王に至るまで、五百年余り」云々。堯・舜から孔子・孟子に至るまで、学問の血脈が受け継がれ、ある者は直接見て知り、ある者は伝え聞いて知ってきた。これを道統の伝という。詳しくは朱子の『大学』と『中庸』の二つの序に見える。ところが朱子を排撃する者はこう言う。「仏教には衣鉢を伝えるということがあって、達磨を初祖とし、二祖・三祖・四祖から五祖弘忍、六祖慧能へと続き、慧能から南宗となり、弘忍の弟子にはまた神秀がいて、これを北宗とした。これより南北の宗が分かれて流れ、何代にもわたって連綿と続くのをうらやましく見て、儒者に衣鉢の伝がないのを恥じ、道統の伝というものをこしらえ出したのだ。これが宋学が仏学である証拠だ」。考えるに、これはわけもないでたらめである。韓愈の『原道』に「堯はこれを舜に伝え、舜はこれを禹に伝え、禹はこれを湯に伝え、湯はこれを文王・武王・周公に伝え、文王・武王・周公はこれを孔子に伝え、孔子はこれを孟軻に伝えた。孟軻が死んで、その伝えを得る者がいなくなった。荀子と揚雄は、選んでも精密でなく、語っても詳しくない」とある。朱子はこの言葉を序説に掲げており、その意図もまた明らかである。これがいわゆる道の流れの伝えである。そして韓愈の説は、実に孟子のこの章にもとづいている。孟子にはこの章のほかにも、聖人たちが道を伝え合った事実を列挙したところが少なくない(公孫丑下篇第三章、滕文公下篇第十九章から第二十二章、万章上篇および下篇首章)。しかしそれも孟子が初めて唱えた説ではない。『中庸』に「孔子は堯・舜を祖として述べ、文王・武王を手本とした」とある。また孔子自ら「私は夏・殷・周三代の礼を学んだ」と言い、「周は夏・殷の二代を手本とした」と言い、「殷は夏の礼にもとづき、周は殷の礼にもとづいた」と言っている。また『論語』堯曰篇の第一章を読めば、堯・舜・禹・湯・周と受け継がれた系統がわかる。これを考えずに、宋の儒者が仏教をうらやんで道統の伝をこしらえたなどと言うのは、はなはだしいでたらめである。

解説

孟子の最終章は、堯舜から湯、文王、孔子へと五百年ごとに道が受け継がれてきたことを述べ、自らその継承者たらんとする志を示します。朱子はこれを道統と呼びましたが、それは禅宗の法系をまねて宋の儒者がこしらえたものだ、という批判が当時ありました。松陰は韓愈の『原道』、さらに『中庸』や『論語』の孔子の言葉まで遡って、道の継承は孟子以前から説かれていたと論証し、その批判を退けます。相手の説を感情で否定せず、典拠を一つずつ挙げて反論する手つきは、議論の作法として学ぶところの多いものです。

この章句が説くこと

道統継承論証朱子韓愈

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