講孟余話 / 滕文公上 第四章
吾聞用夏変夷者、未聞変於夷者也、夏夷ノ弁君子ノ愼ム所ニシテ、孟子ノ論深ク春秋ノ意ヲ得タリ、春秋ノ法、諸侯ニシテ夷狄ノ礼ヲ用ユレハ是ヲ夷狄ニス、夷狄ニシテ中国ニ進メハ是ヲ中国ニス、故ニ春秋ノ夷狄ヲ疾ムハ純ラ夷狄ナルヲ疾ムニ非ス、中国ヲ以テシテ流レテ夷狄ニ入ルヲ惡ムナリ、今許行・陳良・陳相辛・皆楚人ナリ、相辛ハ楚人カ未詳、宋ヨリ滕ニユクト云トモ、恐クハ宋人ニ非ス、陳相ノ徒ナレハ亦楚人ナルベシ、楚ハ南蛮ナリ、而シテ陳良ハ中国ニ進ム者ナリ、故ニ孟子是ヲ許スニ豪傑ヲ以テス、陳相ハ夷狄ニ入ル者ナリ、故ニ是ヲ責ルニ曾子ニ異ナルヲ以テス、許行ニ至テハ夷狄ヲ以テ中国ヲ変セント欲スル者、最モ孟子ノ惡ム所ナリ、故ニ南蛮鴃舌ノ人ト云、其是ヲ斥ル甚嚴ナリ、是等ノ議論方今ニ在テ大ニ關係アリ、深察スヘシ、歐墨ノ学ヲ修メ夷狄ヲ尊崇歆慕スル者ハ、小ハ即チ相辛ナリ、大ハ即チ許行ナリ、最モ辨拒スヘシ、
新字:吾聞用夏変夷者、未聞変於夷者也、夏夷ノ弁君子ノ慎ム所ニシテ、孟子ノ論深ク春秋ノ意ヲ得タリ、春秋ノ法、諸侯ニシテ夷狄ノ礼ヲ用ユレハ是ヲ夷狄ニス、夷狄ニシテ中国ニ進メハ是ヲ中国ニス、故ニ春秋ノ夷狄ヲ疾ムハ純ラ夷狄ナルヲ疾ムニ非ス、中国ヲ以テシテ流レテ夷狄ニ入ルヲ悪ムナリ、今許行・陳良・陳相辛・皆楚人ナリ、相辛ハ楚人カ未詳、宋ヨリ滕ニユクト云トモ、恐クハ宋人ニ非ス、陳相ノ徒ナレハ亦楚人ナルベシ、楚ハ南蛮ナリ、而シテ陳良ハ中国ニ進ム者ナリ、故ニ孟子是ヲ許スニ豪傑ヲ以テス、陳相ハ夷狄ニ入ル者ナリ、故ニ是ヲ責ルニ曽子ニ異ナルヲ以テス、許行ニ至テハ夷狄ヲ以テ中国ヲ変セント欲スル者、最モ孟子ノ悪ム所ナリ、故ニ南蛮鴃舌ノ人ト云、其是ヲ斥ル甚厳ナリ、是等ノ議論方今ニ在テ大ニ関係アリ、深察スヘシ、欧墨ノ学ヲ修メ夷狄ヲ尊崇歆慕スル者ハ、小ハ即チ相辛ナリ、大ハ即チ許行ナリ、最モ弁拒スヘシ、
書き下し
「吾れ夏を用ひて夷を変ずる者を聞く、未だ夷に変ぜらるる者を聞かざるなり」。夏夷の弁、君子の慎む所にして、孟子の論深く春秋の意を得たり。春秋の法、諸侯にして夷狄の礼を用ふれば是れを夷狄にす、夷狄にして中国に進めば是れを中国にす。故に春秋の夷狄を疾むは、純ら夷狄なるを疾むに非ず、中国を以てして流れて夷狄に入るを悪むなり。今許行・陳良・陳相・辛(皆楚人なり。相・辛は楚人か未だ詳かならず、宋より滕にゆくと云へども、恐らくは宋人に非ず、陳相の徒なれば亦楚人なるべし)、楚は南蛮なり。而して陳良は中国に進む者なり、故に孟子是れを許すに豪傑を以てす。陳相は夷狄に入る者なり、故に是れを責むるに曾子に異なるを以てす。許行に至りては夷狄を以て中国を変ぜんと欲する者、最も孟子の悪む所なり。故に「南蛮鴃舌の人」と云ふ、其の是れを斥くること甚だ厳なり。是等の議論方今に在りて大いに関係あり、深く察すべし。欧墨の学を修め夷狄を尊崇歆慕する者は、小は即ち相・辛なり、大は即ち許行なり、最も弁拒すべし。
現代語訳
「中国の文化で夷狄を変えた者は聞いたことがあるが、夷狄に変えられた者はまだ聞いたことがない」。中華と夷狄の区別は君子の慎むところであり、孟子の論は深く『春秋』の精神を得ている。『春秋』の書法では、中国の諸侯でも夷狄の礼を用いれば夷狄として扱い、夷狄でも中国の礼に進めば中国として扱う。だから『春秋』が夷狄を憎むのは、ただ夷狄であることを憎むのではなく、中国でありながら流れて夷狄に入ることを憎むのである。いま許行・陳良・陳相・陳辛は(みな楚の人である。陳相・陳辛が楚の人かどうかははっきりしない。宋から滕へ行ったというが、おそらく宋の人ではなく、陳相の仲間なのだからやはり楚の人であろう)、楚は南方の蛮族の地である。そして陳良は中国の道に進んだ者である。だから孟子は彼を豪傑として認めた。陳相は夷狄に入った者である。だから彼を、師を守った曾子と違うと責めた。許行に至っては、夷狄の道で中国を変えようとする者で、孟子がもっとも憎むところである。だから「南蛮のもずのようにさえずる人」と言い、厳しく退けている。こうした議論は、いまの時勢に大いに関係があり、深く察するべきである。欧米の学問を修めて夷狄を崇め慕う者は、小さくは陳相・陳辛であり、大きくは許行である。もっとも厳しく弁じて退けるべきである。
解説
この章句が説くこと
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