告志篇 / 士に似合う楽しみを楽しむ
孟子の仰不愧於天、俯不怍於人、といへる如きは、聖賢の樂にて中々に及びかぬる事なれども、文武の藝能を始め、勇しき樂も亦やさしき樂も、其程々に隨て有之事と存候、譬へば書籍に耽りて古人を友とし、詩歌を詠じて朋友と親しみ、或は弓銃を携へて山野に遊獵し、鞍馬に跨りて海邊に逍遙し、一瓢を華前に酌て雅興を催し、橫笛を月下に吹て幽懷を寄るの類、凡これに類したる樂は眞に武士の樂にて、人々の才藝をも長じ、身體をも習はし、養生にも成事なれば、人々の好みのまゝなるべし、浮薄の風俗に染みて實學をも講ぜず、奢侈の爲に勝手をすり切て、馬をも不持、懦弱にて、風雨寒暑を恐れ、武藝をも勸めず、文官無風流にて詩歌の興をもしらず、武士の樂はいか程もあれども、己の勝手にて樂まず、美酒、佳肴、唄、三絃等の淫樂をのみ樂みと思ふは、士に似合ぬ心なるべし、かくの如き懦弱なる樂は、たとひ此上武備整たる上にても、我等はゆるし不申間、ゆめ〱くれ〱右樣の念をたち、武士の業を勸、武士の樂を樂む樣に致度事に候、
新字:孟子の仰不愧於天、俯不怍於人、といへる如きは、聖賢の楽にて中々に及びかぬる事なれども、文武の芸能を始め、勇しき楽も亦やさしき楽も、其程々に随て有之事と存候、譬へば書籍に耽りて古人を友とし、詩歌を詠じて朋友と親しみ、或は弓銃を携へて山野に遊猟し、鞍馬に跨りて海辺に逍遥し、一瓢を華前に酌て雅興を催し、横笛を月下に吹て幽懐を寄るの類、凡これに類したる楽は真に武士の楽にて、人々の才芸をも長じ、身体をも習はし、養生にも成事なれば、人々の好みのまゝなるべし、浮薄の風俗に染みて実学をも講ぜず、奢侈の為に勝手をすり切て、馬をも不持、懦弱にて、風雨寒暑を恐れ、武芸をも勧めず、文官無風流にて詩歌の興をもしらず、武士の楽はいか程もあれども、己の勝手にて楽まず、美酒、佳肴、唄、三絃等の淫楽をのみ楽みと思ふは、士に似合ぬ心なるべし、かくの如き懦弱なる楽は、たとひ此上武備整たる上にても、我等はゆるし不申間、ゆめ〱くれ〱右様の念をたち、武士の業を勧、武士の楽を楽む様に致度事に候、
書き下し
孟子の仰不愧於天、俯不怍於人、といへる如きは、聖賢の樂にて中々に及びかぬる事なれども、文武の藝能を始め、勇しき樂も亦やさしき樂も、其程々に隨て有之事と存候、譬へば書籍に耽りて古人を友とし、詩歌を詠じて朋友と親しみ、或は弓銃を携へて山野に遊獵し、鞍馬に跨りて海邊に逍遙し、一瓢を華前に酌て雅興を催し、橫笛を月下に吹て幽懷を寄るの類、凡これに類したる樂は眞に武士の樂にて、人々の才藝をも長じ、身體をも習はし、養生にも成事なれば、人々の好みのまゝなるべし、浮薄の風俗に染みて實學をも講ぜず、奢侈の爲に勝手をすり切て、馬をも不持、懦弱にて、風雨寒暑を恐れ、武藝をも勸めず、文官無風流にて詩歌の興をもしらず、武士の樂はいか程もあれども、己の勝手にて樂まず、美酒、佳肴、唄、三絃等の淫樂をのみ樂みと思ふは、士に似合ぬ心なるべし、かくの如き懦弱なる樂は、たとひ此上武備整たる上にても、我等はゆるし不申間、ゆめ〱くれ〱右樣の念をたち、武士の業を勸、武士の樂を樂む樣に致度事に候、
現代語訳
