孟子 / 盡心章句下
孟子曰、春秋無義戰。彼善於此、則有之矣。征者上伐下也。敵國不相征也。
新字:孟子曰、春秋無義戦。彼善於此、則有之矣。征者上伐下也。敵国不相征也。
書き下し
孟子曰く、「春秋に義戰無し。彼、此れより善きは、則ち之れ有り。征とは、上、下を伐つなり。敵國は相征せざるなり。」
現代語訳
孟子は言った。 「『春秋』の書には、正義の戦いと見なされたものはない。唯だ、あれよりもこちらの方がよいと記された例はある。義戰とは善が惡を討つことで、征とは、天子が諸侯の惡、乃ち不正不義を正す為に討つことであり、対等の敵国どうしの間では、相手を征伐するということはないのである。」
解説
人間同士の争いや対立において、一方が完全に正しいということは稀です。多くの場合、双方が自分の正義を主張して争いますが、第三者から見れば「どちらかといえばマシ」という程度の違いしかありません。孟子は、対等の立場にある者同士の争いには絶対的な正義は存在しないと指摘します。仕事での対立や人間関係のトラブルでも、自分の正義だけを振りかざすのではなく、相手の立場を理解し、歩み寄る姿勢を持つことが解決の糸口となります。
この章句が説くこと
正義争い相対的相互理解
関連する章句
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「人有り曰く、『我善く陳を為し、我善く戰いを為す。』大罪なり。國君、仁を好めば、天下に敵無し。南面して征すれば、北狄怨み、東面して征すれば、西夷怨む。曰く、『奚為れぞ我を後にする。』武王の殷を伐つや、革車三百兩、虎賁三千人。王曰く、『畏るること無かれ、爾を寧んずるなり。百姓を敵とするに非ざるなり。』崩るるが若く厥角稽首す。征の言為る、正なり。各々己を正しくせんと欲せば、焉くんぞ戰いを用いん。」
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「人皆忍びざる所有り。之を其の忍ぶ所に達するは、仁なり。人皆為さざる所有り。之を其の為す所に達するは、義なり。人能く人を害せんと欲する無きの心を充たさば、仁勝げて用う可からざるなり。人能く穿踰する無きの心を充たさば、義勝げて用う可らざらるなり。人能く爾汝を受くる無きの實を充たさば、往く所として義為らざるは無きなり。士未だ以て言う可からずして言う、是れ言うを以て之を餂るなり。以て言う可くして言わざる、是れ言わざるを以て之を餂るなり。是れ皆穿踰の類なり。」
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『講孟余話』盡心下 第二章此の章、告子下篇第七章と并せ考ふべし。「春秋に義戦無し」と云ふは、即ち彼の章の「五覇は三王の罪人なり」の説なり。「彼此より善きは則ち之れ有り」と云ふは、即ち「今の諸侯は五覇の罪人なり」の義なり。故に彼の章に於て割記する所を往きて見るべし。此の章甚だ読み難し。若し泛然として読書法を論ずとなさば、「尽く書を信ずれば則ち書無きに如かず」の一句是れ主意にして、「吾武成に於て二三策を取るのみ」以下は只其の引証に備ふるのみ。其の意正に萬章上篇第四章、詩を説くことを論じて雲漢の詩を引くが如し。
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「楊子は我が為にするを取る。一毛を抜きて天下を利するも、為さざるなり。墨子は兼愛す。頂を摩し踵に放るも、天下を利するは之を為す。子莫は中を執る。中を執るは之に近しと為すも、中を執りて權すること無ければ、猶ほ一を執るなり。一を執るに惡む所の者は、其の、道を賊うが為なり。一を舉げて百を廢すればなり。」
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『墨子』非儒下又た曰く、「君子は勝ちて奔るを逐わず、函を揜いて射ず、施けば則ち之を助けて車を胥く」と。之に應じて曰く、若し皆な仁人ならば、則ち説くこと無くして相い與せん。仁人は則ち其の取舍是非の理を相い告げ、故無き者は故有るに従い、知らざる者は知有るに従い、辭無ければ必ず服し、善を見れば必ず遷る。何の故にか相い若かん。兩暴、交ごも争いて、其の勝つ者、奔るを逐わず、函を揜いて射ず、施けば則ち之を助けて車を胥くを欲せば、能を盡くすと雖も猶お且つ君子と為るを得ざるなり。意うに暴殘の國なり。聖人、将に世の為に害を除かんとし、師を興して誅罰し、勝ちて将に儒術を用い士卒に令して曰わんとす、「奔るを逐うこと母かれ、函を揜いて射ること勿かれ、施けば則ち之を助けて車を胥け」と。暴亂の人、治を得て天下の害、除かれず。是れ羣もて父母を殘い、而して深く世を賤しむと為すなり。不義、焉より大なるは莫し。
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「其の為さざる所を為すこと無く、其の欲せざる所を欲すること無し。此の如きのみ。」
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