講孟余話 / 離婁上 第二十六章
此論又萬章上篇ニモ見ユ、舜ノ告ケズシテ娶リ、湯武ノ桀紂ヲ放伐シ、箕子ノ武王ノ爲ニ洪範ヲ陳スル如キ箕子ハ殷ノ宗室ナリ、武王ハ殷ノ仇敵ナリ、國亡テ仇敵ノ爲ニ法ヲ傳ル人臣ノ義ニ非ス、先輩淺見綱齋ノ說ニ云ク、道ノ亡ヒンコトヲ憂テ仇敵ニ傳ルハ譬ハ書ヲ讀ミ學問カ仕度トテ人ノ書籍ヲ盜ムニ同シト云ヘリ、實ニ正論ト云ヘシ、其詳靖献遺言講義ニ見ユ、皆聖人ノ事ニモセヨ後人ノ法トナスヘカラズ、
新字:此論又万章上篇ニモ見ユ、舜ノ告ケズシテ娶リ、湯武ノ桀紂ヲ放伐シ、箕子ノ武王ノ為ニ洪範ヲ陳スル如キ箕子ハ殷ノ宗室ナリ、武王ハ殷ノ仇敵ナリ、国亡テ仇敵ノ為ニ法ヲ伝ル人臣ノ義ニ非ス、先輩浅見綱斎ノ説ニ云ク、道ノ亡ヒンコトヲ憂テ仇敵ニ伝ルハ譬ハ書ヲ読ミ学問カ仕度トテ人ノ書籍ヲ盗ムニ同シト云ヘリ、実ニ正論ト云ヘシ、其詳靖献遺言講義ニ見ユ、皆聖人ノ事ニモセヨ後人ノ法トナスヘカラズ、
書き下し
此の論又万章上篇にも見ゆ。舜の告げずして娶り、湯武の桀紂を放伐し、箕子の武王の為めに洪範を陳ぶる如き、箕子は殷の宗室なり、武王は殷の仇敵なり、国亡びて仇敵の為めに法を伝ふるは人臣の義に非ず。先輩浅見絅斎の説に云く、「道の亡びんことを憂へて仇敵に伝ふるは、譬へば書を読み学問がしたしとて人の書籍を盗むに同じ」と云へり。実に正論と云ふべし。其の詳は靖献遺言講義に見ゆ。皆聖人の事にもせよ、後人の法となすべからず。
現代語訳
この議論は万章上篇にも見える。舜が親に告げずに妻を娶ったこと、殷の湯王と周の武王が夏の桀王と殷の紂王を追放し討ったこと、箕子が武王のために洪範(天下を治める大法)を説いたことなど、これらは(後世の手本にはならない)。箕子は殷の王族であり、武王は殷の仇敵である。国が滅びたのに、その仇敵のために法を伝えるのは、臣下の道義ではない。先輩の浅見絅斎はこう言っている。「道が滅びるのを心配して仇敵に伝えるのは、たとえば本を読んで学問がしたいからといって人の書物を盗むのと同じだ」。まことに正論というべきである。詳しくは『靖献遺言講義』に見える。いずれも聖人の行いではあっても、後の人の手本としてはならない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『講孟余話』離婁上 第二十六章且つ娶らずんば舜は誠に後なかるべし。然れども弟象にして後あらば、瞽瞍の血統を絶つに至らず。喩へば大伯・仲雍周を去ると雖も、弟季歴あるを以て大王の血統は絶えざるが如し。故に余謂へらく、舜実に此の事なくして孟子此の論を発せば聖人を誣ゆると云ふべし。舜実に此の事ありて孟子此の論を発せば聖人に阿ると云ふべし。
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『講孟余話』離婁上 第二十六章後無きは大不孝とは雖も、父母の意に違ふ者亦孝と云ふべからず。且つ舜の此の事をなす時、父母を是とし給ふや、己を是とし給ふや。父母を是とし己を非とせば、己の非を以て父母の是に違ふ、不孝亦甚し。父母を非として己を是とせば、又孝子の心に非ず。「天下に是ならざる底の父母無し」、羅仲素の語、下第二十八章圏外の註に見ゆ、と云ふ如く、人子の心にては毫末も父母を是ならずと思はぬこそ孝と云ふべし。然れば舜孝子ならば決して此の事をなさず。若し果して此の事をなさば舜孝子に非ず。註に范氏曰く、「若し父瞽瞍に非ず、子大舜に非ずして、告げずして娶らんと欲せば、則ち天下の罪人なり」と。然らば聖人の行ひは凡人の模範とならざるか。且つ自ら舜とし、父を瞽瞍とするは天下の妄人なり。范氏の説、徒らに必無の事を設けて後人を惑はしむ、其の誣罔甚し。且つ後無きを大不孝とするにより、告げずして娶るをなほ告ぐるが如しと云はば、父母の命、媒妁の言を待たずして、穴隙を鑽りて相窺ひ、墻を踰えて相従ひ、父母国人皆是れを賤しむるとも、後あらば亦孝と云ふべきか。東家の墻を踰えて其の処女を摟きて後あらば亦孝と云ふべきか。是れ亦不通の論なり。
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