葉隠 / 聞書第一
奉公人は一向に主人を大切に歎くまでなり。これ最上の被官なり。御當家御代々、名譽の御家中に生れ出で、先祖代々御厚恩の儀を淺からぬ事に存じ奉り、身心を擲ち、一向に歎き奉るばかりなり。此の上に智慧・藝能もありて相應々々の御用に立つは猶幸なり。何の御用にも立たず、不調法千萬の者も、ひたすらに歎き奉る志さへあれば、御賴み切りの御被官なり。智慧・藝能ばかりを以て御用に立つは下段なり。
新字:奉公人は一向に主人を大切に嘆くまでなり。これ最上の被官なり。御当家御代々、名誉の御家中に生れ出で、先祖代々御厚恩の儀を浅からぬ事に存じ奉り、身心を擲ち、一向に嘆き奉るばかりなり。此の上に智慧・芸能もありて相応々々の御用に立つは猶幸なり。何の御用にも立たず、不調法千万の者も、ひたすらに嘆き奉る志さへあれば、御頼み切りの御被官なり。智慧・芸能ばかりを以て御用に立つは下段なり。
書き下し
奉公人は一向(いっこう)に主人を大切に歎(なげ)くまでなり。これ最上の被官(ひかん)なり。御当家御代々(ごだいだい)、名誉の御家中(ごかちゅう)に生れ出(い)で、先祖代々御厚恩(ごこうおん)の儀を浅からぬ事に存じ奉(たてまつ)り、身心(しんしん)を擲(なげう)ち、一向に歎き奉るばかりなり。この上に智慧(ちえ)・芸能もありて相応相応(そうおうそうおう)の御用に立つは猶(なお)幸(さいわい)なり。何の御用にも立たず、不調法千万(せんばん)の者も、ひたすらに歎き奉る志さえあれば、御頼み切りの御被官なり。智慧・芸能ばかりを以て御用に立つは下段(げだん)なり。
現代語訳
奉公人は、ただひたすら主人を大切に思い、その身を案じ尽くすだけでよい。これが最上の家臣である。代々つづく名誉ある家中に生まれ、先祖代々の厚い恩を深く受けとめ、身も心も投げ出して、ただ主人を思い尽くすのである。その上で知恵や技能もあって、それぞれ相応の役に立てるなら、なお結構なことだ。たとえ何の役にも立たず、不調法きわまりない者であっても、ひたすら主人を思う志さえあれば、心から頼りにされる家臣である。知恵や技能ばかりを頼りに役立とうとするのは、下等な奉公にすぎない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
史記 刺客列伝高漸離名姓を変じて人の庸保と為り、宋子に匿れ作す。之を久しくして、作苦しく、其の家の堂上に客の筑を撃つを聞き、傍偟して去る能はず。毎に言を出だして曰く、「彼に善有り善ならざる有り」と。従者以て其の主に告げて曰く、「彼の庸は乃ち音を知り、竊かに是非を言ふ」と。家の丈人召して前に筑を撃たしむ。一坐善しと称し、酒を賜ふ。而して高漸離、久しく隠れて畏約すること窮まる時無きを念ひ、乃ち退きて、其の装匣の中の筑と其の善衣とを出だし、容貌を更めて前む。坐を挙げて客皆驚き、下りて与に抗礼し、以て上客と為す。筑を撃ちて歌はしむ。客流涕して去らざる者無し。宋子伝へて之を客とし、秦の始皇に聞こゆ。秦の始皇召し見る。人識る者有りて、乃ち曰く、「高漸離なり」と。秦の皇帝其の善く筑を撃つを惜しみ、重ねて之を赦し、乃ち其の目を矐す。筑を撃たしむるに、未だ嘗て善しと称せずんばあらず。稍く益々之に近づく。高漸離乃ち鉛を以て筑の中に置き、復た進みて近づくを得、筑を挙げて秦の皇帝を樸つ。中らず。是に於て遂に高漸離を誅し、身を終ふるまで復た諸侯の人に近づかず。魯句践已に荊軻の秦王を刺せしを聞き、私かに曰く、「嗟乎、惜しいかな其の刺剣の術を講ぜざりしや。甚だしいかな吾の人を知らざるや。曩者吾之を叱す。彼乃ち我を以て人に非ずと為せしならん」と。太史公曰く、世に荊軻を言ふに、其の太子丹の命を称して、「天粟を雨らし、馬角を生ず」とするや、太だ過ぎたり。又荊軻秦王を傷つくと言ふも、皆非なり。始め公孫季功・董生、夏無且と游び、具に其の事を知り、余の為に之を道ふこと是の如し。曹沫より荊軻に至るまで五人、此れ其の義或いは成り或いは成らず。然れども其の意を立つること較然として、其の志を欺かず、名後世に垂る。豈に妄ならんや。
