告志篇 / 幼年の習慣と十五歳以降の学びを大切に
幼年より貴さを挾む樣に、惡しく癖を付候はよからぬ事なり、且大臣小臣に限らず、幼年の內は文武の藝を勵むといへども、十五以上にもなり候へば、却て修業を怠り、讀書をも恥べき事の樣に成行、武藝も大抵廿餘歲にも至候へば精を出さず、金銀酒色等の欲に溺るゝは嘆しき事なり、天下の達尊三ッとあれば、朝廷にて忝子供にても、爵は爵にて尊ぶべけれども、德を尊び齒を尊ぶ事もなくて叶ふまじく候、然るに、親々の威を挾み、先生長者をも敬せざる樣にては不宜事に候、聖人にてすら十五にして學に志すとあり、まして常の人は、十五以前には日當も不立事なれば、子供は子供相應の事をいたし、文武の業も子供だけにいたさせ置、十五以上にも至、己より精を出し候心に相成候期をのがさず、能勵し敎候てこそ脩業も屆くべけれ、然るに、其頃に至候へば親々深く世話不致は、一統の弊風とは乍言、聞えぬ事なり、神樂の歌に「深山には、あられふるらし、外山なる、まさきのかつら、色つきにけり、」易に履霜堅氷至とも見えたり、何事も最初の習はしから可有之間、子弟の敎育は厚く心を用候事、我等への大なる奉公と存候、大臣の議は、猶更敎誨ありたき事に候、
新字:幼年より貴さを挟む様に、悪しく癖を付候はよからぬ事なり、且大臣小臣に限らず、幼年の内は文武の芸を励むといへども、十五以上にもなり候へば、却て修業を怠り、読書をも恥べき事の様に成行、武芸も大抵廿余歳にも至候へば精を出さず、金銀酒色等の欲に溺るゝは嘆しき事なり、天下の達尊三ッとあれば、朝廷にて忝子供にても、爵は爵にて尊ぶべけれども、徳を尊び歯を尊ぶ事もなくて叶ふまじく候、然るに、親々の威を挟み、先生長者をも敬せざる様にては不宜事に候、聖人にてすら十五にして学に志すとあり、まして常の人は、十五以前には日当も不立事なれば、子供は子供相応の事をいたし、文武の業も子供だけにいたさせ置、十五以上にも至、己より精を出し候心に相成候期をのがさず、能励し教候てこそ脩業も届くべけれ、然るに、其頃に至候へば親々深く世話不致は、一統の弊風とは乍言、聞えぬ事なり、神楽の歌に「深山には、あられふるらし、外山なる、まさきのかつら、色つきにけり、」易に履霜堅氷至とも見えたり、何事も最初の習はしから可有之間、子弟の教育は厚く心を用候事、我等への大なる奉公と存候、大臣の議は、猶更教誨ありたき事に候、
書き下し
幼年より貴さを挾む樣に、惡しく癖を付候はよからぬ事なり、且大臣小臣に限らず、幼年の內は文武の藝を勵むといへども、十五以上にもなり候へば、却て修業を怠り、讀書をも恥べき事の樣に成行、武藝も大抵廿餘歲にも至候へば精を出さず、金銀酒色等の欲に溺るゝは嘆しき事なり、天下の達尊三ッとあれば、朝廷にて忝子供にても、爵は爵にて尊ぶべけれども、德を尊び齒を尊ぶ事もなくて叶ふまじく候、然るに、親々の威を挾み、先生長者をも敬せざる樣にては不宜事に候、聖人にてすら十五にして學に志すとあり、まして常の人は、十五以前には日當も不立事なれば、子供は子供相應の事をいたし、文武の業も子供だけにいたさせ置、十五以上にも至、己より精を出し候心に相成候期をのがさず、能勵し敎候てこそ脩業も屆くべけれ、然るに、其頃に至候へば親々深く世話不致は、一統の弊風とは乍言、聞えぬ事なり、神樂の歌に「深山には、あられふるらし、外山なる、まさきのかつら、色つきにけり、」易に履霜堅氷至とも見えたり、何事も最初の習はしから可有之間、子弟の敎育は厚く心を用候事、我等への大なる奉公と存候、大臣の議は、猶更敎誨ありたき事に候、
現代語訳
