武教講録 / 衣食居・奢りを戒め物への執着を離れる
商賣町人は是にても苦しからず、荷も武士の籍に居る者として蒐る所行あらば、誠に恥か敷事に非ずや、惣て衣食住共に、武士たる者は、早晩も郡山御籠城か嚴島御渡海の時の事を以て心に存せば、天晴武士と云べし、因て憶ふ、余野山獄にある時、家兄より水戸景山公甲寅春の壁書とて寫し贈らる、披き見るに云く、飯を得る毎に兵粮の粗々敷を思ひ、衣を得る毎に甲冑の窮屈を思ひ、居宅を搆ふるに陣中の不自由を思ひ、起居の安きに山野の苦を思ひ、父母妻子同居し兄弟親族と交るに遠國離居の時の悲歎を思ひやりて、今日の無事安穩を大幸とせば何ぞ奢の念を生ぜんと、因て是を同囚に示して獄舍の艱苦を泳ふるの一規に當つ、噫是亦此篇の訓と併せ考ふべし、外叔久保翁、衣食住儉素を好み、特に古器物名書畫等一も儲るとなく、盖し其志將さにするとあらんとす、余又曾て京師の梅田源次郎に聞くとあり、熊澤了介先生の家、懸物僅に二幅あり、一は源廷尉弓流しの圖也、一は「筑波山葉山蕃山蕃けれど思ひ入るにはさはらざりけり」の歌なり、並に深く自ら警戒せらるゝ所あり、其他絶て一幅なしとぞ、實に後學の景仰すべきとなり、余亦器物書畫に於て素より翫好あるとなし、然ども、蘇東坡寶繪堂記に、譬之煙雲之過眼、百鳥之感耳、豈不欣然接之、去而不復念也、の語に至ては甚吾心に合す、白樂天詩に、亦莫戀此身、萬劫煩惱根、亦莫厭此身、一聚虛空塵と云も、同一の見解なり、武士たる者此見解なくては討死は出來ぬなり、而して俗士乃ち器物書畫さへ念慮に橫はる位にて、安ぞ煩惱虛空の眞理を了悟するとを得んや、家宅之廣狹用所、尤可守武式と云と、余年來此事に心ありと雖ども未だ家宅を起すとを得ず、
新字:商売町人は是にても苦しからず、荷も武士の籍に居る者として蒐る所行あらば、誠に恥か敷事に非ずや、惣て衣食住共に、武士たる者は、早晩も郡山御籠城か厳島御渡海の時の事を以て心に存せば、天晴武士と云べし、因て憶ふ、余野山獄にある時、家兄より水戸景山公甲寅春の壁書とて写し贈らる、披き見るに云く、飯を得る毎に兵粮の粗々敷を思ひ、衣を得る毎に甲冑の窮屈を思ひ、居宅を搆ふるに陣中の不自由を思ひ、起居の安きに山野の苦を思ひ、父母妻子同居し兄弟親族と交るに遠国離居の時の悲嘆を思ひやりて、今日の無事安穏を大幸とせば何ぞ奢の念を生ぜんと、因て是を同囚に示して獄舎の艱苦を泳ふるの一規に当つ、噫是亦此篇の訓と併せ考ふべし、外叔久保翁、衣食住倹素を好み、特に古器物名書画等一も儲るとなく、盖し其志将さにするとあらんとす、余又曽て京師の梅田源次郎に聞くとあり、熊沢了介先生の家、懸物僅に二幅あり、一は源廷尉弓流しの図也、一は「筑波山葉山蕃山蕃けれど思ひ入るにはさはらざりけり」の歌なり、並に深く自ら警戒せらるゝ所あり、其他絶て一幅なしとぞ、実に後学の景仰すべきとなり、余亦器物書画に於て素より翫好あるとなし、然ども、蘇東坡宝絵堂記に、譬之煙雲之過眼、百鳥之感耳、豈不欣然接之、去而不復念也、の語に至ては甚吾心に合す、白楽天詩に、亦莫恋此身、万劫煩悩根、亦莫厭此身、一聚虚空塵と云も、同一の見解なり、武士たる者此見解なくては討死は出来ぬなり、而して俗士乃ち器物書画さへ念慮に横はる位にて、安ぞ煩悩虚空の真理を了悟するとを得んや、家宅之広狭用所、尤可守武式と云と、余年来此事に心ありと雖ども未だ家宅を起すとを得ず、
書き下し
商賣町人は是にても苦しからず、荷も武士の籍に居る者として蒐る所行あらば、誠に恥か敷事に非ずや、惣て衣食住共に、武士たる者は、早晩も郡山御籠城か嚴島御渡海の時の事を以て心に存せば、天晴武士と云べし、因て憶ふ、余野山獄にある時、家兄より水戸景山公甲寅春の壁書とて寫し贈らる、披き見るに云く、飯を得る毎に兵粮の粗々敷を思ひ、衣を得る毎に甲冑の窮屈を思ひ、居宅を搆ふるに陣中の不自由を思ひ、起居の安きに山野の苦を思ひ、父母妻子同居し兄弟親族と交るに遠國離居の時の悲歎を思ひやりて、今日の無事安穩を大幸とせば何ぞ奢の念を生ぜんと、因て是を同囚に示して獄舍の艱苦を泳ふるの一規に當つ、噫是亦此篇の訓と併せ考ふべし、外叔久保翁、衣食住儉素を好み、特に古器物名書畫等一も儲るとなく、盖し其志將さにするとあらんとす、余又曾て京師の梅田源次郎に聞くとあり、熊澤了介先生の家、懸物僅に二幅あり、一は源廷尉弓流しの圖也、一は「筑波山