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講孟余話 / 序

序道則高矣、美矣、約也、近也、人徒見其高且美、以爲不可及、而不知其約且近甚可親也、冨貴貧賤、安樂艱難、千百變乎前、而我待之如一、居之如忘、豈非約且近乎、然天下之人方且淫于富貴、移于貧賤、耽于安樂、苦于艱難、以失其素、而不能自拔、宜乎其見道、以爲高且美不可及也、孟子聖人之亞、其說道著明、使人可親、世蓋無不讀、讀而得于道者、或鮮矣、何也、爲富貴・貧賤・安樂・艱難・所累而然也、

新字:序道則高矣、美矣、約也、近也、人徒見其高且美、以為不可及、而不知其約且近甚可親也、冨貴貧賤、安楽艱難、千百変乎前、而我待之如一、居之如忘、豈非約且近乎、然天下之人方且淫于富貴、移于貧賤、耽于安楽、苦于艱難、以失其素、而不能自抜、宜乎其見道、以為高且美不可及也、孟子聖人之亜、其説道著明、使人可親、世蓋無不読、読而得于道者、或鮮矣、何也、為富貴・貧賤・安楽・艱難・所累而然也、

書き下し

序 道は則ち高し、美し、約なり、近し。人徒に其の高く且つ美しきを見て、以て及ぶべからずと為し、而して其の約にして且つ近く、甚だ親しむべきを知らざるなり。富貴貧賤、安楽艱難、千百前に変ずれども、我之れを待つこと一の如く、之れに居ること忘るるが如し、豈に約にして且つ近きに非ずや。然るに天下の人は方且に富貴に淫し、貧賤に移り、安楽に耽り、艱難に苦しみ、以て其の素を失ひて、自ら抜くこと能はず。宜なるかな其の道を見て、以て高く且つ美しく及ぶべからずと為すや。孟子は聖人の亜にして、其の道を説くこと著明、人をして親しむべからしむ。世蓋し読まざるは無きも、読みて道を得る者は或は鮮し。何ぞや、富貴・貧賤・安楽・艱難の累はす所と為りて然るなり。

現代語訳

序。道というものは、たしかに高く、美しい。だが同時に簡約で、身近なものである。人はただその高さと美しさだけを見て、とても及ばないと思い込み、それが簡約で身近で、たいへん親しみやすいものであることを知らない。富貴と貧賤、安楽と艱難が、目の前で千変万化しても、自分はそれに一つの態度で向き合い、その中に身を置いていることを忘れたかのように平然としている。これこそ簡約で身近ということではないか。ところが天下の人は、富貴に溺れ、貧賤に心を移し、安楽にふけり、艱難に苦しんで、もとの自分を失い、そこから抜け出せない。道を見て、高く美しくて及びがたいと思うのも無理はない。孟子は聖人に次ぐ人で、道を説くことが明快で、人に親しみを持たせる。世に孟子を読まない者はいないが、読んで道を得る者は少ない。なぜか。富貴・貧賤・安楽・艱難にわずらわされているからである。

解説

安政二年(一八五五)秋、萩の野山獄に囚われていた松陰が、獄中で講じた孟子の記録『講孟劄記』(のちの講孟余話)に寄せた漢文の序の前半です。道は高く美しいと同時に、簡約で身近なものだと松陰は言います。境遇がどう変わっても一つの心で向き合えることが、その身近さだというのです。多くの人が孟子を読んでも道を得られないのは、富や貧しさ、楽や苦に振り回されているからだ、という診断から書き起こしています。境遇に揺さぶられる自分を省みる手がかりになる一節です。

この章句が説くこと

道境遇孟子平常心序

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