講孟余話 / 滕文公上 第四章
禹八年於外、三過其門而不入、禹ノ水ヲ治ムルヤ、塗山ニ娶リテヨリ僅ニ四日ニシテ家ヲ出ツ、其子啓生レテ呱々トシテ泣ク、声外ニ聞レトモ、敢テ門ニ入リ是ヲ顧ミス、且山川跋涉ノ労ニテ、手足胼胝シ脛ニ毛ナキニ至ル、其労亦甚シト云ヘシ、昔シ聖人ノ天下ノ爲ニスル是ノ如シ、然ルニ後世人君生レテハ逸シ生レテハ逸シテ、カヽル艱難ノ事ヲ夢ニモ知ラズ、実ニ勿体ナキコトナリ、且本藩烈祖ノ如キ、沐雨櫛風ノ労、甲冑生蝨ノ苦、大小二百五十度若クハ三百度ニ及フノ戰塲ニ臨ミ玉フコト、実ニ夏禹八年ノ労ニ過ト云ヘシ、今臣子タラン者此恩ヲ思ハヽ、少シク自ラ省ル所アルヘシ、禹ノ勞ニ感シテ遂ニ是ニ及フ、亦是情ノ已ムヘカラサルナリ、
新字:禹八年於外、三過其門而不入、禹ノ水ヲ治ムルヤ、塗山ニ娶リテヨリ僅ニ四日ニシテ家ヲ出ツ、其子啓生レテ呱々トシテ泣ク、声外ニ聞レトモ、敢テ門ニ入リ是ヲ顧ミス、且山川跋渉ノ労ニテ、手足胼胝シ脛ニ毛ナキニ至ル、其労亦甚シト云ヘシ、昔シ聖人ノ天下ノ為ニスル是ノ如シ、然ルニ後世人君生レテハ逸シ生レテハ逸シテ、カヽル艱難ノ事ヲ夢ニモ知ラズ、実ニ勿体ナキコトナリ、且本藩烈祖ノ如キ、沐雨櫛風ノ労、甲冑生蝨ノ苦、大小二百五十度若クハ三百度ニ及フノ戦塲ニ臨ミ玉フコト、実ニ夏禹八年ノ労ニ過ト云ヘシ、今臣子タラン者此恩ヲ思ハヽ、少シク自ラ省ル所アルヘシ、禹ノ労ニ感シテ遂ニ是ニ及フ、亦是情ノ已ムヘカラサルナリ、
書き下し
「禹は八年外に於て、三たび其の門を過ぎて入らず」。禹の水を治むるや、塗山に娶りてより僅かに四日にして家を出づ。其の子啓生れて呱々として泣く、声外に聞ゆれども、敢へて門に入り是れを顧みず。且つ山川跋渉の労にて、手足胼胝し脛に毛なきに至る。其の労亦甚しと云ふべし。昔し聖人の天下の為にする是くの如し。然るに後世人君、生れては逸し生れては逸して、かかる艱難の事を夢にも知らず、実に勿体なきことなり。且つ本藩烈祖の如き、沐雨櫛風の労、甲冑生蝨の苦、大小二百五十度若しくは三百度に及ぶの戦場に臨み玉ふこと、実に夏禹八年の労に過ぐと云ふべし。今臣子たらん者此の恩を思はば、少しく自ら省みる所あるべし。禹の労に感じて遂に是れに及ぶ、亦是れ情の已むべからざるなり。
現代語訳
「禹は八年のあいだ外にあって、三度わが家の門の前を通りながら入らなかった」。禹が洪水を治めたとき、塗山の娘を娶ってわずか四日で家を出た。その子の啓が生まれておぎゃあおぎゃあと泣く声が外まで聞こえても、あえて門に入って顧みることはなかった。そのうえ山や川を歩き渡る苦労で、手足にたこができ、すねに毛がなくなるほどであった。その苦労はまことにはなはだしいと言うべきである。昔の聖人が天下のために尽くしたのはこのようであった。ところが後世の君主は、生まれては安逸、生まれては安逸で、このような艱難を夢にも知らない。まことにもったいないことである。また、わが藩の烈祖(毛利元就公)のように、雨に打たれ風に髪をくしけずる苦労、鎧兜にしらみがわく苦しみをなめ、大小二百五十度とも三百度ともいう戦場に臨まれたのは、まことに夏の禹王の八年の苦労にまさると言うべきである。いま臣や子たる者がこの恩を思うならば、少しは自ら省みるところがあるべきである。禹の苦労に感じて、ついにここまで話が及んだ。これもまた、心情としてやむを得ないことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 夏本紀禹先人の父鯀の功の成らずして誅を受くるを傷み、乃ち身を労し思ひを焦がし、外に居ること十三年、家門を過ぐるも敢へて入らず。衣食を薄くし、鬼神に孝を致す。宮室を卑くし、費を溝淢に致す。食少なければ、有餘を調へて相給し、以て諸侯を均しくす。
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『講孟余話』盡心下 首章昔し「禹は天下に溺るる者有らば、己れ之れを溺らすが由しと思ふなり。稷は天下に飢うる者有らば、己れ之れを飢ゑしむるが由しと思ふ」離婁下篇第二十九章に出づ。己れ溺らし己れ飢ゑしむるは、伊尹の己れ推すと同一の義なり。己の一字、親切に熟慮すべし。蓋し堯の時に当たり、天下猶未だ平らかならず、洪水横流して天下に氾濫せり、黎民饑ゑに阻む。禹と云へども、安んぞ天下の溺るるを救はんとして己れ却つて其の身を溺らさざることを知らんや。稷と云へども、安んぞ天下の飢うるを救はんとして己れ却つて其の身を飢ゑしめざることを知らんや。而して禹・稷の二聖、己れの溺飢を恤へずして、天下の溺飢を恤ふる者は、是れ皆聖人の仁にして、伊尹と先後其の揆を同じうする所なり。
