孟子 / 梁惠王章句上
今之制民之產,仰不足以事父母,俯不足以畜妻子;樂歲終身苦,凶年不免於死亡;此惟救死而恐不贍,奚暇治禮義哉?王欲行之,則盍反其本矣:五畝之宅,樹之以桑,五十者可以衣帛矣;雞豚狗彘之畜,無失其時,七十者可以食肉矣;百畝之田,勿奪其時,八口之家可以無饑矣;謹庠序之教,申之以孝悌之義,頒白者不負戴於道路矣。老者衣帛食肉,黎民不饑不寒,然而不王者,未之有也。」
新字:今之制民之産,仰不足以事父母,俯不足以畜妻子;楽歳終身苦,凶年不免於死亡;此惟救死而恐不贍,奚暇治礼義哉?王欲行之,則盍反其本矣:五畝之宅,樹之以桑,五十者可以衣帛矣;鶏豚狗彘之畜,無失其時,七十者可以食肉矣;百畝之田,勿奪其時,八口之家可以無饑矣;謹庠序之教,申之以孝悌之義,頒白者不負戴於道路矣。老者衣帛食肉,黎民不饑不寒,然而不王者,未之有也。」
書き下し
今や民の産を制するに、仰ぎては以て父母に事ふるに足らず、俯しては以て妻子を畜ふに足らず、楽歳には終身苦しみ、凶年には死亡を免れず。此れ惟だ死を救ひて贍らざるを恐る、奚ぞ礼義を治むるに暇あらんや。王之を行はんと欲せば、則ち盍ぞ其の本に反らざる。五畝の宅、之に樹うるに桑を以てせば、五十の者以て帛を衣る可し。鶏豚狗彘の畜、其の時を失ふ無くんば、七十の者以て肉を食ふ可し。百畝の田、其の時を奪ふ勿くんば、八口の家以て饑うる無かる可し。庠序の教へを謹み、之に申ぬるに孝悌の義を以てせば、頒白の者道路に負戴せず。老者帛を衣肉を食ひ、黎民饑ゑず寒えず、然り而して王たらざる者は、未だ之有らざるなり。」
現代語訳
ところが今は民の財産の定め方が、上は父母に仕えるのに足りず、下は妻子を養うのに足りず、豊作の年でも一年中苦しみ、凶作の年には死を免れない。これではただ死から逃れようとしてもなお足りないことを恐れるばかりで、どうして礼儀を修める暇などあろうか。王がこれを実行したいと望むなら、どうして根本に立ち返らないのか。五畝の宅地に桑を植えれば、五十歳の者は絹の衣を着ることができる。鶏・豚・犬などの家畜を飼うのに繁殖の時期を失わなければ、七十歳の者は肉を食べることができる。百畝の田畑で耕作の時期を奪わなければ、八人家族が飢えずにすむ。学校での教育を丁寧に行い、孝悌の道を繰り返し教えれば、白髪まじりの老人が道で重い荷を背負ったり頭に載せたりすることはなくなる。老人が絹を着て肉を食べ、庶民が飢えず凍えない、そうでありながら王者とならなかった者は、これまでにいたためしがない。」
解説
関連する章句
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孟子・梁惠王章句上梁の惠王曰く、「寡人の國に於けるや、心を盡くすのみ。河内凶なれば則ち其の民を河東に移し、其の粟を河内に移す。河東凶なるも亦た然り。鄰國の政を察するに、寡人の心を用うるが如き者無し。鄰國の民少きを加えず、寡人の民多きを加えざるは、何ぞや。」孟子對えて曰く、「王戰いを好む。請う戰いを以て喻えん。填然として之に鼓し、兵刃既に接す。甲を棄て兵を曳きて走る。或いは百步にして而る後に止り、或いは五十步にして而る後に止まる。五十步を以て百步を笑わば、則ち何如。」曰く、「不可なり。直だ百步ならざるのみ。是も亦た走るなり。」曰く、「王如し此を知らば、則ち民の鄰國より多きを望むこと無かれ。農時に違わざれば、穀は勝げて食う可からず。數罟(ソク・コ)洿池(オ・チ)に入らずんば、魚鼈も勝げて食う可からず。斧斤時を以て山林に入れば、材木勝げて用う可からず。穀と魚鼈と勝げて食う可からず、材木勝げて用う可からざるは、是れ民をして生を養い死を喪して憾無からしむるなり。生を養い死を喪して憾無きは、王道の始めなり。五畝の宅、之に樹うるに桑を以てせば、五十の者、以て帛を衣る可し。雞豚狗彘の畜、其の時を失う無くんば、七十の者、以て肉を食う可し。百畝の田、其の時を奪う勿くんば、數口の家、以て飢うる無かる可し。庠序の教えを謹み、之に申(かさねる)ぬるに孝悌の義を以てせば、頒白の者、道路に負戴せず。七十の者、帛を衣て肉を食い、黎民、飢えず寒えず。然り而して王ならざる者は、未だ之れ有らざるなり。狗彘、人の食を食らいて檢するを知らず。塗に餓莩(ガ・ヒョウ)有りて發するを知らず。人死すれば、則ち曰く、『我に非ざるなり、歳なり。』是れ何ぞ人を刺して之を殺して、我に非ざるなり、兵なり、と曰うに異ならんや。王、歳を罪する無くんば、斯に天下の民至らん。」
