講孟余話 / 盡心上 第二十二章
我国足利氏ノ末、天下瓜分ノ際、群雄方隅ニ割拠シ、各旗ヲ上国ニ立テ、天下ニ號令スルコトヲ願ハサルハナシ、而其心天子將軍ニ爲ニ非ス、天下萬民ノ爲ニ非ス、皆其私ヲ逞クセント欲スルノミ、甲越二氏及ヒ三好氏抔ノナス所ニ至テハ、人ヲシテ嘔吐ニ堪サラシム、獨リ我洞春公、陶賊ヲ伐チ尼子ヲ征ス、或ハ大義ヲ明ニシ、或ハ民命ヲ重ンシ、特ニ足利氏ノ衰頽ヲ憂ヒ、義昭ヲ舘シ、朝典ノ廃闕ヲ嘆テ、即位料ヲ献スルノ類、皆至公至仁ノ心ヨリ出テ、殊テ私ヲ逞クスルノ念アルコトナシ、敢テ廣土衆民ヲ爭フニ非ス、是文王ノ文王タル所ハ即チ洞春公ノ洞春公タル所ニシテ、皆今諸侯ノ良師ト云ヘシ、余常ニ慨ス、今ノ諸矦ノ臣タル者、其志ス所、皆其一国ニ止テ其他ヲ恤フルニ遑アラス、其極メ一国スラ治メ得ス、哀ムヘキノ甚シキ也、安ンソ英傑ノ士ヲ興シテ文王洞春公ノ德業ヲ語ルコトヲ得ンヤ、右五月二十夜
新字:我国足利氏ノ末、天下瓜分ノ際、群雄方隅ニ割拠シ、各旗ヲ上国ニ立テ、天下ニ号令スルコトヲ願ハサルハナシ、而其心天子将軍ニ為ニ非ス、天下万民ノ為ニ非ス、皆其私ヲ逞クセント欲スルノミ、甲越二氏及ヒ三好氏抔ノナス所ニ至テハ、人ヲシテ嘔吐ニ堪サラシム、独リ我洞春公、陶賊ヲ伐チ尼子ヲ征ス、或ハ大義ヲ明ニシ、或ハ民命ヲ重ンシ、特ニ足利氏ノ衰頽ヲ憂ヒ、義昭ヲ舘シ、朝典ノ廃闕ヲ嘆テ、即位料ヲ献スルノ類、皆至公至仁ノ心ヨリ出テ、殊テ私ヲ逞クスルノ念アルコトナシ、敢テ広土衆民ヲ争フニ非ス、是文王ノ文王タル所ハ即チ洞春公ノ洞春公タル所ニシテ、皆今諸侯ノ良師ト云ヘシ、余常ニ慨ス、今ノ諸矦ノ臣タル者、其志ス所、皆其一国ニ止テ其他ヲ恤フルニ遑アラス、其極メ一国スラ治メ得ス、哀ムヘキノ甚シキ也、安ンソ英傑ノ士ヲ興シテ文王洞春公ノ徳業ヲ語ルコトヲ得ンヤ、右五月二十夜
書き下し
我が国足利氏の末、天下瓜分の際、群雄方隅に割拠し、各々旗を上国に立て、天下に号令することを願はざるはなし。而して其の心、天子・将軍の為に非ず、天下万民の為に非ず、皆其の私を逞しくせんと欲するのみ。甲越二氏及び三好氏などのなす所に至りては、人をして嘔吐に堪へざらしむ。独り我が洞春公、陶賊を伐ち尼子を征す。或いは大義を明らかにし、或いは民命を重んじ、特に足利氏の衰頽を憂ひ、義昭を館し、朝典の廃闕を嘆きて、即位料を献ずるの類、皆至公至仁の心より出でて、殊に私を逞しくするの念あることなし。敢へて広土衆民を争ふに非ず。是れ文王の文王たる所は即ち洞春公の洞春公たる所にして、皆今の諸侯の良師と云ふべし。余常に慨す、今の諸侯の臣たる者、其の志す所、皆其の一国に止まりて其の他を恤ふるに遑あらず。其の極め、一国すら治め得ず、哀しむべきの甚しきなり。安んぞ英傑の士を興して文王・洞春公の徳業を語ることを得んや。右五月二十夜。
現代語訳
わが国では足利氏の末、天下が瓜を割るように分かれたとき、群雄が各地に割拠し、それぞれ京に旗を立てて天下に号令したいと願わない者はなかった。しかしその心は、天子や将軍のためでも、天下万民のためでもなく、みな自分の私欲を思うままにしたいだけであった。甲斐・越後の二氏や三好氏などのしたことに至っては、人に吐き気を催させるほどである。ただわが洞春公(毛利元就)だけは、逆臣の陶晴賢を討ち、尼子氏を征した。あるいは大義を明らかにし、あるいは民の命を重んじた。とりわけ足利氏の衰えを憂えて足利義昭をかくまい、朝廷の儀式が廃れているのを嘆いて即位の費用を献上したことなどは、みな極めて公正で仁愛に満ちた心から出たもので、決して私欲を遂げようとする思いはなかった。広い土地や多くの民を争ったのではない。つまり、文王が文王であるゆえんは、そのまま洞春公が洞春公であるゆえんであって、どちらも今の諸侯のよい師というべきである。私はいつも嘆いている。今の諸侯の家臣たる者は、志すところがみな自分の一国にとどまり、他を思いやる暇がない。そのあげく、一国さえ治められない。まことに哀れむべきことだ。どうして英傑の士を奮い立たせ、文王や洞春公の徳と事業を語ることができようか。以上、五月二十日の夜。
