講孟余話 / 盡心上 第十六章
右五月十七夜第十六章及其聞一善言、見一善行、若決江河、沛然莫之能禦也、此二句智仁勇ノ三德ヲ備フ、盖シ仁心アリ、故ニ聞ク所見ク所皆善也、人ノ善ヲ取テ己カ善トスルハ智也、是ヲ行フノ決ナルハ勇也、注ニ至虛ト云ハ仁也、至明ト云ハ智也、宜シク至断ノ二字ヲ加テ勇ノ義ヲ明スヘシ、本文江河ノ譬極メテ勇断ノ処ヲ賛スル也、人苟モ勇ナクンハ、仁智並ニ用ヲナサヽル也、此章公孫丑上篇第八章ト合セ考フヘシ、又中庸第六章ニ、舜其大知也與、舜好問、而好察邇言、隱惡而揚善、執其両端、用其中於民、其斯以爲舜乎ト云フ、合セテ是ヲ見レハ、舜ノ舜タル所以從テ知ルヘシ、而シテ公孫丑ニ云フ所ハ仁ヲ重ス、中庸ニ云フ所ハ知ヲ重ンス、此章獨リ至断ノ勇ヲ見ルニ足ル、苟モ思ヲ茲ニ致サハ、今ノ沽々自ラ足レリトシ、人言ヲ拒絕スル者ト、怠惰放肆義ヲ聞テ徒ルコト能ハス、不善改ルコト能ハサル者ト、亦少シク內省スル所アラン
新字:右五月十七夜第十六章及其聞一善言、見一善行、若決江河、沛然莫之能禦也、此二句智仁勇ノ三徳ヲ備フ、盖シ仁心アリ、故ニ聞ク所見ク所皆善也、人ノ善ヲ取テ己カ善トスルハ智也、是ヲ行フノ決ナルハ勇也、注ニ至虚ト云ハ仁也、至明ト云ハ智也、宜シク至断ノ二字ヲ加テ勇ノ義ヲ明スヘシ、本文江河ノ譬極メテ勇断ノ処ヲ賛スル也、人苟モ勇ナクンハ、仁智並ニ用ヲナサヽル也、此章公孫丑上篇第八章ト合セ考フヘシ、又中庸第六章ニ、舜其大知也与、舜好問、而好察邇言、隠悪而揚善、執其両端、用其中於民、其斯以為舜乎ト云フ、合セテ是ヲ見レハ、舜ノ舜タル所以従テ知ルヘシ、而シテ公孫丑ニ云フ所ハ仁ヲ重ス、中庸ニ云フ所ハ知ヲ重ンス、此章独リ至断ノ勇ヲ見ルニ足ル、苟モ思ヲ茲ニ致サハ、今ノ沽々自ラ足レリトシ、人言ヲ拒絶スル者ト、怠惰放肆義ヲ聞テ徒ルコト能ハス、不善改ルコト能ハサル者ト、亦少シク内省スル所アラン
書き下し
右五月十七夜。第十六章。「其の一善言を聞き、一善行を見るに及んでは、江河を決するが若く、沛然として之を能く禦ぐ莫きなり」。此の二句智仁勇の三徳を備ふ。蓋し仁心あり、故に聞く所見る所皆善なり。人の善を取りて己が善とするは智なり。是れを行ふの決なるは勇なり。注に至虚と云ふは仁なり、至明と云ふは智なり。宜しく至断の二字を加へて勇の義を明かすべし。本文江河の譬へ、極めて勇断の処を賛するなり。人苟も勇なくんば、仁智並びに用をなさざるなり。此の章公孫丑上篇第八章と合せ考ふべし。又中庸第六章に、「舜は其れ大知なるか。舜は問ふことを好みて、好んで邇言を察し、悪を隠して善を揚げ、其の両端を執りて、其の中を民に用ふ。其れ斯れを以て舜と為すか」と云ふ。合せて是れを見れば、舜の舜たる所以従つて知るべし。而して公孫丑に云ふ所は仁を重んず、中庸に云ふ所は知を重んず。此の章独り至断の勇を見るに足る。苟も思ひを茲に致さば、今の沽々自ら足れりとし、人言を拒絶する者と、怠惰放肆、義を聞きて徙ること能はず、不善改むること能はざる者と、亦少しく内省する所あらん。
現代語訳
以上、五月十七日の夜。第十六章。「舜が一つのよい言葉を聞き、一つのよい行いを見ると、大河の堤を切ったように勢いよく、誰もそれを押しとどめられなかった」。この二句は智・仁・勇の三つの徳を備えている。思うに、仁の心があるから、聞くもの見るものがすべて善となる。人の善を取って自分の善とするのは智である。それを行う決断の速さが勇である。朱子の注に「至虚」とあるのは仁、「至明」とあるのは智のことだ。ここに「至断」の二字を加えて、勇の意味を明らかにすべきである。本文の大河のたとえは、まさに勇断のところを讃えている。人にもし勇がなければ、仁も智も役に立たない。この章は公孫丑上篇第八章と合わせて考えるとよい。また中庸第六章に「舜はまことに大いなる知者であろうか。舜は人に問うことを好み、身近な言葉をよく察し、悪は隠して善を広め、両端を見極めてその中ほどを民に用いた。これこそ舜の舜たるゆえんか」とある。合わせて見れば、舜がなぜ舜であったかが分かる。そして公孫丑上篇が言うのは仁を重んじる面、中庸が言うのは知を重んじる面である。この章だけが、極まった決断の勇を見せてくれる。もしここに思いを致すなら、今の、小さく自己満足して人の言葉を拒む者や、怠けて気ままで、正しいことを聞いても改められず、悪いことをやめられない者も、少しは自分を省みることがあるだろう。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』經說上實。其の志氣の見わるるなり。人をして己が如くならしむるは、金聲玉振に若かず。忠。弱子を利せず、亥足、将に入りて容を止めんとす。孝。親を以て芬と為し、而して能く親を利す。必ずしも得ず。信。其の言の當たるを以てせざるなり。人をして城を視て金を得しむ。佴。人と遇うに、人衆ければ循う。是を為すも、是を為して彼を治むるは、為さざるなり。亷。己れ惟だ之を為し、其の佴を思うを知るなり。令する所、非なれば、身、行わず。任。身の惡む所を為して、以て人の急とする所を成す。勇。其の是に敢えてするを以て之に命じ、其の彼に敢えてせざるを以て之を害せず。力。重きを之れ下と謂う、重と舊とは與にす。生。楹の生ずるは、商、必とす可からざるなり。臥、……。夢。
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