講孟余話 / 萬章上 第三章
十一月二十一日不藏怒焉、不宿怨焉、此二句尤モ善シ、徒ニ弟ニ於ルノミナラス、仁人ノ心他人ニ於ケルモ亦斯ノ如シ、論語ニ匿怨而友其人、左丘明耻之、丘亦耻之ト云、亦同意ナリ、凢ソ人ニ交ルノ道、怨怒スル所アラハ、直ニ是ヲ忠告直言スベシ、若シ忠告直言スルコト能ハスンハ、怨怒スルコトナキニ若カス、若シ然ラスシテ是ヲ胸中ニ藏匿畱蓄シテ、時ヲ待テ是ヲ発セント欲スルハ、陰柔小人ノスル所ニシテ誠ニ臆病ト云ヘシ、君子ノ心ハ天ノ如シ、怨怒スル所アレハ雷霆ノ怒ヲ発スルコトモアレトモ、其事解ルニ至テ、又天晴日明ナル如ク、一毫モ心中ニ殘ス所ナシ、是君子陽剛ノ德ナリ、
新字:十一月二十一日不蔵怒焉、不宿怨焉、此二句尤モ善シ、徒ニ弟ニ於ルノミナラス、仁人ノ心他人ニ於ケルモ亦斯ノ如シ、論語ニ匿怨而友其人、左丘明耻之、丘亦耻之ト云、亦同意ナリ、凢ソ人ニ交ルノ道、怨怒スル所アラハ、直ニ是ヲ忠告直言スベシ、若シ忠告直言スルコト能ハスンハ、怨怒スルコトナキニ若カス、若シ然ラスシテ是ヲ胸中ニ蔵匿畱蓄シテ、時ヲ待テ是ヲ発セント欲スルハ、陰柔小人ノスル所ニシテ誠ニ臆病ト云ヘシ、君子ノ心ハ天ノ如シ、怨怒スル所アレハ雷霆ノ怒ヲ発スルコトモアレトモ、其事解ルニ至テ、又天晴日明ナル如ク、一毫モ心中ニ残ス所ナシ、是君子陽剛ノ徳ナリ、
書き下し
十一月二十一日。「怒りを蔵さず、怨みを宿さず」、此の二句尤も善し。徒らに弟に於けるのみならず、仁人の心、他人に於けるも亦斯くの如し。論語に「怨みを匿して其の人を友とするは、左丘明之れを恥づ、丘も亦之れを恥づ」と云ふ、亦同意なり。凡そ人に交はるの道、怨怒する所あらば、直ちに是れを忠告直言すべし。若し忠告直言すること能はずんば、怨怒することなきに若かず。若し然らずして是れを胸中に蔵匿留蓄して、時を待ちて是れを発せんと欲するは、陰柔小人のする所にして、誠に臆病と云ふべし。君子の心は天の如し、怨怒する所あれば雷霆の怒りを発することもあれども、其の事解くるに至りては、又天晴れ日明らかなる如く、一毫も心中に残す所なし、是れ君子陽剛の徳なり。
現代語訳
十一月二十一日。「怒りをしまい込まず、恨みを持ち越さない」、この二句が最もよい。弟に対してだけではなく、仁ある人の心は他人に対してもこのようである。『論語』に「恨みを隠してその人と友だちづきあいするのは、左丘明は恥とした。私もまた恥とする」とあるのも同じ意味である。およそ人と交わる道では、恨みや怒りを感じたら、すぐにそれを忠告し率直に言うべきである。もし忠告し率直に言えないなら、恨んだり怒ったりしない方がよい。そうせずに、胸の中に隠しため込んで、時を待って晴らそうとするのは、陰湿な小人のすることで、まことに臆病というべきである。君子の心は天のようなもので、恨みや怒りがあれば雷のように怒ることもあるが、その事が解ければ、また空が晴れ日が明るいように、少しも心の中に残すところがない。これが君子の明るく剛い徳である。
解説
この章句が説くこと