孟子の「仰いでは天に恥じず、俯しては人に恥じない」というような楽しみは、聖賢の楽しみでなかなか及びがたいことですが、文武の芸能をはじめ、勇ましい楽しみもやさしい楽しみも、それぞれの程度に応じてあるものと思います。たとえば書籍に耽って古人を友とし、詩歌を詠じて友と親しみ、あるいは弓や銃を携えて山野に遊猟し、鞍馬にまたがって海辺を逍遥し、一瓢の酒を花の前で酌んで雅興を催し、横笛を月の下で吹いて幽かな思いを託すといった類、およそこれに類した楽しみは真に武士の楽しみで、人々の才芸も伸ばし、身体も鍛え、養生にもなることですから、人々の好みのままにしてよいのです。浮薄な風俗に染まって実学を講じず、奢侈のために暮らしを使い果たして馬も持たず、惰弱で風雨や寒暑を恐れ、武芸も勧めず、文官は風流を知らず詩歌の興も知らず、武士の楽しみはいくらでもあるのに、自分の暮らし向きに応じて楽しまず、美酒、よい肴、唄、三味線などの淫楽ばかりを楽しみと思うのは、士に似合わない心でしょう。このような惰弱な楽しみは、たとえこの先武備が整った後でも、私は許しませんので、決して、くれぐれもそのような念を絶ち、武士の業を励まし、武士の楽しみを楽しむようにしたいのです。
解説
この章句が説くこと
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『武教小学』燕居伝に曰く、仕官の途は、四十に至りて強仕の年と為す。(内則に曰く、三十にして室有り、四十にして始めて仕う。方に物に出でて謀を出し慮を発し、道合えば則ち服従し、不可なれば則ち去る。注に曰く、四十を強と曰う、と。)凡そ子孫の量を考うるに、弱冠為りと雖も、(二十にして冠す。始めて礼を学ぶ。)官途を経しむべし。(此の章は書道の言に拘らず、唯其の器に依りて、遅速有るべきの義なり。)士は君に仕うと雖も、閑暇多し。(其の役職の閑暇有るなり。)或いは不幸にして未だ君に仕えず、或いは父母早く没し及び遠く離れて、朝夕の勤仕を得ず、燕居休暇の日多ければ、則ち其の志怠りて家業を慎まず、殆ど禽獣に類す。(孟子曰く、人の道有るや、飽食暖衣逸居して教え無ければ、則ち禽獣に近し、と。)大学に曰く、小人閑居して不善を為し、至らざる所無し、云々、と。故に閑居の士には、教戒無かるべからず。先ず夙に起きて盥漱櫛し、(体認の事は前章の如し。)出でて坐し、諸士に謁し、賓客に対し、庭前にて馬を見、及び馬に乗る。(御は六芸の一にして、馬は士の足なり。馬を御するの法を知らざれば、則ち軍戦の用に達する無し。故に古人之を重んず。師嘗て曰く、馬を相するの法、好むに道を以てせず、唯人の目を好喜して、士の用法を知らず。尤も慎むべきなり、と。)速やかに食す。(辰の上刻を朝飯の時と為すなり。)盥漱して後、或いは剣術、或いは弓射の礼、或いは鉄炮、或いは鑓、皆骨節を矯め、進退の法を正すなり。故に師の許に到り、又師を招請して、更に懈るべからず。久しく怠れば、則ち手足自由ならず、骨節相応ぜずして、身軽からず、体馴れずして、士の業必ず闕く。猶お暇あれば、則ち書を披きて武義を論じ、兵法を講じ、士器を閲す。(士の器とは、士の用うべき雑器なり。師且つ曰く、兵器の用完備すと雖も、収蔵して常に試みざれば、其の職司を置くと雖も必ず怠り、久しければ則ち腐敗す。或いは外は好くして内は蠹い、或いは損多くして用足らず。故に武将の古は、坐席賓客の用、之を粧飾するに皆武器を以てして、玩器を以てせず。是れ其の用を先覚に尊び、其の利を師友に問い、或いは捨て或いは用いて、其の実を尽くすと為すなり、と。)士の志斯くの如くなれば、則ち其の気専らにして他に之かず、放僻邪侈の意、発する所無し。故に孟子曰く、人恒産無ければ、則ち恒心無し、と。(産とは産業なり。四民各々恒の産業有り。若し産業を失えば、則ち恒心放逸して、放僻邪侈の心満ち溢るるなり。)

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