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孟子・梁惠王章句上王の諸臣、皆以て之を供するに足る。而るを王豈に是が為ならんや。」曰く、「否。吾是が為ならず。」曰く、「然らば則ち王の大欲、知る可きのみ。土地を闢き、秦楚を朝せしめ、中国に莅みて四夷を撫せんと欲するなり。若の為す所を以て、若の欲する所を求むるは、猶ほ木に縁りて魚を求むるがごときなり。」王曰く、「是の若く其れ甚だしきか。」曰く、「殆ど焉より甚だしき有り。木に縁りて魚を求むるは、魚を得ずと雖も、後の災ひ無し。若の為す所を以て、若の欲する所を求むるは、心力を尽くして之を為すも、後必ず災ひ有り。」曰く、「聞くことを得可きか。」曰く、「鄒人と楚人と戦はば、則ち王以て孰れか勝つと為す。」曰く、「楚人勝たん。」曰く、「然らば則ち小は固より以て大に敵す可からず、寡は固より以て衆に敵す可からず、弱は固より以て強に敵す可からず。海内の地、方千里なる者九、斉集めて其の一を有つ。一を以て八を服せんとするは、何を以て鄒の楚に敵するに異ならんや。蓋ぞ亦た其の本に反らざる。今王政を発し仁を施し、天下の仕ふる者をして皆王の朝に立たんと欲し、耕す者をして皆王の野に耕さんと欲し、商賈をして皆王の市に蔵せんと欲し、行旅をして皆王の途に出でんと欲せしめば、天下の其の君を疾まんと欲する者、皆王に赴き愬へんと欲せん。其れ是の若くならば、孰か能く之を御がん。」王曰く、「吾惛くして、是に進むこと能はず。願はくは夫子吾が志を輔け、明らかに以て我に教へよ。我不敏なりと雖も、請ふ之を嘗試せん。」曰く、「恒産無くして恒心有る者は、惟だ士のみ能くすと為す。民の若きは、則ち恒産無ければ、因りて恒心無し。苟も恒心無ければ、放辟邪侈、為さざる無きのみ。罪に陥るに及びて、然る後に従ひて之を刑するは、是れ民を罔するなり。焉んぞ仁人位に在りて、民を罔すること為す可けんや。是の故に明君は民の産を制し、必ず仰ぎては以て父母に事ふるに足り、俯しては以て妻子を畜ふに足り、楽歳には終身飽き、凶年には死亡を免れしむ。然る後に駆りて善に之かしむ、故に民の之に従ふや軽し。
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孟子・梁惠王章句下齊の宣王問いて曰く、「人皆我に明堂を毀てと謂う。諸を毀たんか、已めんか。」孟子對えて曰く、「夫れ明堂なる者は、王者の堂なり。王、王政を行わんと欲せば、則ち之を毀つこと勿れ。」王曰く、「王政聞くことを得可きか。」對えて曰く、「昔者、文王の岐を治むるや、耕す者は九の一、仕うる者は禄を世々にし、關市は譏して征せず、澤梁は禁無く、人を罪するに孥(ド)せず。老いて妻無きを鰥(カン)と曰い、老いて夫無きを寡と曰い、老いて子無きを獨と曰い、幼にして父無きを孤と曰う。此の四者は、天下の窮民にして告ぐる無き者なり。文王、政を發し仁を施すに、必ず斯の四者を先にせり。詩に云う、『哿(カ)なり富める人、此の煢獨(ケイ・ドク)を哀れむ。』」王曰く、「善きかな言や。」曰く、「王、如し之を善しとせば、則ち何為れぞ行わざる。」王曰く、「寡人、疾有り、寡人、貨を好む。」對えて曰く、「昔者、公劉、貨を好めり。詩に云う、『乃ち積し乃ち倉す。乃ち餱糧(コウ・リョウ)を裹(つつむ)む。橐(タク)に囊(ノウ)に。戢(あつめる)めて用て光(おおいに)いにせんことを思う。弓矢斯に張り、干戈戚揚あり。爰(ここ)に方(はじめ)めて行を啓く。』故に居る者は積倉有り。行く者は裹(カ)糧有り。然る後以て爰に方めて行を啓く可し。王如し貨を好むも、百姓と之を同じうせば、王たるに於いて何か有らん。」王曰く、「寡人疾有り。寡人色を好む。」對えて曰く、「昔者、大王、色を好み、厥の妃を愛せり。詩に云う、『古公亶甫、來りて朝に馬を走らせ、西水の滸(ほとり)に率い、岐下に至る。爰に姜女と、聿(ともに)に來りて胥宇る。』是の時に當りて、內に怨女無く、外に曠夫無し。王如し色を好むも、百姓と之を同じうせば、王たるに於いて何か有らん。」
