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講孟余話 / 告子下 第九章

故ニ孟子ノ憎ム所ハ、道ニ郷ハス仁ニ志サヾルヲ憎ムノミ、譬ハ五穀ト烏頭大黃ノ如シ、人ヲ養フハ五穀ニ過タルハナシ、病ヲ驅ルハ烏頭大黃ニ踰タルハナシ、故ニ五穀ヲ以テ人ヲ養フト云トモ、又疾病來リ加ル時ハ、烏頭大黃ヲ以テ是ヲ驅除セサルコトヲ得サルカ如シ、妄醫アリ、烏頭大黃ヲ以テ人ニ勸メテ常膳トナサシム、人安ソ之ニ堪ヘンヤ、是ニ至テ妄医ノ妄、大罪ヲ遁ルベカラズ、良医アリ、其烏頭大黃ヲ藥籠中ニ藏シ、他日病ヲ視、機ヲ察シテ之ヲ投シ奇效ヲ奏ス、是ニ至テ又良医ノ良大功トナサヽルコトヲ得ズ、仁ト道トハ五穀ナリ、冨國强兵善戰善陳ハ烏頭大黃ナリ、王者ハ良医ナリ、故ニ五穀ヲ以テ人ヲ養フテ、烏頭大黃ヲ以テ病ヲ驅除ス、世主ハ妄医ナリ、故ニ五穀ヲ辟絕シテ烏頭大黃ヲ以テ人ヲ殘フ、是ヲ以テ孟子ノ論ヲ觀ハ思半ニ過キン、此事頗ル腐論ニ似タレ共、余今世ヲ視ルニ、强兵冨國ヲ策スル者ハ滔々乎トシテ功利ノ流ニ陷リ、夢ニモ王道ノ大体ヲ知ラズ、其極兵モ亦日々ニ衰弱シ、國モ亦日々ニ貧耗シ、遂ニ危亡ト相隨フニ至ル、又王道ヲ說ク者ハ腐儒陋学ノ淵藪トナリ、古ニ拘リ今ニ通セス、仁義ノ大道ヲ明ニシテ、人心ヲ正フスルコトハ望ム所ニ非ス、人倫日用俗吏武人ノ容易ニ辨スル所タモ弁スル能ハス、碌々トシテ一世ノ笑侮ヲ受ルニ至ル、慨嘆ニ堪サルノ餘リニ此腐論ヲ発スルナリ、讀者幸ニ細思セヨ

新字:故ニ孟子ノ憎ム所ハ、道ニ郷ハス仁ニ志サヾルヲ憎ムノミ、譬ハ五穀ト烏頭大黄ノ如シ、人ヲ養フハ五穀ニ過タルハナシ、病ヲ駆ルハ烏頭大黄ニ踰タルハナシ、故ニ五穀ヲ以テ人ヲ養フト云トモ、又疾病来リ加ル時ハ、烏頭大黄ヲ以テ是ヲ駆除セサルコトヲ得サルカ如シ、妄医アリ、烏頭大黄ヲ以テ人ニ勧メテ常膳トナサシム、人安ソ之ニ堪ヘンヤ、是ニ至テ妄医ノ妄、大罪ヲ遁ルベカラズ、良医アリ、其烏頭大黄ヲ薬籠中ニ蔵シ、他日病ヲ視、機ヲ察シテ之ヲ投シ奇効ヲ奏ス、是ニ至テ又良医ノ良大功トナサヽルコトヲ得ズ、仁ト道トハ五穀ナリ、冨国強兵善戦善陳ハ烏頭大黄ナリ、王者ハ良医ナリ、故ニ五穀ヲ以テ人ヲ養フテ、烏頭大黄ヲ以テ病ヲ駆除ス、世主ハ妄医ナリ、故ニ五穀ヲ辟絶シテ烏頭大黄ヲ以テ人ヲ残フ、是ヲ以テ孟子ノ論ヲ観ハ思半ニ過キン、此事頗ル腐論ニ似タレ共、余今世ヲ視ルニ、強兵冨国ヲ策スル者ハ滔々乎トシテ功利ノ流ニ陥リ、夢ニモ王道ノ大体ヲ知ラズ、其極兵モ亦日々ニ衰弱シ、国モ亦日々ニ貧耗シ、遂ニ危亡ト相随フニ至ル、又王道ヲ説ク者ハ腐儒陋学ノ淵藪トナリ、古ニ拘リ今ニ通セス、仁義ノ大道ヲ明ニシテ、人心ヲ正フスルコトハ望ム所ニ非ス、人倫日用俗吏武人ノ容易ニ弁スル所タモ弁スル能ハス、碌々トシテ一世ノ笑侮ヲ受ルニ至ル、慨嘆ニ堪サルノ余リニ此腐論ヲ発スルナリ、読者幸ニ細思セヨ

