講孟余話 / 告子下 首章
以礼食則飢而死、不以礼食則得食、必以礼乎、親迎則不得妻、不親迎則得妻、必親迎乎、此両句義理不通ト云ヘシ、礼ト云ヘハ経礼三百威儀三千、皆其内ニ包ネタレハ、獨リ瑣事末節ノミヲ云ニ非ズ、然レハ礼ヲ以テ食ヒテ飢テ死スト云トモ、豈恨トセンヤ、伯夷叔斉首陽ノ下ニ死スル如キ是ナリ、又上篇第十章、舍生而取義ノ義ト合セ考ヘテ知ルベシ、又親迎ハ婚礼ニ於テ納釆問名納吉請期親迎納徵ヲ六礼ト云テ、親迎モ亦已ニ其一ニ在、且礼記ニ男子親迎、男先於女、剛柔之義也、天先乎地、君先乎臣、其義一也ト云フ、余未タ其詳ヲ知ルコト能ハサレトモ、是ニ由テ之ヲ考フルニ、親迎ノ礼ハ小節トモ見ヘズ、聘則爲妻、奔則為妾ノ訓モアリ、奔ハ聘礼未タ備ラスシテ嫁スルヲ云、高愈小學纂註トアレハ、親迎ノ一礼ヲ闕ク時ハ、亦奔ノ類ニ非スヤ、是等ノ処、名教ニ關ルコトナレハ、匆々ニ看過スヘカラズ、
新字:以礼食則飢而死、不以礼食則得食、必以礼乎、親迎則不得妻、不親迎則得妻、必親迎乎、此両句義理不通ト云ヘシ、礼ト云ヘハ経礼三百威儀三千、皆其内ニ包ネタレハ、独リ瑣事末節ノミヲ云ニ非ズ、然レハ礼ヲ以テ食ヒテ飢テ死スト云トモ、豈恨トセンヤ、伯夷叔斉首陽ノ下ニ死スル如キ是ナリ、又上篇第十章、舎生而取義ノ義ト合セ考ヘテ知ルベシ、又親迎ハ婚礼ニ於テ納釆問名納吉請期親迎納徴ヲ六礼ト云テ、親迎モ亦已ニ其一ニ在、且礼記ニ男子親迎、男先於女、剛柔之義也、天先乎地、君先乎臣、其義一也ト云フ、余未タ其詳ヲ知ルコト能ハサレトモ、是ニ由テ之ヲ考フルニ、親迎ノ礼ハ小節トモ見ヘズ、聘則為妻、奔則為妾ノ訓モアリ、奔ハ聘礼未タ備ラスシテ嫁スルヲ云、高愈小学纂註トアレハ、親迎ノ一礼ヲ闕ク時ハ、亦奔ノ類ニ非スヤ、是等ノ処、名教ニ関ルコトナレハ、匆々ニ看過スヘカラズ、
書き下し
「礼を以て食へば則ち飢ゑて死し、礼を以てせずして食へば則ち食を得。必ず礼を以てせんか。親迎すれば則ち妻を得ず、親迎せざれば則ち妻を得。必ず親迎せんか」。此の両句義理通ぜずと云ふべし。礼と云へば経礼三百威儀三千、皆其の内に包ねたれば、独り瑣事末節のみを云ふに非ず。然れば礼を以て食ひて飢ゑて死すと云ふとも、豈に恨みとせんや。伯夷叔斉首陽の下に死する如き是れなり。又上篇第十章、「生を舎てて義を取る」の義と合せ考へて知るべし。又親迎は婚礼に於て納采・問名・納吉・請期・親迎・納徴を六礼と云ひて、親迎も亦已に其の一に在り。且つ礼記に「男子親迎し、男、女に先んず、剛柔の義なり。天は地に先んじ、君は臣に先んず、其の義一なり」と云ふ。余未だ其の詳を知ること能はざれども、是に由りて之を考ふるに、親迎の礼は小節とも見えず。「聘すれば則ち妻と為し、奔れば則ち妾と為す」の訓もあり。奔は聘礼未だ備はらずして嫁するを云ふ、高愈小学纂註とあれば、親迎の一礼を闕く時は、亦奔の類に非ずや。是等の処、名教に関ることなれば、匆々に看過すべからず。
現代語訳
