二宮翁夜話 / 巻之五
或曰、毛利元就曰く、百事思ふ半分も、成就せぬ物なり、中国の主たらんと思ふて、漸く一国の主たるべし、天下の主たらんと願ひて、漸く中国の主たるべしと、実に然るべし、翁曰、理或は然らん、然りといへ共、是れ乱世大将の志にして、我が門の称せざる処なり、夫れ舜禹の帝王たるや、其の帝王たらん事を願はず、只一途に勤むべき事を、勤めしのみ、親に事へては、親の為に尽し、君に事へては、君の為に尽し、耕稼陶漁、皆其の事に就きて尽せるのみ、舜の歴山にある、禹の舜に事ふる時、何ぞ帝王たる事を願ひて然らんや、己の身ある事を知らず、只君親ある事を知るのみ、古書に舜禹の事を述ぶるを、見て知るべし、此の如くならざれば、一家一村といへ共、歓心を得る事難し、平治する事難し、譬へば家を取らん事を願ひて、家を取り、村長とならん事を願ひて、村長となるの類、其の家其の村必ず治らず、如何となれば、斯くせんと欲して為せば、謀計機巧を用ふればなり、謀計機巧は、衆恨の聚まる処なれば、一旦勢に乗じ智力を用ひ、是を為すといへ共、焉んぞ能く久しきを保たんや、焉んぞ能く治平を得んや、是れ我が門の戒むる処なり、夫れ東照公は国を治め民を安んずるの天理なる事を知りて、一途に勤めたりと宣へり、乱世にしてすら此の如し、敬服せざるべけんや、富商の番頭、忠実を其の主家に尽して、終に婿となり、主人となる者多し、夫れ商法家は家を愛する事、堯舜の天下を愛するが如くなる、故に然るなり。
書き下し
或ひと曰く、毛利元就(もうりもとなり)曰く、百事思ふ半分も、成就せぬ物なり、中国の主たらんと思ふて、漸(ようや)く一国の主たるべし、天下の主たらんと願ひて、漸く中国の主たるべしと、実に然るべし、翁曰く、理或は然らん、然りといへ共、是れ乱世大将の志にして、我が門の称せざる処なり、夫れ舜禹(しゅんう)の帝王たるや、其の帝王たらん事を願はず、只一途に勤むべき事を、勤めしのみ、親に事(つか)へては、親の為に尽し、君に事へては、君の為に尽し、耕稼陶漁(こうかとうぎょ)、皆其の事に就きて尽せるのみ、舜の歴山(れきざん)にある、禹の舜に事ふる時、何ぞ帝王たる事を願ひて然らんや、己の身ある事を知らず、只君親ある事を知るのみ、古書に舜禹の事を述ぶるを、見て知るべし、此の如くならざれば、一家一村といへ共、歓心(かんしん)を得る事難し、平治する事難し、譬へば家を取らん事を願ひて、家を取り、村長とならん事を願ひて、村長となるの類(るい)、其の家其の村必ず治らず、如何となれば、斯くせんと欲して為せば、謀計機巧(ぼうけいきこう)を用ふればなり、謀計機巧は、衆恨(しゅうこん)の聚(あつ)まる処なれば、一旦勢(いきおい)に乗じ智力を用ひ、是を為すといへ共、焉(いずく)んぞ能く久しきを保たんや、焉んぞ能く治平を得んや、是れ我が門の戒むる処なり、夫れ東照公(とうしょうこう)は国を治め民を安んずるの天理なる事を知りて、一途に勤めたりと宣(のたま)へり、乱世にしてすら此の如し、敬服せざるべけんや、富商の番頭、忠実を其の主家に尽して、終に婿(むこ)となり、主人となる者多し、夫れ商法家は家を愛する事、堯舜(ぎょうしゅん)の天下を愛するが如くなる、故に然るなり。
現代語訳
ある人が言った。毛利元就はこう言った。何事も思う半分も成就しないものだ。中国地方の主になろうと思ってやっと一国の主になれ、天下の主になろうと願ってやっと中国地方の主になれる、と。まことにその通りだろう、と。翁が言われた。その理屈はそうかもしれない。しかしこれは乱世の大将の志であって、我が門の唱えるところではない。そもそも舜や禹が帝王になったのは、帝王になろうと願ったのではなく、ただひたすら勤めるべきことを勤めただけだ。親に仕えては親のために尽くし、君に仕えては君のために尽くし、耕作も焼き物も漁も、みなその仕事に就いて尽くしただけだ。舜が歴山にいたとき、禹が舜に仕えたとき、どうして帝王になろうと願っていただろうか。自分の身があることを知らず、ただ君や親がいることを知るだけだった。古書に舜禹のことを述べているのを見れば分かる。このようでなければ、一家一村といっても人の心をつかむことは難しく、平穏に治めることは難しい。