講孟余話 / 萬章上 第八章
孔子進以禮、退以義、註徐氏曰、禮主於辞遜、故進以礼、義主於断制、故退以義、難進而易退者也ト、此說甚タ明白ナリ、此義又離婁下篇第二十三章ト合セ攷フヘシ、觀近臣以其所爲主、觀遠臣以其所主、是人ヲ観ルノ妙訣ナリ、凢ソ人ヲ観ルハ、其交ル所ノ人ヲ見レハ、其大畧ヲ見ルヘシ、君子ハ德ヲ以テ相群シ、小人ハ利ヲ以テ相類スルヨリ、同学同藝ノ類ニ至テモ、亦皆是ヲ推シテ知ルヘシ、魏ノ李克ノ文侯ニ答ヘテ、居視其所親、富視其所與、達視其所擧、窮視其所不爲、貧視其所不取ト云モ、亦是ニ本ツクナラン
新字:孔子進以礼、退以義、註徐氏曰、礼主於辞遜、故進以礼、義主於断制、故退以義、難進而易退者也ト、此説甚タ明白ナリ、此義又離婁下篇第二十三章ト合セ攷フヘシ、観近臣以其所為主、観遠臣以其所主、是人ヲ観ルノ妙訣ナリ、凢ソ人ヲ観ルハ、其交ル所ノ人ヲ見レハ、其大略ヲ見ルヘシ、君子ハ徳ヲ以テ相群シ、小人ハ利ヲ以テ相類スルヨリ、同学同芸ノ類ニ至テモ、亦皆是ヲ推シテ知ルヘシ、魏ノ李克ノ文侯ニ答ヘテ、居視其所親、富視其所与、達視其所挙、窮視其所不為、貧視其所不取ト云モ、亦是ニ本ツクナラン
書き下し
「孔子は進むに礼を以てし、退くに義を以てす」。註に徐氏曰く、「礼は辞遜を主とす、故に進むに礼を以てす。義は断制を主とす、故に退くに義を以てす。進み難くして退き易き者なり」と。此の説甚だ明白なり。此の義又離婁下篇第二十三章と合せ攷ふべし。「近臣を観るには其の主と為る所を以てし、遠臣を観るには其の主とする所を以てす」。是れ人を観るの妙訣なり。凡そ人を観るは、其の交はる所の人を見れば、其の大略を見るべし。君子は徳を以て相群し、小人は利を以て相類するより、同学同芸の類に至りても、亦皆是を推して知るべし。魏の李克の文侯に答へて、「居ては其の親しむ所を視、富みては其の与ふる所を視、達しては其の挙ぐる所を視、窮しては其の為さざる所を視、貧しくしては其の取らざる所を視る」と云ふも、亦是に本づくならん。
現代語訳
「孔子は礼にかなうときに進み、義にかなうときに退いた」。朱子の注に引く徐氏の説に「礼は辞退と謙遜を主とするので進むには礼による。義は断ち切ることを主とするので退くには義による。進むのは難しく退くのはたやすい人である」とある。この説はたいへん明快である。この意味は離婁下篇第二十三章とあわせて考えるとよい。「近くにいる臣を見るには、その臣が誰を客として迎えているかで見、遠くから来た臣を見るには、その臣が誰の家に身を寄せているかで見る」。これは人を見る妙訣である。およそ人を見るには、その人が交わっている相手を見れば、だいたいのところは分かる。君子は徳によって群れ、小人は利によって集まるから、同じ学問や同じ芸の仲間についても、みなこれを推して知ることができる。魏の李克が文侯に答えて「ふだんは誰と親しむか、富んでからは誰に与えるか、出世してからは誰を推挙するか、行き詰まったときに何をしないか、貧しいときに何を取らないかを見よ」と言ったのも、これにもとづくのだろう。
解説
この章句が説くこと
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説苑・雜言賢人君子は、盛衰の時に通じ、成敗の端に明らかに、治乱の紀を察し、人情を審らかにす。去就する所を知る、故に窮すと雖も亡国の勢に処らず、貧しと雖も汙君の禄を受けず。是を以て太公は七十にして自ら達せず、孫叔敖は三たび相を去りて自ら悔いず。何となれば則ち、強いて其の人に非ざるに合せざればなり。太公は一たび周に合して侯たること七百歳、孫叔敖は一たび楚に合して封ぜらるること十世。大夫種は越を存亡して覇たらしめしも、句踐は死を前に賜う。李斯は功を秦に積みしも、卒に五刑を被る。忠を尽くして君を憂い、身を危うくして国を安んずる、其の功は一なり。或いは封侯して絶えず、或いは死を賜いて刑を被る。慕う所・由る所異なればなり。故に箕子は国を去りて狂を佯り、范蠡は越を去りて名を易え、智過は君弟を去りて姓を更う、皆遠きを見て微を識り、仁は能く富勢を去りて以て萌生の禍を避くる者なり。夫れ暴乱の君、孰か能く縶を離ちて其の身を役し、患いに与らんや。故に賢者は死を畏れ害を避くるのみに非ざるなり、身を殺すも益無くして明主の暴なればなり。比干は紂に死すも其の行いを正す能わず、子胥は呉に死すも其の国を存する能わず。二子は強諫して死す、適に明主の暴を明らかにするのみ、未だ始めより秋毫の端の如きも益有らざるなり。是を以て賢人は其の智を閉じ、其の能を塞ぎ、其の人を得るを待ちて然る後に合す。故に言えば聴かれざる無く、行えば疑わるる無く、君臣両つながら与にし、終身患い無し。今其の時を得るに非ず、又其の人無く、直だ私意已む能わず、世の乱れを閔れみ、主の危うきを憂う。貲無きの身を以て、蔽塞の路を渉り、讒人の前を経、無量の主に造り、不測の罪を犯す。其の天性を傷る、豈に惑いならざらんや。故に文信侯・李斯は、天下謂う所の賢なり、国の為に計り微を揣り隠を射る、所謂過策無きなり。戦いて勝ち攻めて取る、所謂強敵無きなり。功を積むこと甚だ大に、勢利甚だ高し。賢人用いられず、讒人事を用う、自ら用いられざるを知るも、其の仁去る能わず。敵を制し功を積むこと、秋毫を失わず。患いを避け害を去ること、丘山を見ず。其の欲する所を積みて、以て其の悪む所に至る、豈に勢利に惑わさるるに非ざらんや。詩に云う、『人は其の一を知りて、其の他を知る莫し』と。此を之れ謂うなり。
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