幼い頃から貴さを鼻にかけるように悪い癖をつけるのはよくないことです。そのうえ大臣・小臣にかぎらず、幼年のうちは文武の芸に励みますが、十五歳以上になると、かえって修業を怠り、読書をも恥ずべきことのようになり、武芸も大抵二十歳余りになれば精を出さず、金銀酒色などの欲に溺れるのは嘆かわしいことです。天下の達尊は三つあるといい、朝廷にあってはありがたいことに子どもでも、爵は爵として尊ぶべきですが、徳を尊び年齢を尊ぶことがなくてはなりません。それなのに、親たちの威を鼻にかけ、先生や年長者をも敬わないようではよくないことです。聖人ですら十五歳で学に志したとあり、まして普通の人は、十五歳以前には目当ても立たないのですから、子どもは子どもに相応しいことをし、文武の業も子ども程度にさせておき、十五歳以上になり、自分から精を出す気持ちになる時期を逃さず、よく励ませ教えてこそ、修業も届くでしょう。それなのに、その頃になると親たちが深く世話をしないのは、一統の弊風とはいえ、理解できないことです。神楽の歌に「深い山にはあられが降るらしい、外山のまさきのかずらが色づいたことよ」とあり、易に「霜を踏めば堅い氷に至る」ともあります。何事も最初の習慣からのことですから、子弟の教育には厚く心を用いることが、私への大きな奉公と思います。大臣の議は、なおさら教え諭していただきたいことです。
解説
この章句が説くこと
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『告志篇』・利を見て義を思い子孫に学を遺す利欲は人情誰にても有之事に候へども、人は如何成候ても己れさへ利あれば宜きと思ふは、あさましき事にて、士にはあるまじき事に候間、利を見ては義を思ふといふ、聖語忘間敷候、人も我も一同に利になり候樣公平なる事に候はゞ、利も惡しきにあらず候へども、人をくるしめて己れを利し、廉恥を忘れ、金銀を好候抔は沙汰の限に候、凡士たる者は俸祿にて一年の出入を定め、身分相應に普代の家來をも持、不虞の備も行屆、子孫には德行道藝を學ばしめ、國家の用に立候樣敎育いたし候はゞ、別て金銀を貯候には不及事なり、もし非道の金銀を貯へ、子孫へ讓り候迄も、數なくして子孫愚なる時は、金銀も却て放蕩邪淫の媒となりて、讓らざるには遙に劣るべければ、金銀を讓んよりは、子孫を敎ふるほど、君の爲家の爲になる事はある間敷候、子孫敎育之儀は、其親々如在も有間敷候へども、當時の風俗、大臣の子弟は其父兄の故を以、人も疎略不致、無理をいひても其儘通し置候故、我まゝのみ增長し、小臣を見下し候類もありときく、大臣の子弟は行々政務にも預り、國の柱石ともなるべき身なれば、別して學問等をも勵み、下情にも通達する樣にと敎ふべきに、左はなくて、
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『武家小学』・幼少期の習い一凡幼稚の間は氣の稟る處唯天然にして生のまゝ成ゆゑ。善惡を辨る事あたはず。心にいまだ主とする所なく。物に移り染易く。其習ふ事は日々月々成長するに隨て知惠增善惡の兆所なれば甚愼べし。惣じて最初心に見馴聞習ふ事はよく覺へ染て。終に其身の得手と成て一生涯ぬけざるものなれば戒愼べし。都て男女とも幼稚の時より戒なく氣まゝに育れば長と成て驕り惰て家業を愼まず。又敎なき時は癖功者付て物事を意にすまし父母の命を背きて己が意の儘の働を爲べし。されば他の諫言は猶更聞用る事なきゆゑ天地の道理に背て。終に天下の廢人と成べし。子を愛して敎ざるをば。子を驕らする不慈の父といへり。
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『家道訓』巻之一・総論上一子をそだつるには、おごりとほしいままなるをはやくいましむべし。衣服器用以下、万の俸養、わが身の俸禄よりかろくうすく、ばうぞくなるべし。愛を過して、物ごとにゆたかに華美なるは、是子におごりを教ふるなり。いとけなき時よりおごれば、年長じてますます甚し。はじめゆたかにして、後におさゆるはあしし。始めかがみて、後にやうやくのぶるはよし。いとけなきよりいましめて、偽なくして誠を本とす。よろづの事、質朴にすべし。又おこたりわがままなるをはやくいましめて、へりくだりゆづる事ををしふべし。子をそだつるに、はやくをしふると、左右の人をえらぶとにありといへるは、賈誼が名言なり。此の二に心を用ふべし。はやくをしへざれば悪にうつりやすし。附きしたがふ人あしければ、あしき事を見聞きて、一生のわざはひとなる。幼よりあしき事を見聞しては、先入の言主となり、後に善事を見聞きてもうつらず。あしき癖つきては、後にならひとなりて改りがたし。
