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講孟余話 / 盡心上 第三十章

是章、湯武ノ身之ニ傚フ時ハ、終ニハ堯舜ノ性之ト同一ニナルコトヲ云テ、人ヲ勵マシ、又深ク五覇ノ假之ヲ戒ムルナリ、假之ハ実心ニ之ナキコトヲ有ル容子ニ外ニ僞飾スルコトナレハ、誠ニ学問ニ於極テ惡事トスル也、身之ノ工夫ハ、上章掘井ノ喩ヲ以テ知ルヘシ有伊尹之志則可、一語乱臣賊子ヲシテ骨寒カラシム、眞ニ身ヲ設ケテ其地ニ置カハ自ラ知ラン、此語ノ功豈夫子麟經ノ下ニ居ランヤ、此義萬章下篇末章、貴戚ノ卿君ノ位ヲ易ルノ下ニ於テ割記ス、往テ見ルヘシ、右五月二十三夜第三十二章

新字:是章、湯武ノ身之ニ傚フ時ハ、終ニハ堯舜ノ性之ト同一ニナルコトヲ云テ、人ヲ励マシ、又深ク五覇ノ仮之ヲ戒ムルナリ、仮之ハ実心ニ之ナキコトヲ有ル容子ニ外ニ偽飾スルコトナレハ、誠ニ学問ニ於極テ悪事トスル也、身之ノ工夫ハ、上章掘井ノ喩ヲ以テ知ルヘシ有伊尹之志則可、一語乱臣賊子ヲシテ骨寒カラシム、真ニ身ヲ設ケテ其地ニ置カハ自ラ知ラン、此語ノ功豈夫子麟経ノ下ニ居ランヤ、此義万章下篇末章、貴戚ノ卿君ノ位ヲ易ルノ下ニ於テ割記ス、往テ見ルヘシ、右五月二十三夜第三十二章

書き下し

是の章、湯・武の之を身にするに傚ふ時は、終には堯・舜の之を性にすると同一になることを云ひて、人を励まし、又深く五覇の之を仮るを戒むるなり。之を仮るは実心に之なきことを有る容子に外に偽飾することなれば、誠に学問に於て極めて悪事とするなり。之を身にするの工夫は、上章井を掘るの喩へを以て知るべし。「伊尹の志あれば則ち可なり」、一語乱臣賊子をして骨寒からしむ。真に身を設けて其の地に置かば自ら知らん。此の語の功、豈に夫子の麟経の下に居らんや。此の義萬章下篇末章、貴戚の卿君の位を易ふるの下に於て割記す、往きて見るべし。右五月二十三夜。第三十二章。

現代語訳

この章は、湯王・武王のように道を身につけようと努めれば、ついには堯・舜のように道を本性とするのと同じになることを言って人を励まし、また五覇のように道を借りるだけであることを深く戒めている。「借りる」とは、本心にはないのに、あるような様子を外に偽り飾ることであるから、学問においてはまことに最も悪いこととされる。身につける工夫については、前の章の井戸を掘るたとえで分かるだろう。「伊尹の志があるならばよい」。この一言は、主君を乱し国を奪う臣の骨を寒からしめる。本当に自分の身をその立場に置いてみれば、おのずと分かるだろう。この言葉の功は、どうして孔子の春秋に劣ろうか。この意味は、萬章下篇末章の、王族の大臣が君主の位を替えるという箇所で書き留めておいた。行って見るとよい。以上、五月二十三日の夜。第三十二章。

解説

第三十章で孟子は、堯舜は仁を本性とし、湯武は身につけ、五覇は借りただけだと区別します。松陰は、借り物の徳、つまり内心にないものを外に飾ることを、学問で最も悪いことだと戒めます。続く第三十一章では、伊尹が暗君の太甲を一時追放したことについて、伊尹のような私心のない志があれば許されると孟子が答えます。松陰は、この一言が君主を利用しようとする者を震え上がらせると見ました。行いの是非は形ではなく、その奥にある志で決まるという考えです。

この章句が説くこと

誠実偽飾志伊尹徳

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