-
『講孟余話』盡心上 第三十章是の章、湯・武の之を身にするに傚ふ時は、終には堯・舜の之を性にすると同一になることを云ひて、人を励まし、又深く五覇の之を仮るを戒むるなり。之を仮るは実心に之なきことを有る容子に外に偽飾することなれば、誠に学問に於て極めて悪事とするなり。之を身にするの工夫は、上章井を掘るの喩へを以て知るべし。「伊尹の志あれば則ち可なり」、一語乱臣賊子をして骨寒からしむ。真に身を設けて其の地に置かば自ら知らん。此の語の功、豈に夫子の麟経の下に居らんや。此の義萬章下篇末章、貴戚の卿君の位を易ふるの下に於て割記す、往きて見るべし。右五月二十三夜。第三十二章。
-
『養生訓』巻第六・択医一医となる人は、まづ志を立て、ひろく人をすくひ助くるに、まことの心をむねとし、病人の貴賤によらず、治をほどこすべし。是医となる人の本意なり。其道明かに、術くはしくなれば、我より強ひて人にてらひ、世に求めざれども、おのづから人にかしづき用ひられて、さいはひを得る事、かぎりなかるべし。もし只我が利養を求むるがためのみにて、人をすくふ志なくば、仁術の本意をうしなひて、天道神明の冥加あるべからず。
-
『明君家訓』第5条士は右申通、節義をたしなみ、人がら貞信にさへ候得者、世話のごとく立居振舞不調法にして、物言あしく候ても、士の瑕にて無之候、少しもくるしからざる儀に候、當代士多くは貞心に無之、憖に指當さかしく、世話賢く、立居振舞見ぐるしからず候故、をのれが才智に、あくまで自慢いたし、貞信なるものをば、かへつて初心なりと見下し、其有樣輕薄なる輩有之、其内剩老功にて樣子しづかにとりつくろひ、能人がらに化したるも有之、又不功にてうは氣に見ゆるも有之、其品色々かはり候へども、皆同類の人にて候、加樣の人才智有のみならず、血氣にてこそ候へ、似合に勇力もあるゆへに、或は己が役儀、或は傍輩の事につき、少々苦勞なる儀をも、をのれが名利の頼有之内は、身にひきうけて精を出すものにて候、其故たのもしき人がらの樣にも見え候へども、元來佞人にて一筋に義理を守るこゝろなく候故、大事にのぞみては、かならず時々摸樣を見合、眞實の志なきものに候、一命を捨候て、專度の用に立申儀などは存もよらず、某が家臣にもかくのごときの人有之候や、大に政敎の妨に候、周公の才、孟賁が勇候とも、少しも珍重に存ぜず候、又は世に結構人と稱へ申内に、生質柔弱にして才智もなく、禮法も不存、言行につき正しき事をば嫌ひて、酒宴遊興に日を送る輩有之候、是はさながらあしき人がらと顯れ候へば、前の佞人よりは憎からず候へども、某が政敎を破り申所は同事に候、此兩樣の人行に似候はぬ樣可被相嗜候、
-
『大和俗訓』巻之一・為学上されども芸は末なり、道義の学は本なり。芸をひたすら好めば、必学の志をうばはれて失ふものなり。いはんや私欲のなぐさみ好みにまかするをや。いましむべし。志を立つれば、たとへば西国の人のあづまへ行かんとおもひ立ちて、日々に行くに、其間昼夜あづまへ行かんと思ふ心は、念々つねにやまず。是あづまへ行く志たつなり。かくの如くなれば、つひに志す所に行きとどかずといふ事なし。道に志すも亦かくの如くなるべし。
-
孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る