講孟余話 / 盡心上 第三十三章
此二章ヲ熟読スレハ、平士ノ心得ハ知ルヘキノミ、盖シ農ハ耕シ、工ハ家宅器皿ヲ製シ、商ハ有無ヲ交易ス、各其職アリテ國ニ益アリ、士ノ仕ル者家老ハ家老ノ職アリ、奉行ハ奉行ノ職アリ、番頭ハ番頭ノ職アリ、物頭ハ物頭ノ職アリ、治民ノ職アリ、理財ノ職アリ、亦皆各事トスル所アリ、獨リ平士ハ上ニシテハ未タ仕ルノ職アラズ、下ニシテハ又農工商ノ職アルコトナシ、頗ル素餐ニ似タリ、然トモ大ニ然ラス、其身ハ仁ニ居リ、其行ハ義ニ由リ、其君之ヲ用ユレハ、固ヨリ其國ヲシテ安冨尊栄ナラシメ、又其君用ヒスト云トモ、其子弟是ニ從遊スレハ、子ハ孝子トナリ、弟ハ悌弟ト成リ、人ノ交ハ忠信トナル也、故ニ平士ノ職ハ一身ノ修治ヲ本トシ、一世ノ風俗ヲ以テ己カ任トナスヘシ、然ラハ其素餐セサルノ功、豈農工商ノ比スヘキナランヤ、乃チ公卿大夫ト云トモ、亦是ニ外ナルコト能ハス、武教小学ノ序ニ、大農大工大商、爲天下之三宝、士無農工商之業、而所以爲三民之長者、無他、能修身正心、而治国平天下也、ト云ヘリ、此二章ト吻合ス、又上ノ第九章獨善ノ義ト合セ考フヘシ、
新字:此二章ヲ熟読スレハ、平士ノ心得ハ知ルヘキノミ、盖シ農ハ耕シ、工ハ家宅器皿ヲ製シ、商ハ有無ヲ交易ス、各其職アリテ国ニ益アリ、士ノ仕ル者家老ハ家老ノ職アリ、奉行ハ奉行ノ職アリ、番頭ハ番頭ノ職アリ、物頭ハ物頭ノ職アリ、治民ノ職アリ、理財ノ職アリ、亦皆各事トスル所アリ、独リ平士ハ上ニシテハ未タ仕ルノ職アラズ、下ニシテハ又農工商ノ職アルコトナシ、頗ル素餐ニ似タリ、然トモ大ニ然ラス、其身ハ仁ニ居リ、其行ハ義ニ由リ、其君之ヲ用ユレハ、固ヨリ其国ヲシテ安冨尊栄ナラシメ、又其君用ヒスト云トモ、其子弟是ニ従遊スレハ、子ハ孝子トナリ、弟ハ悌弟ト成リ、人ノ交ハ忠信トナル也、故ニ平士ノ職ハ一身ノ修治ヲ本トシ、一世ノ風俗ヲ以テ己カ任トナスヘシ、然ラハ其素餐セサルノ功、豈農工商ノ比スヘキナランヤ、乃チ公卿大夫ト云トモ、亦是ニ外ナルコト能ハス、武教小学ノ序ニ、大農大工大商、為天下之三宝、士無農工商之業、而所以為三民之長者、無他、能修身正心、而治国平天下也、ト云ヘリ、此二章ト吻合ス、又上ノ第九章独善ノ義ト合セ考フヘシ、
書き下し
此の二章を熟読すれば、平士の心得は知るべきのみ。蓋し農は耕し、工は家宅器皿を製し、商は有無を交易す、各々其の職ありて国に益あり。士の仕ふる者、家老は家老の職あり、奉行は奉行の職あり、番頭は番頭の職あり、物頭は物頭の職あり、治民の職あり、理財の職あり、亦皆各々事とする所あり。独り平士は上にしては未だ仕ふるの職あらず、下にしては又農工商の職あることなし、頗る素餐に似たり。然れども大いに然らず。其の身は仁に居り、其の行ひは義に由り、其の君之を用ゐれば、固より其の国をして安富尊栄ならしめ、又其の君用ゐずと云へども、其の子弟是れに従遊すれば、子は孝子となり、弟は悌弟と成り、人の交はりは忠信となるなり。故に平士の職は一身の修治を本とし、一世の風俗を以て己が任となすべし。然らば其の素餐せざるの功、豈に農工商の比すべきならんや。乃ち公卿大夫と云へども、亦是れに外なること能はず。武教小学の序に、「大農・大工・大商、天下の三宝と為す。士は農工商の業なくして、三民の長たる所以の者は、他なし、能く身を修め心を正しうして、国を治め天下を平らかにすればなり」と云へり。此の二章と吻合す。又上の第九章独善の義と合せ考ふべし。
現代語訳
この二つの章をよく読めば、役職のない平の武士の心得が分かる。思うに、農民は耕し、職人は家や器を作り、商人は物の有無を交換し、それぞれ職分があって国に役立っている。仕える武士も、家老には家老の職、奉行には奉行の職、番頭には番頭の職、物頭には物頭の職があり、民を治める職、財政を担う職があって、みなそれぞれ務めとする事がある。ただ平の武士だけは、上を見ればまだ仕える職がなく、下を見れば農工商の職もない。まるで何もせずに禄を食んでいるようである。けれども決してそうではない。その身は仁に居り、その行いは義に従い、主君が用いれば、もとよりその国を安らかで豊かで尊く栄えるものにし、また主君が用いなくても、その子弟が彼について学べば、子は孝行な子となり、弟は兄を敬う弟となり、人との交わりは真心と信義あるものとなる。だから平の武士の職分は、自分の身を修めることを根本とし、世の中の風俗をよくすることを自分の任務とすべきである。そうであれば、何もせずに禄を食むのではないその功績は、どうして農工商と比べられようか。公卿大夫であっても、これ以外のことはできない。武教小学の序に「大いなる農・工・商は天下の三つの宝である。武士が農工商の仕事をせずに三民の長であるゆえんは、ほかでもない、身を修め心を正して、国を治め天下を平らかにできるからである」とある。この二章とぴったり合っている。また前の第九章の「独りその身を善くする」の意味と合わせて考えるとよい。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』滕文公上 第四章「大人の事あり、小人の事あり」。大人の事は心を労して人を治め人に食はるるなり。小人の事は力を労して人を食ひ人に治めらるるなり。凡そ人に四等あり、士農工商と云ふ。