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『初学訓』巻之三一学問の道は、他にあらず、只、善悪を明らかに知りて、善を行ひ悪を去るにあり。およそ人は、ただ心もわざも、善に志し善を行ひて、人をあはれみめぐみ、人を楽ましめて、人を苦めず、人をよみして、人をにくまず、人をうらみず、人の善を褒めて、人をそしらず、これ即ち仁の理にして、君子の道なり。人となりては、君子の道を学び行ふべし。善に志なく、善を行はずして、人を苦めて、人を憐まず、人を侮りて、人を敬はず、人を怨み怒り、人を譏る、是小人の道なり。人となりて、小人の道を行ふべからず。
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言志四録・言志晩録 第百五十条 自ら怨みを致す所以を怨む恩怨分明なるは、君子の道に非ず。徳の報ゆべきは、固よりなり。怨みに至りては、則ち当に自ら其の怨みを致す所以を怨むべし。
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史記 張丞相列伝周昌は、沛の人なり。其の従兄を周苛と曰ふ。秦の時皆泗水の卒史為り。高祖沛に起ち、泗水の守・監を撃破するに及び、是に於て周昌・周苛、卒史より沛公に従ふ。沛公、周昌を以て職志と為し、周苛を客と為す。従ひて関に入り、秦を破る。沛公立ちて漢王と為り、周苛を以て御史大夫と為し、周昌を中尉と為す。漢王の四年、楚、漢王を滎陽に囲むこと急なり。漢王遁れ出で去りて、周苛をして滎陽城を守らしむ。楚、滎陽城を破り、周苛をして将たらしめんと欲す。苛罵りて曰く、「若(なんぢ)趣(すみや)かに漢王に降れ。然らずんば、今に虜と為らん」と。項羽怒り、周苛を亨(に)る。是に於て乃ち周昌を拝して御史大夫と為す。常に従ひて項籍を撃破す。六年中を以て蕭・曹等と倶に封ぜらる。周昌を封じて汾陰侯と為す。周苛の子周成は父の事に死せしを以て、封ぜられて高景侯と為る。昌は人と為り彊力にして、敢へて直言す。蕭・曹等より皆之に卑下す。昌嘗て燕の時に入りて事を奏す。高帝方に戚姫を擁す。昌還り走る。高帝逐ひて得、周昌の項に騎りて、問ひて曰く、「我は何如なる主ぞや」と。昌仰ぎて曰く、「陛下は即ち桀紂の主なり」と。是に於て上之を笑ふ。然れども尤も周昌を憚る。
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説苑・雜言子石、呉山に登りて四望し、喟然として歎息して曰く、「嗚呼悲しいかな。世に事情に明らかにして人心に合わざる者有り、人心に合いて事情に明らかならざる者有り」と。弟子問いて曰く、「何の謂いぞや」と。子石曰く、「昔者、呉王夫差、伍子胥の言を聴かず、忠を尽くし極めて諫めしも、目を抉られて辜せらる。太宰嚭・公孫雒は、偷かに合し苟くも容れられ、以て夫差の志に順いて呉を伐たしむ。二子は身を江湖に沈められ、頭は越の旗に懸けらる。昔者、費仲・惡來革・長鼻決耳、崇侯虎は紂の心に順い、意に合わんと欲せしも、武王紂を伐ちて、四子は身を牧野に死し、頭足所を異にす。比干は忠を尽くして心を剖かれて死す。今、事情を明らかにせんと欲すれば、目を抉られ心を剖かるるの禍い有らんことを恐れ、人心に合わんと欲すれば、頭足所を異にするの患い有らんことを恐る。是に由りて之を観れば、君子の道狭きのみ。誠に其の明主に逢わずんば、狭道の中、又将に危険閉塞して、従いて出づ可き無からんとす」と。
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