講孟余話 / 滕文公下 第七章
此章始ニ泄柳申詳ヲ擧テ、臣タラサレハ見サルヲ証シ、且其甚シキヲ譏ル、終ニ曾子子路ヲ擧テ、君子ノ養フ所ヲ著シ、中孔子ヲ擧テ其標準トス、余此章ヲ読テ當今魏ノ文公魯ノ繆公ノ如キ者ナキヲ嘆シ、又泄柳申詳如キ者ナキヲ嘆ス、而シテ猶学フヘキ者ハ曾子子路ノ養フ所ナリ、壞者三復シテ、夏畦ノ病ヲ休メ赧々ノ色ヲ醒スヘシ
新字:此章始ニ泄柳申詳ヲ挙テ、臣タラサレハ見サルヲ証シ、且其甚シキヲ譏ル、終ニ曽子子路ヲ挙テ、君子ノ養フ所ヲ著シ、中孔子ヲ挙テ其標準トス、余此章ヲ読テ当今魏ノ文公魯ノ繆公ノ如キ者ナキヲ嘆シ、又泄柳申詳如キ者ナキヲ嘆ス、而シテ猶学フヘキ者ハ曽子子路ノ養フ所ナリ、壊者三復シテ、夏畦ノ病ヲ休メ赧々ノ色ヲ醒スヘシ
書き下し
此の章、始めに泄柳・申詳を挙げて、臣たらざれば見えざるを証し、且つ其の甚しきを譏る。終りに曾子・子路を挙げて、君子の養ふ所を著し、中に孔子を挙げて其の標準とす。余此の章を読みて、当今魏の文侯・魯の繆公の如き者なきを嘆じ、又泄柳・申詳の如き者なきを嘆ず。而して猶学ぶべき者は曾子・子路の養ふ所なり。学者三復して、夏畦の病を休め、赧々の色を醒ますべし。
現代語訳
この章は、初めに泄柳と申詳を挙げて、家臣でなければ君主に会わないことを証し、しかもそれが行き過ぎていることを批判している。終わりに曾子と子路を挙げて、君子が養うものを明らかにし、中ほどに孔子を挙げてその基準としている。私はこの章を読んで、いまの世に魏の文侯や魯の繆公のような君主がいないことを嘆き、また泄柳や申詳のような人物もいないことを嘆く。それでもなお学ぶべきは、曾子・子路の養ったものである。学ぶ者はこれを繰り返し読んで、夏の畑仕事より疲れるようなへつらいをやめ、顔を赤らめるような卑屈さから目を覚ますべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 仲尼弟子列伝子路蒲の大夫と為り、孔子に辞す。孔子曰く、「蒲は壮士多く、又治め難し。然れども吾汝に語げん。恭にして以て敬なれば、以て勇を執るべし。寛にして以て正なれば、以て衆に比すべし。恭正にして以て静なれば、以て上に報ゆべし」と。初め、衛の霊公に寵姫有り南子と曰ふ。霊公の太子蕢聵南子に過を得、誅を懼れて出奔す。霊公卒するに及び夫人公子郢を立てんと欲す。郢肯んぜず、曰く、「亡人太子の子輒在り」と。是に於いて衛輒を立てて君と為す、是れ出公為り。出公立つこと十二年、其の父蕢聵外に居り、入るを得ず。子路衛の大夫孔悝の邑宰と為る。蕢聵乃ち孔悝と乱を作し、謀りて孔悝の家に入り、遂に其の徒と出公を襲ひ攻む。出公魯に奔り、而して蕢聵入りて立つ、是れ荘公為り。孔悝乱を作すに方りて、子路外に在り、之を聞きて馳せ往く。子羔の衛の城門を出づるに遇ふ、子路に謂ひて曰く、「出公去れり、而して門已に閉づ、子還るべし、空しく其の禍を受くる毋かれ」と。子路曰く、「其の食を食む者は其の難を避けず」と。子羔卒に去る。使者の城に入る有り、城門開く、子路随ひて入る。蕢聵に造る、蕢聵孔悝と台に登る。子路曰く、「君焉んぞ孔悝を用ひん。請ふ得て之を殺さん」と。蕢聵聴かず。是に於いて子路台を燔かんと欲す、蕢聵懼れ、乃ち石乞・壺黶を下して子路を攻めしめ、子路の纓を撃ち断つ。子路曰く、「君子は死すとも冠は免がず」と。遂に纓を結びて死す。孔子衛の乱を聞きて、曰く、「嗟乎、由死せん」と。已にして果たして死す。故に孔子曰く、「吾由を得てより、悪言耳に聞こえず」と。是の時子貢魯の為に斉に使ひす。