葉山蕃山蕃けれど思ひ入るにはさはらざりけり」の歌なり、並に深く自ら警戒せらるゝ所あり、其他絶て一幅なしとぞ、實に後學の景仰すべきとなり、余亦器物書畫に於て素より翫好あるとなし、然ども、蘇東坡寶繪堂記に、譬之煙雲之過眼、百鳥之感耳、豈不欣然接之、去而不復念也、の語に至ては甚吾心に合す、白樂天詩に、亦莫戀此身、萬劫煩惱根、亦莫厭此身、一聚虛空塵と云も、同一の見解なり、武士たる者此見解なくては討死は出來ぬなり、而して俗士乃ち器物書畫さへ念慮に橫はる位にて、安ぞ煩惱虛空の眞理を了悟するとを得んや、家宅之廣狹用所、尤可守武式と云と、余年來此事に心ありと雖ども未だ家宅を起すとを得ず、
現代語訳
商売人や町人はこれでも構いませんが、いやしくも武士の籍にある者として、集めるような行いがあれば、まことに恥ずかしいことではありませんか。総じて衣食住とも、武士たる者は、いつでも郡山御籠城か厳島御渡海の時のことを心に思っていれば、あっぱれ武士と言えます。ここで思い出しました。私が野山獄にいた時、兄から水戸の景山公(徳川斉昭)の甲寅の春の壁書と言って写して贈られました。開いてみると、「飯を得るごとに兵糧の粗末さを思い、衣を得るごとに甲冑の窮屈さを思い、住居を構えるには陣中の不自由を思い、起居の安らかさには山野の苦労を思い、父母妻子と同居し兄弟親族と交わるには、遠国に離れ住む時の悲嘆を思いやって、今日の無事安穏を大幸とすれば、どうして奢りの念が生じようか」とありました。そこでこれを同囚に示して、獄舎の艱苦をしのぐ一つの規範としました。ああ、これもこの篇の訓と併せて考えるべきです。外叔の久保翁は、衣食住の倹素を好み、特に古い器物や名書画など一つも蓄えることがありませんでした。おそらくその志するところがあったのでしょう。私はまた、かつて京都の梅田源次郎から聞いたことがあります。熊沢了介先生の家には、掛物が二幅しかなく、一つは源廷尉(義経)の弓流しの図、一つは「筑波山葉山繁山繁けれど思ひ入るにはさはらざりけり」の歌でした。ともに深く自ら警戒するところがあったのです。そのほかは一幅もなかったとのことです。まことに後学が仰ぎ慕うべきことです。私もまた器物や書画に、もとより愛好するところはありません。ただし、蘇東坡の『宝絵堂記』に、「煙雲の目を過ぎ、百鳥の耳に感ずるに譬える。どうして喜んで接しないことがあろうか。去ってもまた思わない」という語に至っては、まことに私の心に合います。白楽天の詩に、「またこの身を恋うなかれ、万劫煩悩の根。またこの身を厭うなかれ、一聚の虚空の塵」というのも、同じ見解です。武士たる者は、この見解がなくては討ち死にはできません。そして俗士は器物や書画さえ念慮にかかるくらいで、どうして煩悩や虚空の真理を悟ることができましょうか。「家宅の広狭や用いどころは、最も武の定式を守るべし」という点については、私は年来この事に心がありましたが、まだ家宅を建てることができません。
解説
この章句が説くこと
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『武教講録』・財寳器物・大節を守るため日々の小恣を忍ぶ靑砥藤綱が松明を買て錢を尋ね、岡左内が常に金銀を玩び娯みとし、事に臨ては君に獻納し朋輩に賑施せし類、皆善く儉吝の辨を示したると云べし、是等の佳話古今に夥しき事なれば、右の書中へ採錄せんと欲す、亦少しく先師の遺意を奉ずるに足らんか、守死於全道の語上篇にも是あり、是れ論語泰伯篇に守死善道と云語より出たる者也、守死とは死を徒らにせず持詰て居るとなり、全道は即ち善道と同意にして、武士の一死は或は泰山より重く、或は鴻毛より輕きを以て、其道を善くして全道に於て一死を致し、平生の小恣を忍て忠孝の大節を立ると也、大節に於て苟も欠くるとあれば、假令一死を潔ふすと云へども全道と云べからず、武士たる者は元日より大晦日迄、日夜朝暮、動靜語默、常に一死を以て心上に措て、扨其一死を又徒らに成らぬ如く持詰る、譬へば、悍馬を引留て立つるが如し、而して眞に心一死を存する人に非れば守るの一字は合點行ぬとなり、南燕の封孚曰、行年七十惟求死所耳と、求の一字叉守の字と相煦して其味を悟るべし、

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