講孟余話 / 萬章上 第二章
程子象憂亦憂、象喜亦喜、人情天理、於是爲至、此說甚妙、試ニ思フニ、舜ノ心象ノ憂喜スルノ事ヲ同シク憂喜スルニ非ス、象ノ憂喜スルヲ憂喜スルナリ、譬ハ慈親ノ愛兒ヲ視ルカ如シ、兒マサニ喜笑歓娛スレハ親ノ心甚喜フ、兒方ニ憂患涕泣スレハ親ノ心甚憂フ、是親ノ憂喜人情ニ発シ天理ニ原ツキ、少シノ詐僞アルニ非ス、若シ其憂喜スル所ノ事ヲ同シク憂喜スルト云ハヽ、大人小人憂喜スル所各異ナリ、而シテ強テ是ヲ同セントセハ僞ノミ、抑聖人ノ意ニ於テ合フコトアルヤ否ハ知サレトモ、今別ニ一論ヲ爰ニ設ク、象ノ忸怩タルニ當テ、舜幾微ノ言面ニ著ルアリテ、汝向ニ我ヲ殺サント欲ス、吾已ニ其謀ヲ知ルノ意ヲ示サハ、舜ノ禍踵ヲ旋サス、舜ノ從容琴ヲ鼓シ、惟茲ノ臣庶、汝其于予治メヨナト、云フ、是レ舜ノ大度弘量ニテハ自然ニ発スル所ニシテ、是レ象カ心ヲ安スルコトヲ得ル所以ナリ、危疑ノ際此度量ナクンハ、必禍ヲ免コト能ハス、若シ夫古今奸雄多ク此術ヲ借リ用ユ、是レ亦何ソ言フニ足ラン
新字:程子象憂亦憂、象喜亦喜、人情天理、於是為至、此説甚妙、試ニ思フニ、舜ノ心象ノ憂喜スルノ事ヲ同シク憂喜スルニ非ス、象ノ憂喜スルヲ憂喜スルナリ、譬ハ慈親ノ愛児ヲ視ルカ如シ、児マサニ喜笑歓娯スレハ親ノ心甚喜フ、児方ニ憂患涕泣スレハ親ノ心甚憂フ、是親ノ憂喜人情ニ発シ天理ニ原ツキ、少シノ詐偽アルニ非ス、若シ其憂喜スル所ノ事ヲ同シク憂喜スルト云ハヽ、大人小人憂喜スル所各異ナリ、而シテ強テ是ヲ同セントセハ偽ノミ、抑聖人ノ意ニ於テ合フコトアルヤ否ハ知サレトモ、今別ニ一論ヲ爰ニ設ク、象ノ忸怩タルニ当テ、舜幾微ノ言面ニ著ルアリテ、汝向ニ我ヲ殺サント欲ス、吾已ニ其謀ヲ知ルノ意ヲ示サハ、舜ノ禍踵ヲ旋サス、舜ノ従容琴ヲ鼓シ、惟茲ノ臣庶、汝其于予治メヨナト、云フ、是レ舜ノ大度弘量ニテハ自然ニ発スル所ニシテ、是レ象カ心ヲ安スルコトヲ得ル所以ナリ、危疑ノ際此度量ナクンハ、必禍ヲ免コト能ハス、若シ夫古今奸雄多ク此術ヲ借リ用ユ、是レ亦何ソ言フニ足ラン
書き下し
程子「象憂ふれば亦憂ひ、象喜べば亦喜ぶ、人情天理、是に於て至れりと為す」、此の説甚だ妙なり。試みに思ふに、舜の心は象の憂喜するの事を同じく憂喜するに非ず、象の憂喜するを憂喜するなり。譬へば慈親の愛児を視るが如し。児まさに喜笑歓娯すれば親の心甚だ喜び、児まさに憂患涕泣すれば親の心甚だ憂ふ。是れ親の憂喜人情に発し天理に原づき、少しの詐偽あるに非ず。若し其の憂喜する所の事を同じく憂喜すと云はば、大人小人憂喜する所各々異なり、而して強ひて是れを同じくせんとせば偽のみ。抑々聖人の意に於て合ふことあるや否やは知らざれども、今別に一論を爰に設く。象の忸怩たるに当りて、舜幾微の言、面に著はるるありて、汝向に我を殺さんと欲す、吾已に其の謀を知るの意を示さば、舜の禍踵を旋さず。舜の従容として琴を鼓し、「惟れ茲の臣庶、汝其れ予に于いて治めよ」などと云ふ、是れ舜の大度弘量にては自然に発する所にして、是れ象が心を安んずることを得る所以なり。危疑の際此の度量なくんば、必ず禍を免るること能はず。若し夫れ古今の奸雄多く此の術を借り用ゆ、是れ亦何ぞ言ふに足らん。
現代語訳
程子は「象が憂えれば舜も憂え、象が喜べば舜も喜ぶ。人情と天理はここに極まる」と言った。この説は非常に巧みである。試みに考えると、舜の心は、象が憂え喜ぶ事柄を同じように憂え喜ぶのではない。象が憂え喜ぶことそのものを憂え喜ぶのである。たとえば慈しみ深い親が愛する子を見るようなものである。子が笑い楽しんでいれば親の心は大いに喜び、子が憂え泣いていれば親の心は大いに憂える。これは親の憂いと喜びが人情から出て天理にもとづいており、少しの偽りもない。もし子が憂え喜ぶ事柄を同じように憂え喜ぶと言うなら、大人と小人では憂え喜ぶ事柄がそれぞれ違うのだから、無理に同じにしようとすれば偽りになるだけである。聖人の意に合うかどうかは分からないが、今別に一つの論をここに立てる。象が恥じ入っているとき、もし舜がわずかでも顔に「お前はさきほど私を殺そうとした。私はもうその企みを知っている」という意を示せば、舜の禍はたちまち来ただろう。舜がゆったりと琴を弾き、「ここの臣民を、お前は私に代わって治めてくれ」などと言ったのは、舜の大きな度量から自然に出たもので、これこそ象が心を安んじることができた理由である。危うく疑わしい場面でこの度量がなければ、必ず禍を免れることはできない。もっとも古今の奸雄の多くがこの手を借りて使ったが、それは論じるに足りない。
解説
この章句が説くこと
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