孟子 / 盡心章句上
孟子曰、伯夷辟紂、居北海之濱。聞文王作興、曰、盍歸乎來。吾聞西伯善養老者。太公辟紂、居東海之濱。聞文王作興、曰、盍歸乎來。吾聞西伯善養老者。天下有善養老、則仁人以為己歸矣。五畝之宅、樹牆下以桑、匹婦蠶之、則老者足以衣帛矣。五母雞、二母彘、無失其時、老者足以無失肉矣。百畝之田、匹夫耕之、八口之家足以無飢矣。所謂西伯善養老者、制其田里教之樹畜、導其妻子、使養其老。五十非帛不煖、七十非肉不飽。不煖不飽、謂之凍餒。文王之民、無凍餒之老者、此之謂也。
新字:孟子曰、伯夷辟紂、居北海之浜。聞文王作興、曰、盍帰乎来。吾聞西伯善養老者。太公辟紂、居東海之浜。聞文王作興、曰、盍帰乎来。吾聞西伯善養老者。天下有善養老、則仁人以為己帰矣。五畝之宅、樹牆下以桑、匹婦蠶之、則老者足以衣帛矣。五母鶏、二母彘、無失其時、老者足以無失肉矣。百畝之田、匹夫耕之、八口之家足以無飢矣。所謂西伯善養老者、制其田里教之樹畜、導其妻子、使養其老。五十非帛不煖、七十非肉不飽。不煖不飽、謂之凍餒。文王之民、無凍餒之老者、此之謂也。
書き下し
孟子曰く、「伯夷は紂を辟けて、北海の濱に居る。文王作興すと聞き、曰く、『盍ぞ歸せざるや。吾聞く西伯は善く老を養う者なりと。』太公は紂を辟けて、東海の濱に居る。文王作興すと聞き、曰く、『盍ぞ歸せざるや。吾聞く西伯は善く老を養う者なりと。』天下善く老を養う有らば、則ち仁人以て己が歸と為す。五畝の宅、牆下に樹うるに桑を以てし、匹婦之に蠶せば、則ち老者以て帛を衣るに足る。五母雞、二母彘、其の時を失うこと無ければ、老者以て肉を失うこと無きに足る。百畝の田、匹夫之を耕せば、八口の家以て飢うること無きに足る。所謂西伯善く老を養うとは、其の田里を制して之に樹畜を教え、其の妻子を導きて、其の老を養わしむればなり。五十は帛に非ざれば煖かならず、七十は肉に非ざれば飽かず。煖かならず飽かず、之を凍餒(ダイ)と謂う。文王の民には、凍餒の老無しとは、此の謂なり。」 <語釈> ○「盍歸乎來」、「盍」は、「何不」と同じ。「來」は助辞。○「五母雞、二母彘、無失其時」、「彘」は豚、五羽の鶏と五匹の豚、「無失其時」とは、繁殖の時期を失わないこと。
現代語訳
孟子は言った。 「伯夷は紂を避けて、北海のほとりに隠れ住んでいたが、周の文王が立ち上がったと聞いて、『文王のもとへ参じよう。聞けば、彼は老人を大切にするとのことだ。』と言った。又太公は紂を避けて、東海のほとりに隠れ住んでいたが、周の文王が立ち上がったと聞いて、『文王のもとへ参じよう。聞けば、彼は老人を大切にするとのことだ。』と言った。このように天下に老人を大切にする者が現れると、世の仁人たちは、この人こそ身を寄せるに足る人物だとして、馳せ参じようとする。一軒当たり五畝の宅地の垣根に桑を植えて、一人の婦人が蚕を育て糸を紡げば、老人は絹の衣を着ることが出来る。五羽の雌鶏と二匹の雌豚を飼い、繁殖の時期を見失わないようにすれば、老人は肉を食べることが出来る。百畝の田を一人の男が耕せば、八人家族ぐらいなら飢えることも無い。いわゆる、西伯が老人をよく養ったというのは、このような民の田地や宅地を正しく定め、桑の栽培や畜産を教え、妻子を導いて老人を養わせたことを言うのである。人は五十歳ぐらいになれば絹物を着なければ暖まらないし、七十歳ぐらいになれば肉を食べないと満足しなくなる。暖まらず腹が満足しないことを、凍え飢えると謂うのだ。文王の民には、凍え飢える老人がいなかったとは、このことを言うのである。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「伯夷紂を辟け、北海の浜に居る。文王作り興ると聞きて、曰く、『盍ぞ帰らざる、来れ。吾聞く、西伯は善く老を養ふ者なりと。』と。太公紂を辟け、東海の浜に居る。文王作り興ると聞きて、曰く、『盍ぞ帰らざる、来れ。吾聞く、西伯は善く老を養ふ者なりと。』と。二老なる者は、天下の大老なり、而して之に帰す、是れ天下の父之に帰するなり。天下の父之に帰せば、其の子焉くにか往かん。諸侯に文王の政を行ふ者有らば、七年の内に、必ず政を天下に為さん。」
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『講孟余話』盡心上 第二十二章此の章、梁恵王上篇第三章・末章に云ふ所と、全く其の義を同じうす。但し是れは養老の二字より説明す、最も親切を覚ゆ。「庠序学校を設け為す」と云はずして「其の妻子を導き、其の老を養ふ」と云ふ。是れ上行ひて下傚ひ、上令して下従ふを以て云ふ。庠序学校其の内にあり。伯夷・太公の文王に帰すること、又離婁上篇第十三章に出づ。合せ考へて知るべし、彼は虚を以て説き、是は実を以て説くことを。孟子聖人を引く、各々指す所あり。舜の事の如きは、前の第六章に云ふが如し。