講孟余話 / 告子上 第十章
此章明白痛快、一語ノ論辨ヲ待ス、唯危坐朗誦スレハ、義勇之念油然トシテ涌出スル也、此之謂失其本心ト、本心ハ即チ性善ニシテ、惻隱羞惡恭敬是非、皆包ネサルコトナシ、而シテ朱子ニ特ニ差惡ヲ以テ是ヲ解スル者ハ、其切ニ當ル所ヲ以テ謂ナリ、此差惡ニ就テ一二ノ談アリ、文天祥元ノ営ニ使ヒス、元將伯顏之ヲ引テ坐セシム、時ニ宋ノ臣ニテ元ニ降リタル賈餘慶ト云者坐ニアリ、天祥其國ヲ賣ルノ罪ヲ面斥ス、呂文煥モ亦降人ニテ其座ニ居合セタルカ、旁ヨリ論解セシ処、天祥又罵テ云ク、文煥汝及ヒ汝ガ姪師孟父子兄弟國ノ厚恩ヲ受ナカラ、死ヲ以テ國ニ報ルコト能ハス、却テ一族擧テ叛逆セシ身分ニシテ何ヲ言ソト云ケレハ、賈餘慶モ呂文煥モ慚愧シテ辞ハナカリシトソ、
新字:此章明白痛快、一語ノ論弁ヲ待ス、唯危坐朗誦スレハ、義勇之念油然トシテ涌出スル也、此之謂失其本心ト、本心ハ即チ性善ニシテ、惻隠羞悪恭敬是非、皆包ネサルコトナシ、而シテ朱子ニ特ニ差悪ヲ以テ是ヲ解スル者ハ、其切ニ当ル所ヲ以テ謂ナリ、此差悪ニ就テ一二ノ談アリ、文天祥元ノ営ニ使ヒス、元将伯顔之ヲ引テ坐セシム、時ニ宋ノ臣ニテ元ニ降リタル賈余慶ト云者坐ニアリ、天祥其国ヲ売ルノ罪ヲ面斥ス、呂文煥モ亦降人ニテ其座ニ居合セタルカ、旁ヨリ論解セシ処、天祥又罵テ云ク、文煥汝及ヒ汝ガ姪師孟父子兄弟国ノ厚恩ヲ受ナカラ、死ヲ以テ国ニ報ルコト能ハス、却テ一族挙テ叛逆セシ身分ニシテ何ヲ言ソト云ケレハ、賈余慶モ呂文煥モ慚愧シテ辞ハナカリシトソ、
書き下し
此の章明白痛快、一語の論弁を待たず。唯危坐朗誦すれば、義勇の念油然として涌出するなり。「此れを之れ其の本心を失ふと謂ふ」と。本心は即ち性善にして、惻隠羞悪恭敬是非、皆包ねざることなし。而して朱子に特に羞悪を以て是を解する者は、其の切に当たる所を以て謂ふなり。此の羞悪に就きて一二の談あり。文天祥元の営に使ひす。元将伯顔之を引きて坐せしむ。時に宋の臣にて元に降りたる賈余慶と云ふ者坐にあり。天祥其の国を売るの罪を面斥す。呂文煥も亦降人にて其の座に居合せたるが、旁より論解せし処、天祥又罵りて云く、「文煥、汝及び汝が姪師孟、父子兄弟国の厚恩を受けながら、死を以て国に報ゆること能はず、却つて一族挙げて叛逆せし身分にして何を言ふぞ」と云ひければ、賈余慶も呂文煥も慚愧して辞はなかりしとぞ。
現代語訳
この章は明白で痛快であり、一言の議論も要らない。ただ正座して朗々と読めば、義と勇の思いがわき上がってくる。「これを、その本心を失うという」。本心とはすなわち性善のことで、惻隠(あわれむ心)・羞悪(恥じ憎む心)・恭敬(敬う心)・是非(善悪を分ける心)を、みな含んでいる。それなのに朱子が特に羞悪によってこれを解いたのは、この章に最もぴったり当たるからである。この羞悪について一つ二つの話がある。文天祥が元の陣営に使者として赴くと、元の将軍伯顔は彼を招いて座らせた。そのとき、宋の臣でありながら元に降った賈余慶という者が席にいた。天祥はその国を売った罪を面と向かって責めた。呂文煥もまた降った者でその席に居合わせていたが、横から取りなそうとしたところ、天祥はまた罵って言った。「文煥、お前とお前の甥の師孟は、父子兄弟そろって国の厚い恩を受けながら、死んで国に報いることもできず、かえって一族こぞって背いた身ではないか。何を言うか」。こう言うと、賈余慶も呂文煥も恥じ入って言葉がなかったという。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『武士道』第八章 名譽・恥を知るは諸徳の原たとひ微小なりとも、創を蒙らんことは我が願ふ所にあらず』と。