解説
この章句が説くこと
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『講孟余話』盡心上 第二十二章此の章、梁恵王上篇第三章・末章に云ふ所と、全く其の義を同じうす。但し是れは養老の二字より説明す、最も親切を覚ゆ。「庠序学校を設け為す」と云はずして「其の妻子を導き、其の老を養ふ」と云ふ。是れ上行ひて下傚ひ、上令して下従ふを以て云ふ。庠序学校其の内にあり。伯夷・太公の文王に帰すること、又離婁上篇第十三章に出づ。合せ考へて知るべし、彼は虚を以て説き、是は実を以て説くことを。孟子聖人を引く、各々指す所あり。舜の事の如きは、前の第六章に云ふが如し。文王の事に至りては、此の章及び梁恵王上篇第二章(民と楽しみを同じうするの事)、下篇第三章(勇を好むの事)、第四章(岐を治むるの事)、離婁上篇第七章(文王を師とするの事)、第十三章(養老の事)、下篇第二十章(民を視ること傷むが如しの事)、上の第十章(文王を待ちて興るの事)等、大抵民を愛し仁を施し、業を創め統を垂るるに就きて云ふ。余常に謂ふ、今の諸侯に在りて尤も法を取るべきは文王に如くはなしと。又窃かに謂ふ、我が洞春公の業大いに文王に似たりと。文王の志は他国を并呑するに在らず、天位を窺窬するに在らず、只己が国政を正し、己が国民を撫し、其の心を推して隣国他国にても正しからざるの政、安んぜざるの民あれば、往きて正し往きて安んじ、方百里より天下を三分して其の二を有するに至ると云へども、一毫の覇気あることなく、敢へて威力を以て人を劫制し、其の国を利し其の民を役するに非ず。但し隣国を正して隣国服し、他国を安んじて他国悦ぶのみ。虞・芮の二国成を質すの一事を以ても亦知るべし。
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『講孟余話』盡心上 第五章余足利末路の史を読む毎に、其の勇義の人多きに感じ、又其の君を見ること逆旅の主人の如く、其の大節大義に闕けたる人多きを哀しむ。余因りて当時勇義の士を分ちて二等とし、一は全節伝とし、山中鹿之助幸盛の如く、始終一主の為めにせし人を収め、一は一節伝と云ひて、後藤又兵衛基次の勇義と云へども、初め黒田に仕へ、又細川に仕へ、後遂に大坂城に入りて節を尽くす、此の類の人を収め、二伝を以て世禄の士を諷せんと欲す。未だ及ぶこと能はず。是れを源平の時にて言はば、斎藤別当実盛の如き、白髪を染めて北陸にて戦死せしは勇々しけれども、関東の旧臣にてありながら、義朝の没落に死すること能はずして叛きて平氏に事へたれば、一節の人なり。上総五郎忠光の如きは、平家滅亡の後八年まで其の志を変ぜず、利刃を懐にして頼朝を刺さんとせしは、事成らずと云へども、真に全節の人と云ふべし。是等の処学問思弁の入る所なり。郷里無学の一善人にては覚束なし。此の章本文已に明らかにして、朱註又尽くせり。故に姑く言外の余意を論ず。第六章
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