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講孟余話 / 離婁下 第十八章

仲尼ノ川上ニ在シテ逝者ハ是ノ如シ晝夜ヲ舍テスト宣フハ、天地ノ流行ヲ以テ学問ノ工夫ヲ語ルナリ、此章孟子ノ論スル所ハ、本アル者ノ已ムコトナキヲ云、然トモ其手ヲ下ス所ハ則一ナリ、凡ソ人ハ源アルノ水ヲ以テ志トスヘシ、學問ノ進修、忠孝ノ行事皆然リ、苟モ源ナク已ムコトアリ、科ニ盈タスシテ進ムコトアリテハ、誠ニ愧ヘキノ至ナリ

新字:仲尼ノ川上ニ在シテ逝者ハ是ノ如シ昼夜ヲ舎テスト宣フハ、天地ノ流行ヲ以テ学問ノ工夫ヲ語ルナリ、此章孟子ノ論スル所ハ、本アル者ノ已ムコトナキヲ云、然トモ其手ヲ下ス所ハ則一ナリ、凡ソ人ハ源アルノ水ヲ以テ志トスヘシ、学問ノ進修、忠孝ノ行事皆然リ、苟モ源ナク已ムコトアリ、科ニ盈タスシテ進ムコトアリテハ、誠ニ愧ヘキノ至ナリ

書き下し

仲尼の川上に在して「逝く者は是くの如きか、昼夜を舎てず」と宣ふは、天地の流行を以て学問の工夫を語るなり。此の章孟子の論ずる所は、本ある者の已むことなきを云ふ。然れども其の手を下す所は則ち一なり。凡そ人は源ある水を以て志とすべし。学問の進修、忠孝の行事皆然り。苟も源なく已むことあり、科に盈たずして進むことありては、誠に愧づべきの至りなり。

現代語訳

孔子が川のほとりで「過ぎゆくものはこのようであろうか。昼も夜も止まることがない」とおっしゃったのは、天地のめぐりによって学問の工夫を語ったものである。この章で孟子が論じているのは、根本のあるものは止むことがないということである。けれども手を下すところは同じである。およそ人は、源のある水を自分の志の手本とすべきである。学問を進め修めることも、忠孝を行うことも、みな同じである。もし源がなくて途中で止んだり、窪みを満たさないうちに先へ進んだりすれば、まことに恥ずべき極みである。

解説

離婁下第十八章は、源のある泉は昼夜を舎てず流れ、窪みを満たしてから進み、ついに海に至る、と説きます。松陰は『論語』の「逝く者は斯くの如きか」と並べ、どちらも学問の工夫を水に託した言葉だと読みます。源のある水のように、根を持った志は止まらない。逆に、根がなければ途中で涸れ、窪みを満たさずに先を急げば浅くなる。学びも行いも、一つずつ満たしながら進めよという、着実さへの勧めです。

この章句が説くこと

志継続源泉学問着実

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