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『列子』楊朱篇鮌は水土を治むるも、績用就らず、諸を羽山に殛す。禹は業を纂ぎ讐に事う。惟だ土功に荒れ、子產まるるも字せず、門を過ぐるも入らず。身體偏枯し、手足胼胝す。舜の禪を受くるに及び、宮室を卑くし、紱冕を美にし、戚戚然として以て死に至る。此れ天人の憂苦なる者なり。
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呂氏春秋・愛類③聖王・通士、民を利するに出でざる者、有ること無し。昔上古、龍門未だ開かず、呂梁未だ發せず。河、孟門を出で、大いに溢れて逆流し、丘陵沃衍、平原高阜、有ること無く、盡く皆之を滅ぼす。名づけて鴻水と曰う。禹、是に於て河を疏し江を決し、彭蠡の障を為り、東土を乾かし、活かす所の者千八百國。此れ禹の功なり。勤勞して民の為にすること、禹より苦しめる者無し。
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孟子・滕文公章句上人に治めらるる者は人を食ひ、人を治むる者は人に食はる。天下の通義なり。」「堯の時に当たりて、天下猶ほ未だ平らかならず。洪水横流し、天下に氾濫す。草木暢茂し、禽獣繁殖す。五穀登らず、禽獣人に偪る。獣蹄鳥跡の道、中国に交はる。堯独り之を憂へ、舜を挙げて治を敷かしむ。舜益をして火を掌らしむ。益山沢を烈しくして之を焚き、禽獣逃れ匿る。禹九河を疏し、済・漯を瀹ひて諸を海に注ぎ、汝・漢を決し、淮・泗を排して、之を江に注ぐ。然る後に中国得て食ふ可きなり。是の時に当たりてや、禹八年外に於て、三たび其の門を過ぐれども入らず。耕さんと欲すと雖も、得んや。」「后稷民に稼穡を教へ、五穀を樹芸す。五穀熟して民人育つ。人の道有るや、飽食煖衣、逸居して教へ無ければ、則ち禽獣に近し。聖人之を憂ふる有り、契をして司徒と為し、教ふるに人倫を以てせしむ。父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有り。放勛曰く、『之を労ひ之を来たし、之を匡し之を直くし、之を輔け之を翼け、自ら之を得しめ、又従ひて之を振徳す』と。聖人の民を憂ふること此くの如し。而して耕すに暇あらんや。」「堯は舜を得ざるを以て己が憂ひと為し、舜は禹・皋陶を得ざるを以て己が憂ひと為す。夫れ百畝の易まらざるを以て己が憂ひと為す者は、農夫なり。人に分かつに財を以てする、之を恵と謂ひ、人に教ふるに善を以てする、之を忠と謂ひ、天下の為に人を得る者、之を仁と謂ふ。是の故に天下を以て人に与ふるは易く、天下の為に人を得るは難し。孔子曰く、『大なるかな、堯の君たるや。惟だ天を大なりと為す、惟だ堯之に則る。蕩蕩乎として民能く名づくる無し。君なるかな舜や。巍巍乎として天下を有ちて与らず』と。堯舜の天下を治むる、豈に其の心を用ふる所無からんや。亦た耕すに用ひざるのみ。」「吾夏を用ひて夷を変ずる者を聞くも、未だ夷に変ぜらるる者を聞かざるなり。
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『講孟余話』滕文公下 第九章「我も亦人心を正し、邪説を息め、詖行を距ぎ、淫辞を放ち、以て三聖者を承けんと欲す」。全章の主意此の一節に在り。此の一節又「正人心」の三字に帰す。是れ乃ち孟子終身自ら任ずる所茲にあり。抑々此の章、禹の洪水を抑へ、周公の夷狄を兼ね猛獣を駆り、孔子の春秋を成すを以て、孟子自ら比す。而して朱子注して云ふ、「蓋し邪説横流して人の心術を壊ること、洪水猛獣の災ひより甚しく、夷狄簒弑の禍ひより惨し。故に孟子深く懼れて力めて之れを救ふ」と。此の言深く味ふべし。且つ当今の事を以て是れを証せんに、群夷競ひ来る、国家の大事とは云へども、深憂とするに足らず。深憂とすべきは人心の正しからざるなり。苟も人心だに正しければ、百死以て国を守る、其の間勝敗利鈍ありと云へども、未だ遽かに国家を失ふに至らず。苟も人心先づ不正ならば、一戦を待たずして国を挙げて夷に従ふに至るべし。然れば今日最も憂ふべき者は、人心の不正なるに非ずや。近年来外夷に対し国体を失すること少なからず。其の茲に至る者、恐れながら幕府諸藩の将士、皆其の心不正にして、国の為めに忠死すること能はざるに由る。然れば孟子今日に生るるとも、亦「正人心」の三字の外一句もあることなし。此の類を以て推すに、洪水猛獣の人民を害する甚しと雖も、洪水は抑ふべし、猛獣は駆るべし。夷狄簒弑誠に憎むべしと云へども、夷狄は兼ぬべし、簒弑は誅すべし。人心苟も正しき時は、四つの者少しも憂ふるに足らず。苟も人心不正なる時は、何を以て洪水を抑へんや、何を以て猛獣を駆らんや、何を以て夷狄を兼ねんや、何を以て簒弑を誅せんや。天地晦瞑人道滅絶す。誠に寒心をなすべきことなり。
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