文王の事に至りては、此の章及び梁恵王上篇第二章(民と楽しみを同じうするの事)、下篇第三章(勇を好むの事)、第四章(岐を治むるの事)、離婁上篇第七章(文王を師とするの事)、第十三章(養老の事)、下篇第二十章(民を視ること傷むが如しの事)、上の第十章(文王を待ちて興るの事)等、大抵民を愛し仁を施し、業を創め統を垂るるに就きて云ふ。余常に謂ふ、今の諸侯に在りて尤も法を取るべきは文王に如くはなしと。又窃かに謂ふ、我が洞春公の業大いに文王に似たりと。文王の志は他国を并呑するに在らず、天位を窺窬するに在らず、只己が国政を正し、己が国民を撫し、其の心を推して隣国他国にても正しからざるの政、安んぜざるの民あれば、往きて正し往きて安んじ、方百里より天下を三分して其の二を有するに至ると云へども、一毫の覇気あることなく、敢へて威力を以て人を劫制し、其の国を利し其の民を役するに非ず。但し隣国を正して隣国服し、他国を安んじて他国悦ぶのみ。虞・芮の二国成を質すの一事を以ても亦知るべし。
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孟子・梁惠王章句上今や民の産を制するに、仰ぎては以て父母に事ふるに足らず、俯しては以て妻子を畜ふに足らず、楽歳には終身苦しみ、凶年には死亡を免れず。此れ惟だ死を救ひて贍らざるを恐る、奚ぞ礼義を治むるに暇あらんや。王之を行はんと欲せば、則ち盍ぞ其の本に反らざる。五畝の宅、之に樹うるに桑を以てせば、五十の者以て帛を衣る可し。鶏豚狗彘の畜、其の時を失ふ無くんば、七十の者以て肉を食ふ可し。百畝の田、其の時を奪ふ勿くんば、八口の家以て饑うる無かる可し。庠序の教へを謹み、之に申ぬるに孝悌の義を以てせば、頒白の者道路に負戴せず。老者帛を衣肉を食ひ、黎民饑ゑず寒えず、然り而して王たらざる者は、未だ之有らざるなり。」
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「其の田疇を易めしめ、其の稅斂を薄くせば、民富ましむ可きなり。之を食うに時を以てし、之を用うるに禮を以てせば、財用うるに勝う可からざるなり。民は水火に非ざれば生活せず。昏暮に人の門戶を叩きて、水火を求むるに、與えざる者無きは、至って足ればなり。聖人の天下を治むるや、菽粟有ること水火の如くならしむ。菽粟、水火の如くにして、民焉くんぞ不仁なる者有らんや。」
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『講孟余話』離婁上 第十三章此の章、即ち上章「至誠にして動かす」の一徴なり。文王至誠にして老を養ふ。故に伯夷・太公動きて興起するなり。天下の人皆動きて是れに帰するなり。文王の心、初めより伯夷・太公を動かさん、天下の人を動かさんとの心あるに非ず。若し此の心あらば至誠に非ず。是れ亦上の「道は邇きに在り、事は易きに在り」の義とも相通ず。下章の意は皆誠ならざるの非を論ずるなり。
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孟子・梁惠王章句上梁の惠王曰く、「寡人の國に於けるや、心を盡くすのみ。河内凶なれば則ち其の民を河東に移し、其の粟を河内に移す。河東凶なるも亦た然り。鄰國の政を察するに、寡人の心を用うるが如き者無し。鄰國の民少きを加えず、寡人の民多きを加えざるは、何ぞや。」孟子對えて曰く、「王戰いを好む。請う戰いを以て喻えん。填然として之に鼓し、兵刃既に接す。甲を棄て兵を曳きて走る。或いは百步にして而る後に止り、或いは五十步にして而る後に止まる。五十步を以て百步を笑わば、則ち何如。」曰く、「不可なり。直だ百步ならざるのみ。是も亦た走るなり。」曰く、「王如し此を知らば、則ち民の鄰國より多きを望むこと無かれ。農時に違わざれば、穀は勝げて食う可からず。數罟(ソク・コ)洿池(オ・チ)に入らずんば、魚鼈も勝げて食う可からず。斧斤時を以て山林に入れば、材木勝げて用う可からず。穀と魚鼈と勝げて食う可からず、材木勝げて用う可からざるは、是れ民をして生を養い死を喪して憾無からしむるなり。生を養い死を喪して憾無きは、王道の始めなり。五畝の宅、之に樹うるに桑を以てせば、五十の者、以て帛を衣る可し。雞豚狗彘の畜、其の時を失う無くんば、七十の者、以て肉を食う可し。百畝の田、其の時を奪う勿くんば、數口の家、以て飢うる無かる可し。庠序の教えを謹み、之に申(かさねる)ぬるに孝悌の義を以てせば、頒白の者、道路に負戴せず。七十の者、帛を衣て肉を食い、黎民、飢えず寒えず。然り而して王ならざる者は、未だ之れ有らざるなり。狗彘、人の食を食らいて檢するを知らず。塗に餓莩(ガ・ヒョウ)有りて發するを知らず。人死すれば、則ち曰く、『我に非ざるなり、歳なり。』是れ何ぞ人を刺して之を殺して、我に非ざるなり、兵なり、と曰うに異ならんや。王、歳を罪する無くんば、斯に天下の民至らん。」
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