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『慎思録』巻之五衆人の生や、十歳より弱冠に到るまで、其の知識日に漸く長じ、情慾も亦浸く盛んなり。異物を見て遷る。其の賢知愚不肖、此の時に於て定まる。故に十歳以上二十歳に到るまでは、教戒禁防、最も無かるべからざるの時なり。姑息を為して驕惰を縦にすべからず。苟も此の時に於て空しく放過して教戒無ければ、則ち習ひ智と長じ、化心と成りて、扞格して勝へざるに至り、遂に終身の凶悪を養成し了らん。畏れざるべけんや。
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『告志篇』・人の才を妬まず誠信を本とする何事によらず、己れの能を挾みて、人の能を妬み抔するは、いといやしき心なり、何事にても我より先なる者あらば聽ことを恥ず、子供にも問べく、又我より後なるものをば能世話いたし引立候樣にすべし、家中に藝能等すぐれたる者多く出來候は、主君の爲なり、然るに文武に限らず、同流にても他流にても、上手の者を妬み抔するは、主君へ對し不忠なる事ならずや、己れの不遇を恨、人の立身を羨み嫉む抔は、猶更士には有間敷事なり、我等乍不肖、士民の上に臨み居候上は、家中の賢能を勸め、邪慝を懲しめ申度、常ゝ心を用ゐ候得ども、知人の難きは、聖人の病給ふ所にて、中々行屆兼候間、餘多の家中には善をなしてかくれ居候も可有之、又惡をなしてのがれ居候も可有之、日夜致苦心候處、面々に於ては我等の心を推察いたし、正道を守り邪行を戒め候樣致度事に候、然るに誰某は善行あれども上の賞にも預らねば、善をなすも無益なりと思ひ、誰某は惡事あれども罰も蒙らねば、惡をなし候ても申譯ありといひ、一人や二人の進退を見て忽に心を動し、惡をなし候樣なる者は、我家中にはあるまじく候、何事によらず、定置所の法度、又は父母師友の敎戒を守るは勿論に候へども、夫迄にも無之、大抵の人は是は善是は惡と申儀分ればこそ、惡き事は忍び隱れて行ひ候へば、一向善惡の境不相辨とは申がたく、多分は己れも惡敷と存じ、人よりも心を付られ候をも知つゝ行ひ候事に候へば、求て行ひ候も同樣なるべし、かくれたるより顯るはなしといへり、ゆめ〱いつはりなく、誠信を本とし、內省不疚の聖語、服膺致たき事に候。
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『和俗童子訓』巻之二・総論下一小児は十歳より内にて、早く教へ戒むべし。性悪しくとも、能く教へ習はさば、必よく成るべし。いかに美質の人なりとも、悪しくもてなさば、必悪しきに移るべし。少年の人の悪しくなるは、教の道なきが故なり。習を悪しくするは、譬へば馬にくせを乗り附くるが如し。いかに曲馬にても、よき乗手の乗れば、よくなるものなり。また鶯のひなを飼ふに、初て鳴く時より、別によく囀る鶯を其傍に置きて、其音を聞きならはしむれば、必よく囀りて、後までかはらず。是初よりよき音を聞きて習へばなり。禽獣といへど、早く教へぬれば、善に移り易きこと此のごとし。況や人は万物の霊にて、本性は善なれば、幼き時より、能く教訓したらんに、勝れたる悪性の人ならずば、などか悪しくならん。人を教訓せずして悪しくなし、其性を損ずるは、惜むべき事ならずや。

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