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孟子・梁惠王章句上梁の恵王曰く、「晋国は、天下焉より強きは莫きこと、叟の知る所なり。寡人の身に及びて、東のかた斉に敗れ、長子死す。西のかた地を秦に喪ふこと七百里。南のかた楚に辱めらる。寡人之を恥ぢ、願はくは死者の比に壱たび之を洒がん。之を如何にせば則ち可ならん。」孟子対へて曰く、「地方百里にして、以て王たる可し。王如し仁政を民に施し、刑罰を省き、税斂を薄くし、深く耕し易く耨り、壮者は暇日を以て其の孝悌忠信を修め、入りては以て其の父兄に事へ、出でては以て其の長上に事へしめば、梃を制して以て秦楚の堅甲利兵を撻たしむ可し。彼は其の民の時を奪ひ、耕耨して以て其の父母を養ふことを得ざらしむ。父母凍餓し、兄弟妻子離散す。彼其の民を陥溺す。王往きて之を征せば、夫れ誰か王と敵せん。故に曰く、『仁者は敵無し』と。王請ふ疑ふこと勿かれ。」
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「其の田疇を易めしめ、其の稅斂を薄くせば、民富ましむ可きなり。之を食うに時を以てし、之を用うるに禮を以てせば、財用うるに勝う可からざるなり。民は水火に非ざれば生活せず。昏暮に人の門戶を叩きて、水火を求むるに、與えざる者無きは、至って足ればなり。聖人の天下を治むるや、菽粟有ること水火の如くならしむ。菽粟、水火の如くにして、民焉くんぞ不仁なる者有らんや。」
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孟子・滕文公章句上滕の文公、國を為むるを問う。孟子曰く、「民事は緩うす可からざるなり。詩に云う、『晝は爾于きて茅かれ、宵は爾索を綯え。亟かに其れ屋に乘れ。其れ始めて百穀を播せん。』民の道為るや、恆I有る者は恆心有り。恆I無き者は恆心無し。苟くも恆心無ければ、放辟邪侈、為さざる無きのみ。罪に陥いるに及んで、然る後從って之を刑す。是れ民を罔するなり。焉くんぞ仁人位に在る有って、民を罔して為す可けんや。是の故に賢君は必ず恭儉にして下に禮し、民を取るに制有り。陽虎曰く、『富を為せば仁ならず、仁を為せば富まず。』夏后氏は五十にして貢し、殷人は七十にして助し、周人は百畝にして徹す。其の實は皆什の一なり。徹とは、徹なり。助とは、藉なり。龍子曰く、『地を治むるは助より善きは莫く、貢より善からざるは莫し。』貢とは、數歲の中を校して以て常と為す。樂歲には、粒米狼戻し、多く之を取るも虐と為さざるに、則ち寡く之を取る。凶年には、其の田に糞するも足らざるに、則ち必ず取り盈たす。民の父母と為りて、民をして盻盻然として、將た終歲勤動するも、以て其の父母を養うを得ざらしむ。又貸を稱して之を益し、老稚をして溝壑に轉ずぜしむ。惡くんぞ其の民の父母為るに在らんや。夫れ祿を世々にするは、滕固より之を行えり。詩に云う、『我が公田に雨ふり、遂に我が私に及べ。』惟だ助のみ公田有りと為す。此に由り之を觀れば、周と雖も亦た助するなり。庠序學校を設け為して、以て之を教う。庠とは、養なり。校とは、教なり。序とは、射なり。夏は校と曰い、殷は序と曰い、周は庠と曰う。學は則ち三代之を共にす。皆人倫を明らかにする所以なり。人倫上に明らかにして、小民下に親しむ。王者起こる有らば、必ず來たりて法を取らん。是れ王者の師と為るなり。詩に云う、『周は舊邦と雖も、其の命は惟れ新たなり。』文王の謂なり。子力めて之を行わば、亦た以て子の國を新たにせん。」畢戰をして井地を問わしむ。孟子曰く、「子の之、君將に仁政を行わんとし、選擇して子を使しむ。子必ず之を勉めよ。夫れ仁政は、必ず經界自り始む。經界正しからざれば、井地鈞しからず、穀祿平らかならず。是の故に暴君汙吏は必ず慢其の經界を慢にす。經界既に正しければ、田を分かち祿を制すること、坐して定む可きなり。夫れ滕は壤地褊小なれども、將た君子為り、將た野人為り。君子無くんば野人を治むる莫く、野人無くんば君を養う莫し。請う野は九が一にして助し、國中は什が一にして自ら賦せしめんことを。卿以下には必ず圭田有り。圭田は五十畝。餘夫は二十五畝。死徙、ᰰを出づる無く、ᰰ田、井を同じくし、出入相友とし、守望相助け、疾病相扶持せば、則ち百姓親睦せん。方は里にして井す。井は九百畝、其の中公田為り。八家皆百畝を私し、同じく公田を養う。公事畢りて、然る後敢て私事を治む。野人を別つ所以なり。此れ其の大略なり。夫れ之を潤澤する若きは、則ち君と子とに在り。」
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