就中農工商を国の三宝と称し、各々其の職業ありて、国に於て一も欠くべからず。独り士に至りては三者の如き業あることなし。而して其の職業を思はず、厚禄を費し衣食居の奢を窮め、敖然として三者に驕るは、豈に畏れ多きことに非ずや。故に士と生れたる者は、文武を修熟し、治乱の御奉公を心掛くべきこと固なり。但し吾輩已に幽囚の身となり、此等の事を語るも空談に近し。而して大いに然らざる者あり。何となれば、今日食ふ所の食、衣る所の衣、用ふる所の器、皆是れ国家の余沢に非ずや。而して我れ農工商の業をなして、以て国恩に報ずべきの身ならねば、亦唯書を読み道を講じ、忠孝の一端なりとも研究し、他日に報ずることを忘るべからず。士は三民の首にして、君は又諸士の長なれば、其の自ら養ふ益々厚く、自ら職とする益々重し。人に食はるるのみにて、力を労し人を治むることなくんば、其れ何とか云はん。是れ許行が説の已むを得ざる所なり。
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『講孟余話』盡心上 第三十三章抑々今の士は名づけて武士と云ふ。其の本職禍乱を平らげ夷賊を攘ふにあり。今時の如く天下太平の唯中にては、人皆其の本職を忘れ、修文講武も何の用たることを知らず。此の時に当たりて自ら其の本職を講究し、一世の武士をして亦其の本職を知りて是れを講究せしめ、国家を盛強に馴致せば、豈に其の徒食とせんや。「素餐せず」、此の四字は切実の語なり。徒食せぬと云ふことなり。貴賤智愚となく、三度の食事をせぬ者はなし。功なくして徒食せば、空しく天地間有用の物を糜すと云ふべし。宜しく一日三省して三食の徒にならぬ如く心掛くべし。
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段天下の商人に背き、元銀は是、利は是とは分けがたきことなり。偽りにはあらず。是を偽りと云はば、売買なるまじ。売買ならずば、買ふ人は事を欠き、売る人は売れまじ。左様になりゆかば、商人は渡世なくなり、農工と成らん。商人皆農工とならば、財宝を通す者なくして、万民の難儀とならん。士農工商は、天下の治まる相けとなる。四民かけては、助け無かるべし。四民を治めたまふは、君の職なり。君を相くるは、四民の職分なり。士は元来位ある臣なり。農人は草莽の臣なり。商工は市井の臣なり。臣として君を相くるは臣の道なり。商人の売買するは、天下の相けなり。細工人に作料を給はるは工の禄なり。農人に作間を下さるることは、是も士の禄に同じ。
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『慎思録』巻之五四民各職とする所有り。唯士為る者は、君に事へ民を済ふを以て職と為す。故に衆民の上に在りて、民の貢ぐ所を食む。必ず須らく斯の民を済ふに足りて、而る後に斯の民の養ひを享くべし。然らずんば則ち素餐のみ。凡そ其の養ひを享くる者は、其の勤めに労し其の事に死して可なり。苟も其の養ひを受けて其の職を廃すれば、之を譴責する者無しと雖も、豈に其の心に恥ぢざるべけんや。柳子厚の薛存義を送るの序にも、亦斯の意を見るのみ。
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『家道訓』巻之二・総論中一家のわざを能くつとむれば、利養は求めずして其内にあり。士は、奉公をよくつとめてへつらはず、農は田畠をよく作りて、公をおそれて公役をよくつとめ、工は器物に心を用ひてよく作り出し、粗相なる物をつくりて人を欺かず。商は交易をつとめて偽らず、高利をとらず。四民共にかくのごとくなれば、あながちに利をむさぼらざれども、福禄はおのづから来る。つとむべきわざを正路につとめずして、ひが事をして利をむさぼる者は、一旦は人により幸ありといへども、天道のにくみ給ふ理なれば、後は必ず禍あり。愚人は、当時早く利を得んとして、後の禍をしらず。四民共に、只正直にわが家のわざをよくつとめ、天道をおそれて偽なかるべし。是わざはひをのがれ、福を得る道なり。
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『翁問答』下卷之本体充問曰、士道の吟味は、いかゞ仕りたるがよく候や。師の曰、むかし斉王の子塾と云人孟子にあふて曰、四民のうち農工商賈各々みなその所作あり、今の士を見るに酒嚢飯袋といへるが如く、軽暖の衣服をきて甘美の酒食にあけるのみにて、さしてつとめはげます所作は見えず、士たるものは何事を所作とするものにて候やとゝはれたり、孟子の曰、農工商賈にちからを労して人を養ふを事とし、士より上は心を労して人を治むるを事とする故に、明徳をあきらかにして、仁義を行ふが士の所作なりと答へたまひけり、しかる時は儒道が即ち士道なれば、真儒の心学にて吟味したるがよろしく候、さなくては吟味正真の義理にあたらぬものなり、近代甲斐の信玄は文学をもめされて、随分吟味つよき大将なり、しかれども真儒の心学なきによつて、軍鑑の吟味正真の義理にあたるは少なし、よくよく体認あるべし。
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