講孟余話 / 滕文公上 第四章
然トモ夷ノ礮磧船艦、医藥ノ法天地ノ学、皆吾ニ於テ用アリ、宜ク採択スヘシ、其皇國ノ用ヲ成スニ至テハ、亦夷狄ニシテ中国ニ進ムト云ヘシ、尙其術夷狄ニ出テ其人夷狄ニ生スルヲ以テ是ヲ疾マハ、孟子何ソ陳良ヲ称美スルコトヲ得ンヤ、古ノ賢君、人ヲ用ル、夷狄ノ人ト云トモ、賢ナル者ハ敢テ捨テス、秦ノ穆公ノ由余ヲ用ヒ、漢ノ武帝ノ金日磾ヲ用ユルカ如キ、其例少ナカラス、何况ヤ其術ヲヤ、若シ其人果シテ夷狄ノ心ヲ挾ミ、其術果シテ中國ニ益ナクシテ損アレハ、速ニ是ヲ誅斬センノミ、速ニ是ヲ禁遏センノミ、故ニ夷狄ニシテ中国ニ進ムト、中国ニシテ夷狄ニ流ルヽトノ差別ヲ明ニスルコト最モ急トス、余カ米利幹ニ往ント欲スト、吾師象山余ニ謂フ、此任深ク忠義ノ志ヲ蓄へ国ノ恩義ヲ知ル者ニ非サレハ、必ス大害ヲ生スルニ至ル、足下誠ニ其任ニ當レリト、吏ニ對スルニ方テ、数々是ヲ言フ、余固ヨリ其任ニ當ルニ足ラサレトモ、象山春秋孟子ニ於テ尤モ深シ、其亦是等ノ論ニ於テ感スル所アルカ、
新字:然トモ夷ノ礮磧船艦、医薬ノ法天地ノ学、皆吾ニ於テ用アリ、宜ク採択スヘシ、其皇国ノ用ヲ成スニ至テハ、亦夷狄ニシテ中国ニ進ムト云ヘシ、尚其術夷狄ニ出テ其人夷狄ニ生スルヲ以テ是ヲ疾マハ、孟子何ソ陳良ヲ称美スルコトヲ得ンヤ、古ノ賢君、人ヲ用ル、夷狄ノ人ト云トモ、賢ナル者ハ敢テ捨テス、秦ノ穆公ノ由余ヲ用ヒ、漢ノ武帝ノ金日磾ヲ用ユルカ如キ、其例少ナカラス、何況ヤ其術ヲヤ、若シ其人果シテ夷狄ノ心ヲ挟ミ、其術果シテ中国ニ益ナクシテ損アレハ、速ニ是ヲ誅斬センノミ、速ニ是ヲ禁遏センノミ、故ニ夷狄ニシテ中国ニ進ムト、中国ニシテ夷狄ニ流ルヽトノ差別ヲ明ニスルコト最モ急トス、余カ米利幹ニ往ント欲スト、吾師象山余ニ謂フ、此任深ク忠義ノ志ヲ蓄へ国ノ恩義ヲ知ル者ニ非サレハ、必ス大害ヲ生スルニ至ル、足下誠ニ其任ニ当レリト、吏ニ対スルニ方テ、数々是ヲ言フ、余固ヨリ其任ニ当ルニ足ラサレトモ、象山春秋孟子ニ於テ尤モ深シ、其亦是等ノ論ニ於テ感スル所アルカ、
書き下し
然れども夷の砲磧・船艦、医薬の法・天地の学、皆吾に於て用あり、宜しく採択すべし。其の皇国の用を成すに至りては、亦夷狄にして中国に進むと云ふべし。尚其の術夷狄に出で其の人夷狄に生ずるを以て是れを疾まば、孟子何ぞ陳良を称美することを得んや。古の賢君、人を用ふる、夷狄の人と云へども、賢なる者は敢へて捨てず。秦の穆公の由余を用ひ、漢の武帝の金日磾を用ふるが如き、其の例少なからず、何ぞ況や其の術をや。若し其の人果して夷狄の心を挟み、其の術果して中国に益なくして損あれば、速かに是れを誅斬せんのみ、速かに是れを禁遏せんのみ。故に夷狄にして中国に進むと、中国にして夷狄に流るるとの差別を明かにすること最も急とす。余が米利堅に往かんと欲すと、吾が師象山余に謂ふ、「此の任深く忠義の志を蓄へ国の恩義を知る者に非ざれば、必ず大害を生ずるに至る、足下誠に其の任に当れり」と。吏に対するに方りて、数々是れを言ふ。余固より其の任に当るに足らざれども、象山は春秋・孟子に於て尤も深し、其れ亦是等の論に於て感ずる所あるか。
現代語訳
しかし、外国の大砲や軍艦、医薬の方法や天文地理の学問は、みな我が国にとって役に立つものであり、よく選んで取り入れるべきである。それが我が国の役に立つようになれば、これもまた夷狄が中国に進んだと言うべきである。それでもなお、その技術が夷狄から出て、その人が夷狄に生まれたからといって憎むなら、孟子がどうして楚の陳良を褒めたたえることができただろうか。昔の賢君は人を用いるのに、夷狄の人であっても賢い者はあえて捨てなかった。秦の穆公が由余を用い、漢の武帝が匈奴出身の金日磾を用いたように、その例は少なくない。まして技術ならなおさらである。もしその人が本当に夷狄の心を抱き、その技術が本当に我が国に益がなく損があるなら、速やかに斬り捨て、速やかに禁じればよいだけである。だから、夷狄が中国に進むのと、中国が夷狄に流れるのとの区別を明らかにすることが、もっとも急がれる。私がアメリカに渡ろうとしたとき、師の佐久間象山は私に「この任務は、深く忠義の志を蓄え、国の恩義を知る者でなければ、必ず大きな害を生むことになる。君こそまことにその任にふさわしい」と言われた。私は役人の取り調べに対したとき、たびたびこのことを述べた。私はもとよりその任にふさわしい者ではないが、象山先生は『春秋』と『孟子』にもっとも深く通じておられた。先生もまたこうした論に感じるところがあったのだろうか。
解説
この章句が説くこと
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