書き下し

故に孟子の憎む所は、道に郷はず仁に志さざるを憎むのみ。譬へば五穀と烏頭・大黄の如し。人を養ふは五穀に過ぎたるはなし。病を駆るは烏頭・大黄に踰えたるはなし。故に五穀を以て人を養ふと云へども、又疾病来り加はる時は、烏頭・大黄を以て是を駆除せざることを得ざるが如し。妄医あり、烏頭・大黄を以て人に勧めて常膳となさしむ。人安んぞ之に堪へんや。是に至りて妄医の妄、大罪を遁るべからず。良医あり、其の烏頭・大黄を薬籠中に蔵し、他日病を視、機を察して之を投じ奇効を奏す。是に至りて又良医の良大功となさざることを得ず。仁と道とは五穀なり。富国強兵・善戦善陳は烏頭・大黄なり。王者は良医なり。故に五穀を以て人を養ひて、烏頭・大黄を以て病を駆除す。世主は妄医なり。故に五穀を辟絶して烏頭・大黄を以て人を残ふ。是を以て孟子の論を観ば思ひ半ばに過ぎん。此の事頗る腐論に似たれども、余今世を視るに、強兵富国を策する者は滔々乎として功利の流れに陥り、夢にも王道の大体を知らず。其の極み兵も亦日々に衰弱し、国も亦日々に貧耗し、遂に危亡と相随ふに至る。又王道を説く者は腐儒陋学の淵藪となり、古に拘り今に通ぜず、仁義の大道を明らかにして、人心を正しくすることは望む所に非ず。人倫日用俗吏武人の容易に弁ずる所だも弁ずる能はず、碌々として一世の笑侮を受くるに至る。慨嘆に堪へざるの余りに此の腐論を発するなり。読者幸ひに細思せよ。

現代語訳

だから孟子の憎むのは、道に向かわず仁に志さないことだけである。たとえるなら五穀と、烏頭・大黄(劇薬)のようなものである。人を養うには五穀に勝るものはない。病を追い払うには烏頭・大黄に勝るものはない。だから五穀で人を養うといっても、病気がやってくれば、烏頭・大黄でこれを追い払わないわけにはいかない。でたらめな医者がいて、烏頭・大黄を人に勧めて毎日の食事にさせる。人がどうしてそれに耐えられようか。ここに至って、でたらめな医者のでたらめは大罪を免れない。良い医者がいて、その烏頭・大黄を薬箱の中にしまっておき、いずれ病を見て、機をとらえて投じ、目覚ましい効き目をあげる。ここに至っては、良い医者の良さを大功としないわけにはいかない。仁と道は五穀である。富国強兵、戦と陣立ての上手さは烏頭・大黄である。王者は良い医者である。だから五穀で人を養い、烏頭・大黄で病を追い払う。世の君主はでたらめな医者である。だから五穀を断って、烏頭・大黄で人を損なう。これで孟子の論を見れば、思い半ばを過ぎるであろう。このことはひどく古臭い議論に似ているが、私が今の世を見ると、強兵富国を策する者はみな功利の流れに陥り、夢にも王道の大筋を知らない。その果てに、兵も日々に衰え、国も日々に貧しくなり、ついには危うさと滅亡がつきまとうに至る。また王道を説く者は、腐った儒者や浅い学問のたまり場となり、昔にこだわって今に通じず、仁義の大道を明らかにして人の心を正すことなど望むべくもない。人倫や日常のことで、俗吏や武人がたやすく判断できることさえ判断できず、ぼんやりとして世間の笑いものになるに至る。嘆きに堪えないあまり、この古臭い議論をするのである。読者はどうかよく考えてほしい。

解説

松陰は鮮やかな喩えで結びます。仁と道は毎日の食事である五穀、富国強兵は劇薬の烏頭・大黄。良医は薬を常備して病の時にだけ用い、藪医者は劇薬を日々の食事にして人を損なう。王者は前者、今の君主は後者だと。そして幕末の現実に目を向け、富国強兵を説く者は功利に走って王道を知らず、王道を説く儒者は古に拘って今に通じない、と両方を批判します。理念と実務のどちらかに偏る危うさを指摘したこの一節は、改革を担う人にとって今も示唆に富みます。

この章句が説くこと

仁富国強兵良医偏り王道

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