講孟余話 / 盡心下 第三十五章
余因テ十年前ヲ回思スルニ、當時師友多ク詩文書畵ヲ以テ人ヲ誘フ、吾二三ノ同学ノ如キ、菅茶山集賴山陽集ナトヲ枕籍シテ、本藝トスル者アルニ至ル、其卑孱淺薄、亦嘔吐スヘシ、獨リ叔父玉團子岩先生、経義ヲ以テシ、父執治心氣齋先生、兵学ヲ以テシ、以テ後進ヲ誘フ、而シテ治心氣斎尤モ海賊ヲ以テ深憂トス、余是ニ於テ憤ヲ発シ食ヲ忘レ、邊防ヲ講究ス、謂ラク詩文書画皆玩物志ヲ喪ヒ、閑思日ヲ消スルノ魁ナリ、其害固ヨリ淫声美色ニ過ク、淫声美色又吾性ノ嗜マサル所ナレハ、先ツ詩文書画ノ欲ヨリ除去スヘシト思ヘリ、已ニシテ東西周游シ、今日ニ至リ幽囚ニ苦シム、頗ル少時ト所見ヲ異ニス、詩文ノ如キハ興來レハ亦作ル、意生スレハ亦述フ、興去リ意尽レハ則止ム、謂ラク人性情アレハ思慮アリ、思慮アレハ言語アリ、言語アレハ詩文アリ、是自然ノ勢也、性情思慮詩文、果シテ道義ニ出テ聖賢ニ繆ラスンハ、何ソ是ヲ欲トシテ憎マンヤ、但書画ニ至テハ敢テナサス、是敢テナサヽルニ非ズ、実ニ能セサル也、故ニ余前日寡欲ノ說、今日ハ変シテ薄欲トナルノミ、薄ト云者ハ寡キニ非ズ、深ク意ヲ畱メサル也、山水風月ヨリ、詩文書畵ヨリ、心目ニ接シ眞ニ樂メハ、敢テ禁セズ、心目ヲ去レハ、亦敢テ追ハズ、然トモ其樂ムニ當テヤ、必ス道義ノ心油然トシテ雲起シ、聖賢ヲ慕フノ念、沛然トシテ雨降シ、未タ嘗テ樂ヲ以テ本心ヲ蔽ハズ、却テ樂ヲ以テ本心ヲ起スニ足ルノミ、是余カ薄欲ノ驗ナリ、且聊カ二先生ノ厚教ニ酬ント欲スル所也
新字:余因テ十年前ヲ回思スルニ、当時師友多ク詩文書畵ヲ以テ人ヲ誘フ、吾二三ノ同学ノ如キ、菅茶山集頼山陽集ナトヲ枕籍シテ、本芸トスル者アルニ至ル、其卑孱浅薄、亦嘔吐スヘシ、独リ叔父玉団子岩先生、経義ヲ以テシ、父執治心気斎先生、兵学ヲ以テシ、以テ後進ヲ誘フ、而シテ治心気斎尤モ海賊ヲ以テ深憂トス、余是ニ於テ憤ヲ発シ食ヲ忘レ、辺防ヲ講究ス、謂ラク詩文書画皆玩物志ヲ喪ヒ、閑思日ヲ消スルノ魁ナリ、其害固ヨリ淫声美色ニ過ク、淫声美色又吾性ノ嗜マサル所ナレハ、先ツ詩文書画ノ欲ヨリ除去スヘシト思ヘリ、已ニシテ東西周游シ、今日ニ至リ幽囚ニ苦シム、頗ル少時ト所見ヲ異ニス、詩文ノ如キハ興来レハ亦作ル、意生スレハ亦述フ、興去リ意尽レハ則止ム、謂ラク人性情アレハ思慮アリ、思慮アレハ言語アリ、言語アレハ詩文アリ、是自然ノ勢也、性情思慮詩文、果シテ道義ニ出テ聖賢ニ繆ラスンハ、何ソ是ヲ欲トシテ憎マンヤ、但書画ニ至テハ敢テナサス、是敢テナサヽルニ非ズ、実ニ能セサル也、故ニ余前日寡欲ノ説、今日ハ変シテ薄欲トナルノミ、薄ト云者ハ寡キニ非ズ、深ク意ヲ畱メサル也、山水風月ヨリ、詩文書畵ヨリ、心目ニ接シ真ニ楽メハ、敢テ禁セズ、心目ヲ去レハ、亦敢テ追ハズ、然トモ其楽ムニ当テヤ、必ス道義ノ心油然トシテ雲起シ、聖賢ヲ慕フノ念、沛然トシテ雨降シ、未タ嘗テ楽ヲ以テ本心ヲ蔽ハズ、却テ楽ヲ以テ本心ヲ起スニ足ルノミ、是余カ薄欲ノ験ナリ、且聊カ二先生ノ厚教ニ酬ント欲スル所也
書き下し
余因りて十年前を回思するに、当時の師友多く詩文書画を以て人を誘ふ。吾が二三の同学の如き、菅茶山集・頼山陽集なとを枕籍して、本芸とする者あるに至る。其の卑孱浅薄、亦嘔吐すべし。独り叔父玉団子岩先生は経義を以てし、父執治心気斎先生は兵学を以てし、以て後進を誘ふ。而して治心気斎尤も海賊を以て深憂とす。余是に於て憤を発し食を忘れ、辺防を講究す。謂へらく詩文書画は皆物を玩び志を喪ひ、閑思日を消するの魁なり、其の害固より淫声美色に過ぐ。淫声美色は又吾が性の嗜まざる所なれば、先づ詩文書画の欲より除去すべしと思へり。已にして東西周遊し、今日に至り幽囚に苦しむ。頗る少時と所見を異にす。詩文の如きは興来たれば亦作る、意生ずれば亦述ぶ、興去り意尽くれば則ち止む。謂へらく人性情あれば思慮あり、思慮あれば言語あり、言語あれば詩文あり、是れ自然の勢ひなり。性情思慮詩文、果して道義に出でて聖賢に繆らずんば、何ぞ是れを欲として憎まんや。但だ書画に至りては敢へてなさず。是れ敢へてなさざるに非ず、実に能くせざるなり。故に余前日の寡欲の説、今日は変じて薄欲となるのみ。薄と云ふ者は寡きに非ず、深く意を留めざるなり。山水風月より、詩文書画より、心目に接して真に楽しめば、敢へて禁ぜず。心目を去れば、亦敢へて追はず。然れども其の楽しむに当りてや、必ず道義の心油然として雲起し、聖賢を慕ふの念沛然として雨降し、未だ嘗て楽を以て本心を蔽はず、却つて楽を以て本心を起すに足るのみ。是れ余が薄欲の験なり。且つ聊か二先生の厚教に酬いんと欲する所なり。