「礼を守って食べれば飢えて死ぬ、礼を守らずに食べれば食べ物が得られる。それでも礼を守るのか。花婿自ら迎えに行く親迎の礼を守れば妻を得られない、守らなければ妻を得られる。それでも親迎の礼を守るのか」。この二句は道理が通らないと言うべきである。礼といえば、根本の礼三百、細かい作法三千をみな含むのだから、細かな末節だけを言うのではない。だから礼を守って食べて飢え死にしても、どうして恨みとしようか。伯夷・叔斉が首陽山のふもとで餓死したのがこれである。また上篇第十章の「生を捨てて義を取る」の意味と合わせて考えれば分かる。また親迎は、婚礼の納采・問名・納吉・請期・親迎・納徴の六礼の一つにすでに入っている。さらに『礼記』に「男子が自ら迎えに行き、男が女に先立つのは剛柔の道理である。天が地に先立ち、君が臣に先立つのと、その道理は一つである」と言う。私はまだその詳しいことは知らないが、これによって考えれば、親迎の礼は小さな節目とも思えない。「正式に迎えれば妻とし、駆け落ちすれば妾とする」という教えもある。「奔」とは正式な婚礼が整わないうちに嫁ぐことをいう(高愈『小学纂註』)とあるから、親迎の一礼を欠けば、これも奔のたぐいではないか。こうした所は名分の教えにかかわることだから、さっと読み過ごしてはならない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・修身・情を飾ると偽を飾る先王の禮文は用て情を飾る。後世の禮文は用て偽を飾る。情を飾れば則ち三千三百、至繁なりと雖も、其の率真爲るを害せず。偽を飾れば則ち一揖一拜と雖も、已に自ら多し。後の偽を飾るを惡む者は、乃ち一切苟簡決裂して、以て天下の防を潰し、而して自ら之を率真と謂ふ。將に伯子の簡に流れて行ふ可からざらんとす。又た禮の賊なり。
-
史記 趙世家且つ服奇なる者は志淫なりとせば、則ち是れ鄒・魯に奇行無きなり。俗辟なる者は民易なりとせば、則ち是れ呉・越に秀士無きなり。且つ聖人は身を利するを之を服と謂ひ、事を便にするを之を礼と謂ふ。夫れ進退の節、衣服の制は、常民を斉しくする所以なり。賢者を論ずる所以に非ざるなり。
-
論語・八佾篇林放礼の本を問う。子曰く、「大なるかな問いや。礼は其の奢らんよりは、寧ろ倹せよ。喪は其の易めんよりは、寧ろ戚めよ。」
-
『呻吟語』内篇・談道・禮は情より生ず瓜・李將に熟せんとすれば、浮白生ず。禮は情より生ずるに、後世乃ち禮を以て情と為す。哀しいかな。
-
『斉家論』下或る人又問ふ、汝儒書の講釈に袴を著せざるも、倹約の含みあるゆへ、前方よりゆるし置かれしと見えたり。然れども某思ふは、袴は礼服なり。それを許すは礼をすつると云ふものなり。礼をすて聖人の道は説かれまじ。天下の事、一物として礼にあらざることなし。曲礼に曰く、道徳仁義、礼にあらざればならず、教訓して俗を正するも、礼にあらざれば備はらず、争ひを分ち訟へを弁ふることも、礼にあらざれば決せず、君臣上下父子兄弟も、礼にあらざれば定まらずと見えたり。其の弁へを教ゆるに、礼を捨てて何を教へられ候や。
-
『呻吟語』外篇・治道・階に級有り禮の次第有るは、猶ほ堂の階有るがごとし。人をして驟かに僭する得ざらしむ。故に等級は太だ煩はしきを妨げず。階に級有らば、疾足の者と雖も闊步するを得ず。禮に等有らば、倨傲なる者と雖も敢へて節を凌がず。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る