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孔子家語・致思子路蒲の宰と為る。水備を為し、其の民と溝瀆を修む。民の労煩苦しむを以て、人に一簞の食、一壺の漿を与う。孔子之を聞き、子貢をして之を止めしむ。 子路忿りて悦ばず、孔子に見えて曰わく、「由や暴雨将に至らんとするを以て、水災有らんことを恐れ、故に民と溝洫を修めて以て之に備う。而して民に匱餓する者多し、是を以て簞食壺漿もて之に与う。夫子賜をして之を止めしむ、是れ夫子由の仁を行うを止むるなり。夫子仁を以て教えて其の行いを禁ず、由受けざるなり。」 孔子曰わく、「汝民を以て餓うと為さば、何ぞ君に白して倉廩を発きて以て之を賑わさざる。而して私に爾の食を以て之に饋る、是れ汝君の恵無きを明らかにし、而して己の徳の美を見わすなり。汝速やかに已めば則ち可なり、然らずんば則ち汝の罪せらるること必せり。」
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論語・雍也篇季康子問う、「仲由は政に従わしむ可きか。」子曰く、「由や果、政に従うに於いて何か有らん。」曰く、「賜は政に従わしむ可きか。」曰く、「賜や達、政に従うに於いて何か有らん。」曰く、「求は政に従わしむ可きか。」曰く、「求や芸、政に従うに於いて何か有らん。」
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史記 仲尼弟子列伝仲由、字は子路、卞の人なり。孔子より少きこと九歳。子路は性鄙にして、勇力を好み、志伉直、雄鶏を冠し、豭豚を佩び、孔子を陵暴す。孔子礼を設けて稍く子路を誘ふ、子路後に儒服して質を委ね、門人に因りて弟子と為らんことを請ふ。子路政を問ふ、孔子曰く、「之に先んじ、之を労へ」と。益を請ふ。曰く、「倦むこと無かれ」と。子路問ふ、「君子は勇を尚ぶか」と。孔子曰く、「義を之れ上と為す。君子勇を好みて義無ければ則ち乱し、小人勇を好みて義無ければ則ち盗す」と。子路聞くこと有りて、未だ之を行ふ能はざれば、唯だ聞くこと有るを恐る。孔子曰く、「片言以て獄を折むべき者は、其れ由なるか」と。「由や勇を好むこと我に過ぎたり、材を取る所無し」と。「由の若きは、其の死を得ざらん」と。「敝れたる縕袍を衣て、狐貉を衣る者と立ちて、恥ぢざる者は、其れ由なるか」と。「由や堂に升れり、未だ室に入らざるなり」と。季康子問ふ、「仲由は仁なるか」と。孔子曰く、「千乗の国其の賦を治めしむべし、其の仁を知らず」と。
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孔子家語・始誅孔子魯の司寇と為り、相の事を摂行し、喜色有り。仲由問いて曰く、「由聞く、君子禍至るも懼れず、福至るも喜ばず、と。今夫子位を得て喜ぶは、何ぞや。」孔子曰く、「然り、是の言有るなり。貴を以て人に下るを楽しむと曰わずや。」
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孔子家語・致思子路孔子に見えて曰わく、「重きを負い遠きを渉るには、地を択ばずして休み、家貧しく親老いては、禄を択ばずして仕う。昔者由や、二親に事うるの時、常に藜藿の実を食らい、親の為に米を負うこと百里の外にす。親歿するの後、南のかた楚に遊ぶ。従車百乗、粟を積むこと万鐘、茵を累ねて坐し、鼎を列ねて食らう。藜藿を食らい、親の為に米を負わんと願欲すれども、復た得可からざるなり。枯魚索に銜まるるは、幾何ぞ蠹せざらん。二親の寿は、忽として隙を過ぐるが若し。」 孔子曰わく、「由や親に事うるは、生きては事えて力を尽くし、死しては事えて思いを尽くす者と謂う可し。」
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