孟子 / 盡心章句下
孟子曰、盡信書、則不如無書。吾於武成、取二三策而已矣。仁人無敵於天下。以至仁伐至不仁。而何其血之流杵也。
新字:孟子曰、尽信書、則不如無書。吾於武成、取二三策而已矣。仁人無敵於天下。以至仁伐至不仁。而何其血之流杵也。
書き下し
孟子曰く、「盡く書を信ぜば、則ち書無きに如かず。吾、武成に於いて、二三策を取るのみ。仁人は天下に敵無し。至仁を以て至不仁を伐つ。而るに何ぞ其の血の杵を流さんや。」
現代語訳
孟子は言った。 「『書経』に書かれていることを、全て信用するようでは、それにより過ちをおかすこともありうるので、それならむしろない方がましである。私は『書経』の武成篇からの二三節を信用するだけだ。誠に仁者であれば天下に敵する者はいない。だから至仁の武王が至不仁の紂を討伐したのだから、血の海に大きな楯が流れるほどの激しい戦いが本当にあったのだろうか。そんなことはあり得ないはずだ。」
解説
どんなに権威のある本や情報であっても、すべてを鵜呑みにしてはいけません。情報に溢れる現代社会において、書かれていることをそのまま信じ込むことは大変危険です。孟子は、立派な指導者であれば無益な大惨事など起こすはずがないと、自分の頭で論理的に考えて古典の記述を疑いました。私たちも、ニュースやSNSの情報をただ受け入れるのではなく、「本当にそうだろうか」と批判的に考え、自分自身の判断基準を持つことが求められます。
この章句が説くこと
情報リテラシー鵜呑みにしない批判的思考判断力
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