たとえば、家を得ようと願って家を得、村長になろうと願って村長になる類は、その家その村は必ず治まらない。なぜなら、こうしようと欲してすれば、はかりごとや小細工を用いるからだ。はかりごとや小細工は多くの人の恨みが集まるところだから、一時は勢いに乗じ知力を用いてこれを成しても、どうして長く保てようか、どうして平和に治められようか。これが我が門の戒めるところだ。そもそも東照公(徳川家康)は、国を治め民を安んじることが天の理だと知って、ひたすら勤めたと言われる。乱世ですらこうなのだ。敬服しないでいられようか。裕福な商人の番頭が、主家に忠実を尽くして、ついに婿となり主人となる者が多い。それは商家が家を愛すること、堯舜が天下を愛するのと同じだからこそ、そうなるのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公元年 師に私無し元年春、即位を稱せざるは、公出づるが故なり。公出でて復た入るを書せざるは、之を諱むなり。國の惡を諱むは、禮なり。諸侯邢を救ふ。邢人潰え、出でて師に奔る。師遂に狄人を逐ひ、邢の器用を具へて之を遷す。師私無し。夏、邢夷儀に遷る。諸侯之に城くは、患ひを救ふなり。凡そ侯伯、患ひを救ひ、災ひを分かち、罪を討つは、禮なり。秋、楚人鄭を伐つ、鄭齊に即くが故なり。犖に盟ふ、鄭を救はんことを謀るなり。九月、公邾の師を偃に敗る。虛丘の戍の將に歸らんとする者なり。冬、莒人來たりて賂を求む。公子友諸を酈に敗り、莒子の弟拏を獲。卿に非ざるなり、獲たるを嘉するなり。公季友に汶陽の田、及び費を賜ふ。夫人氏の喪齊より至る。君子以へらく、齊人の哀姜を殺すや、已甚しと爲すと。女子は人に從ふ者なり。
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『墨子』兼愛下泰誓に曰く、「文王は日の若く月の若く乍ち照らし、四方に光り、西土に于てす」と。即ち此れ文王の天下を兼愛するの博大なるを言うなり。之を譬うるに日月の兼ねて天下を照らして私有ること無きがごとし。即ち此れ文王の兼なり。子墨子の謂う所の兼なる者と雖も、文王に於て法を取れり。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「堯・舜は性のままなる者なり。湯・武は之に反るなり。動容周旋、禮に中る者は、盛德の至りなり。死を哭して哀しむは、生者の為に非ざるなり。經德回ならざるは、以て禄を干むるに非ざるなり。言語必ず信なるは、以て行いを正すに非ざるなり。君子は法を行いて、以て命を俟つのみ。」
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説苑・貴德楚王荘辛に問ひて曰く、「君子の行ひは奈何」と。荘辛対へて曰く、「居るに垣牆を為さざるも、人能く毀傷すること莫し。行くに周衛に従はざるも、人能く君を暴すること莫し。此れ君子の行ひなり」と。楚王復た君子の富は奈何と問ふ。対へて曰く、「君子の富は、人に貸すも徳とせず、責めざるなり。其の飲食を人に食はしむるも使はず、役せざるなり。親戚之を愛し、衆人之を喜び、不肖なる者すら之に事ふ。皆其の寿楽にして患に傷まざらんことを欲す。此れ君子の富なり」と。楚王善しと曰ふ。
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『太上感応篇』善行・恩を施して報いを求めず辱を受くるも怨みず、寵を受くるも驚くが若し。恩を施して報いを求めず、人に与へて追ひて悔いず。
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『関聖帝君覚世真経』第四段・吾れ本と私無し、惟だ善人を佑く万禍雪のごとく消え、千祥雲のごとく集まらん。諸ろ此くの如き福は、惟だ善のみ致すべし。吾れ本と私無し、惟だ善人を佑く。衆善奉行せよ、厥の志を怠ること毋かれ。

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