白石の既に少年の日に当り、いやしくも節を屈し、恥を負ふの事を甘んじ、以て畢生の大創を蒙り、敢て其天分を壊り、品性を害することを肯ぜざりしもの、実に士たるの本懐を吐露して違はざりしものと謂ふべし。孟子が『羞悪の心は義の端なり』と教へてより後、二千年にして、カーライルは殆ど同義の弁をなして曰へり。『恥を知るは、諸徳の原、良容善行の根なり』と。武士は恥を恐るること甚だしきものありき。我国文学は、シェイクスピアがノーフォークの口に上ぼせたるが如き雄弁なる詞句を有せざれど、なお恥を恐るるの念は、武士の頭上に懸れるダモクレスの剣なりき。然り、恥を恐るるは大に可なり。されど其の過ぐるや、往々病的なる性質を帯ぶることなきにあらず。
-
『驢鞍橋』卷中又此の恥は、浮世の人知らされば、苦しからずとは云はんや。夢幻なる人間の中の恥をだに愚に思ふは更になし。況や未来永劫の恥に於てをや。此の理をしらさるを、理を知る人と云はんや、義ある人となさんや。さりとては兼て思ひ知り給ふへし。理ある人間ならは、是れを恐るへし。義ある人ならは、勇猛堅固の心釼を以て、生死の敵を截断して、大平に住すへしと云ふはさまざまの異生となり、悪道に輪廻し、世々生々耻を曝さん事、口惜き事に非すや。是れを永劫の苦みと云ふ也。是れをかへりみすと云ふこと有らんや。なに人の知るぞ知らぬぞと云ふ間ならんや。さりとては兼てよふ思ひ知り、勇猛心を以て生死を修し離れて、大安楽に住せよと云ふ事也。是れまてはいさめの分式也。末はおつとつて心の用ゐ様也。
-
言志四録・言志耋録 第百三十条 足るを知るの足る足るを知るの足るは、常に足る。仁に庶からん。恥無きを之れ恥づれば、恥無し。義に庶からん。
-
言志四録・言志耋録 第二十三条 恥無きを恥づ立志の工夫は、須らく羞悪の念頭より跟脚を起こすべし。恥づべからざるを恥づること勿れ。恥づべきを恥ぢざること勿れ。孟子謂ふ、「恥無きを之れ恥づれば、恥無し」と。志是に於てか立つ。
-
『講孟余話』告子上 第十章又豊臣徳川二氏取合ひの時、徳川氏の将石川数正は、豊臣より八万石を与へんとて誘かれしに誑かされ、三河を駈け落ちして大坂に往きたれども、豊臣には至つて手軽く会釈れたる故、数正は大いに差縮みて門をも出得ざりしとぞ。其の後両家和睦調ひ、徳川氏上洛の時、豊臣公より石川が謁見を許されんことを徳川公に請はれ、又井伊直政事ありて大坂へ使に往き、直政へ饗応の時も石川を接伴とせらる。饗応の終るまで一言も数正と辞を交へず、数正を指し、衆人へ彼は人面獣心なる奴なりと云はれしとぞ。賈・呂・数正当日の心を推すに、其の羞愧いかがやあらん。是れ程の羞愧を忍ばんよりは、一刀の下に義に死するの心快きに如かんや。一死を快くすれば名を後世に揚げ、一義を闕けば羞を終身に荷ふ。況んや義を行ふ者未だ必ずしも悉く死し且つ亡びざるをや。若し然らずと云はば、何ぞ仰いで堂々たる近江国犬上郡彦根城三十五万石の大藩翰を見ざるや。
-
『慎思録』巻之六聖賢と残賊と、其の人既に没すと雖も、善悪の芳穢、千載に流れて休まず。人の一身は、豈に生前百年血肉の躯に止まらんや。抑々身後千歳毀誉する所の美悪も、亦是れ其の身分内の事と為すべし。然らば則ち何ぞ聖愚同じく腐りて余り無しと謂はんや。古人の詩に曰く、秦檜の悪名は千古臭く、岳王の忠節は万年芳しと。謝枋得の詩に云ふ、人生の芳穢は千歳有り、世上の栄枯は百年無しと。此れ皆身後の汚名の恥づべきを言ふなり。若し身後の汚名を恥ぢずんば、則ち大節に臨みて苟免し、生を偸み義に背き、何の至らざることか之有らん。此くの如くにして身を没する者は、禽獣と何ぞ異ならんや。古人の詩に曰く、孔丘も盗跖も倶に塵埃と。是れ豈に名教に害有るの言に非ずや。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る