現代語訳
そこで十年前を思い返すと、当時の先生や友人の多くは詩文や書画で人を誘っていた。私の同学の二、三人などは、菅茶山や頼山陽の詩集を枕にして寝るほど読みふけり、それを本業とする者さえいた。その卑しく弱々しく浅はかなことは、吐き気がするほどだった。ただ叔父の玉木文之進(団子岩)先生は経書の義で、父の友人の治心気斎先生は兵学で、後進を導いておられた。とくに治心気斎先生は、海から来る外敵を深く憂えておられた。私はそこで発奮し、食事も忘れて辺境の防備を研究した。詩文や書画はみな、物をもてあそんで志を失い、無駄な思いで日を過ごすもとであり、その害はもとより淫らな音楽や女色よりもひどい。淫らな音楽や女色はもともと私の好まないものだから、まず詩文や書画の欲から取り除こうと考えた。やがて各地を巡り、今日に至って幽囚に苦しむうちに、若いころとはずいぶん考えが変わった。詩文などは、興が湧けば作り、思いが生じれば述べ、興が去り思いが尽きればやめる。人に性情があれば思慮があり、思慮があれば言葉があり、言葉があれば詩文がある。これは自然の成り行きである。性情も思慮も詩文も、道義から出て聖賢に背かないなら、どうしてこれを欲として憎むことがあろう。ただ書画については、あえて手を出さない。あえてしないのではなく、実はできないのである。だから私の以前の寡欲の説は、今は変わって薄欲となっただけである。薄というのは少ないということではなく、深く心をとめないということである。山水や風月から、詩文や書画から、心と目に触れて本当に楽しめるなら、あえて禁じはしない。心と目から去れば、あえて追いはしない。しかしそれを楽しむときには、必ず道義の心が雲のように湧き起こり、聖賢を慕う思いが雨のように降り注いで、楽しみによって本心が覆われたことは一度もない。かえって楽しみによって本心を奮い起こすのに十分なだけである。これが私の薄欲の効きめである。そして、少しでも二人の先生の厚い教えに報いたいと思うところである。
解説
この章句が説くこと
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『講孟余話』盡心下 第三十五章「心を養ふは欲を寡くするより善きは莫し」。余少き時深く此の章を愛玩す。蓋し年十六七の時、寡欲録と云ふ随筆を著さんと欲す。僅々数件を筆して業を廃す。頃ろ之れを故紙中に得たり。其の叙言に云く、「孟子曰く、心を養ふは欲を寡くするより善きは莫しと。周子曰く、之れを寡くして以て無きに至ると。孟周の言、学者に於て尤も切なりと為す。余因りて物欲の陥り易くして悔い難き者を雑録して自ら誡む。凡そ欲の陥り易く悔い難き者は、多く忽にする所に在り、詩文書画凡百の玩好皆是れなり。其の他の物欲甚しき者と雖も、或は陥り難くして悔い易し。何となれば則ち外に憚る所有り、内に愧づる所有ればなり。夫れ忽にする所の者は、之れに臨みて戒めず、故に陥り易し。之れに居りて疑はず、故に悔い難し。而して隠々として害其の中に伏す、慎まざるべけんや。是れ余の斯の録有る所以なり」と。
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『講孟余話』盡心下 第六章余野山獄にありて三宅尚斎の伝を読み、伝は近世叢語に出づ、又先哲叢談にも出づ。其の獄中の詩を見て大いに感じ、座右に貼して坐臥是れを見る。其の詩に云く、「富貴寿夭、心を二にせず、但だ面前に向かひて誠心を養ふ。四十余年何事をか学ぶ、笑つて坐す獄中鉄石の心」と。尚斎已に獄を出でて人に語りて云く、「余をして書を知らざらしめば、獄中に在りて何を以てか閑を消せん。唯だ其の書を好む、故に長日永夜終に他事を思ふに暇あらず。何ぞ更に其の閑を憂へんや」と。此の言深く吾が心の同じく然る所を得たり。故に余獄中の詩に云く、「幽囚日月速やかなり、三秋此の夜過ぐ」と、紀実の語なり。真に身を此の地に置く者に非ずんば、安んぞ速の一字を解せん。又安んぞ朱子一語の謬を知らん。
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