講孟余話 / 公孫丑下 第八章
子噲不得與人燕、子之不得受燕於子噲、註云、諸侯土地人民、受之天子傳之先君、私以與人、則與者受者皆有罪也、ト、此說極テ好シ、上天子ヨリ下士庶人ニ至ル迄、土地人民田宅皆己カ私有ニ非ズ、必ズ受ル所アリ、然ルニ一芥一毫ニテモ、私ヲ以テ人ニ與ヘハ、天地君父安ソ敢テ是ヲ怒ラサランヤ、故ニ天子ヨリ士庶人ニ至ル迄、土地人民田宅ヲ守テ、子孫ニ傳テ失墜セサルハ忠孝両全ノ道ナリ、抑下田箱舘ヲ擧テ墨夷ニ與へ、「クシュンコタン」ヲ擧テ魯夷ニ與フル、吾其解ヲ知ラズ、噫亦受之天子傳之先君者カ、抑幕府ノ私有カ
新字:子噲不得与人燕、子之不得受燕於子噲、註云、諸侯土地人民、受之天子伝之先君、私以与人、則与者受者皆有罪也、ト、此説極テ好シ、上天子ヨリ下士庶人ニ至ル迄、土地人民田宅皆己カ私有ニ非ズ、必ズ受ル所アリ、然ルニ一芥一毫ニテモ、私ヲ以テ人ニ与ヘハ、天地君父安ソ敢テ是ヲ怒ラサランヤ、故ニ天子ヨリ士庶人ニ至ル迄、土地人民田宅ヲ守テ、子孫ニ伝テ失墜セサルハ忠孝両全ノ道ナリ、抑下田箱舘ヲ挙テ墨夷ニ与へ、「クシュンコタン」ヲ挙テ魯夷ニ与フル、吾其解ヲ知ラズ、噫亦受之天子伝之先君者カ、抑幕府ノ私有カ
書き下し
「子噲は人に燕を与ふることを得ず、子之は燕を子噲に受くることを得ず」。註に云ふ、「諸侯の土地人民は、之れを天子に受け、之れを先君に伝ふ。私に以て人に与ふれば、則ち与ふる者も受くる者も皆罪あり」と。此の説極めて好し。上天子より下士庶人に至るまで、土地人民田宅皆己が私有に非ず、必ず受くる所あり。然るに一芥一毫にても、私を以て人に与へば、天地君父安んぞ敢へて是れを怒らざらんや。故に天子より士庶人に至るまで、土地人民田宅を守りて、子孫に伝へて失墜せざるは忠孝両全の道なり。抑々下田・箱館を挙げて墨夷に与へ、クシュンコタンを挙げて魯夷に与ふる、吾其の解を知らず。噫、亦之れを天子に受け、之れを先君に伝ふる者か、抑々幕府の私有か。
現代語訳
「燕王の子噲は、勝手に人に燕の国を与えることはできず、宰相の子之も、子噲から燕の国を受け取ることはできない」。朱子の注には「諸侯の土地と人民は、天子から授かり、先君から受け継いだものである。それを私的に人に与えれば、与えた者も受けた者もともに罪がある」とある。この説はきわめて良い。上は天子から下は士人庶民に至るまで、土地・人民・田畑・家屋はみな自分の私有物ではなく、必ず授かったところがある。それなのに、ごくわずかでも私的に人に与えれば、天地も主君も父祖も、どうして怒らずにいられようか。だから天子から士人庶民に至るまで、土地・人民・田畑・家屋を守って子孫に伝え、失わないことが、忠と孝をともに全うする道である。そもそも下田や箱館をそっくりアメリカに与え、クシュンコタンをロシアに与えるというのは、私にはその理屈が分からない。ああ、これもまた天子から授かり、先君から受け継いだものではないのか。それとも幕府の私有物だというのか。
解説
この章句が説くこと
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