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呂氏春秋 / 應言①

──白圭謂魏王曰:「市丘之鼎以烹雞,多洎之則淡而不可食,少洎之則焦而不熟,然而視之蝺焉美無所可用。惠子之言,有似於此。」惠子聞之曰:「不然。使三軍饑而居鼎旁,適為之甑,則莫宜之此鼎矣。」白圭聞之曰:「無所可用者,意者徒加其甑邪?」白圭之論自悖,其少魏王太甚。以惠子之言蝺焉美無所可用,是魏王以言無所可用者為仲父也,是以言無所用者為美也。

新字:──白圭謂魏王曰:「市丘之鼎以烹雞,多洎之則淡而不可食,少洎之則焦而不熟,然而視之蝺焉美無所可用。恵子之言,有似於此。」恵子聞之曰:「不然。使三軍饑而居鼎旁,適為之甑,則莫宜之此鼎矣。」白圭聞之曰:「無所可用者,意者徒加其甑邪?」白圭之論自悖,其少魏王太甚。以恵子之言蝺焉美無所可用,是魏王以言無所可用者為仲父也,是以言無所用者為美也。

書き下し

白圭、魏王に謂いて曰く、「市丘の鼎は以て雞を烹るも、多く之に洎げば則ち淡くして食す可からず、少なく之に洎げば則ち焦げて熟せず。然れども之を視れば蝺焉として美なり。用う可き所無し。惠子の言は、此に似たる有り。」惠子之を聞きて曰く、「然らず。三軍をして饑えて鼎の旁に居らしむ、適に之が甑を爲れば、則ち此の鼎より宜しきは莫からん。」白圭之を聞きて曰く、「用う可き所無きとは、意者に徒だ其の甑を加うるのみか。」白圭の論は自ら悖れり。其の魏王を少とすること大いに甚だし。惠子の言を以て、蝺焉として美にして用う可き所無しとするは、是れ魏王、言の用う可き所無き者を以て仲父と爲すなり。是れ言の用うる所無き者を以て美と爲すなり。

現代語訳

白圭が魏王に言った、「市丘の大鼎は鶏を煮るのに、水を多く注げば味が薄くて食べられず、少なく注げば焦げて煮えない。それでも見た目は立派で美しい。しかし使い道がない。恵子の言葉はこれに似ている。」恵子はこれを聞いて言った、「そうではない。全軍が飢えて鼎のそばにいるとして、ちょうどこれに甑を載せて蒸し器にすれば、この鼎ほどふさわしいものはないだろう。」白圭はこれを聞いて言った、「使い道がないと言うのに、思うにただ甑を加えるだけか。」白圭の論はそれ自体が矛盾している。魏王を見くびることが甚だしい。恵子の言葉を、見た目は美しいが使い道がないとするのは、魏王が使い道のない言葉を宰相の言として重んじているということになる。それは使い道のない言葉を美とすることである。

解説

この段は応言篇の冒頭で、白圭が恵子の言論を、見た目は立派でも役に立たない市丘の大鼎にたとえて批判する話です。恵子は、大軍を養う蒸し器にすれば無用ではないと切り返します。著者は、恵子の言を無用と決めつける白圭こそ、それを重用する魏王を見くびる矛盾を犯していると指摘します。要点は、批判の言葉が思わぬ形で自分や第三者を貶める論理矛盾に陥ることです。言葉の応酬における筋の通し方を問う応言篇の主題が背景にあります。現代でも、相手を無能と決めつける批判は、その人を用いる組織全体の否定につながりかねません。批判は自らの論理の整合を確かめてから発すべきだと教える一段です。

この章句が説くこと

白圭恵子市丘の鼎魏王有用無用論理矛盾

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