和俗童子訓 / 巻之二・総論下
一小兒は十歲より內にて、早く敎へ戒むべし。性惡しくとも、能く敎へ習はさば、必よく成るべし。いかに美質の人なりとも、惡しくもてなさば、必悪しきに移るべし。少年の人の惡しくなるは、敎の道なきが故なり。習を惡しくするは、譬へば馬にくせを乘り附くるが如し。いかに曲馬にても、よき乘手の乘れば、よくなるものなり。また鶯のひなを飼ふに、初て鳴く時より、別によく囀る鶯を其傍に置きて、其音を聞きならはしむれば、必よく囀りて、後までかはらず。是初よりよき音を聞きて習へばなり。禽獸といへど、早く敎へぬれば、善に移り易きこと此のごとし。況や人は萬物の靈にて、本性は善なれば、幼き時より、能く敎訓したらんに、勝れたる惡性の人ならずば、などか惡しくならん。人を敎訓せずして惡しくなし、其性を損ずるは、惜むべき事ならずや。
新字:一小児は十歳より内にて、早く教へ戒むべし。性悪しくとも、能く教へ習はさば、必よく成るべし。いかに美質の人なりとも、悪しくもてなさば、必悪しきに移るべし。少年の人の悪しくなるは、教の道なきが故なり。習を悪しくするは、譬へば馬にくせを乗り附くるが如し。いかに曲馬にても、よき乗手の乗れば、よくなるものなり。また鶯のひなを飼ふに、初て鳴く時より、別によく囀る鶯を其傍に置きて、其音を聞きならはしむれば、必よく囀りて、後までかはらず。是初よりよき音を聞きて習へばなり。禽獣といへど、早く教へぬれば、善に移り易きこと此のごとし。況や人は万物の霊にて、本性は善なれば、幼き時より、能く教訓したらんに、勝れたる悪性の人ならずば、などか悪しくならん。人を教訓せずして悪しくなし、其性を損ずるは、惜むべき事ならずや。
書き下し
一小児は十歳より内にて、早く教へ戒むべし。性悪しくとも、能く教へ習はさば、必よく成るべし。いかに美質の人なりとも、悪しくもてなさば、必悪しきに移るべし。少年の人の悪しくなるは、教の道なきが故なり。習を悪しくするは、譬へば馬にくせを乗り附くるが如し。いかに曲馬にても、よき乗手の乗れば、よくなるものなり。また鶯のひなを飼ふに、初て鳴く時より、別によく囀る鶯を其傍に置きて、其音を聞きならはしむれば、必よく囀りて、後までかはらず。是初よりよき音を聞きて習へばなり。禽獣といへど、早く教へぬれば、善に移り易きこと此のごとし。況や人は万物の霊にて、本性は善なれば、幼き時より、能く教訓したらんに、勝れたる悪性の人ならずば、などか悪しくならん。人を教訓せずして悪しくなし、其性を損ずるは、惜むべき事ならずや。
現代語訳
子どもは十歳までのうちに、早く教え戒めなさい。性質が悪くても、よく教え習わせれば、必ずよくなるでしょう。どれほど素質のよい人でも、悪い扱い方をすれば、必ず悪い方へ移るでしょう。少年が悪くなるのは、教えの道がないからです。習わしを悪くするのは、たとえば馬に癖をつけて乗るようなものです。どんな癖馬でも、よい乗り手が乗ればよくなるものです。また鶯の雛を飼うのに、初めて鳴く時から、特によくさえずる鶯をそばに置いて、その声を聞き慣れさせると、必ずよくさえずって、後まで変わりません。これは初めからよい声を聞いて習うからです。鳥や獣でさえ、早く教えればこのように善に移りやすいのです。まして人は万物の霊で、本性は善なのですから、幼い時からよく教え導けば、よほどの悪い性質の人でない限り、どうして悪くなるでしょうか。人を教え導かずに悪くして、その本性を損なうのは、惜しいことではないでしょうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・奉使晏子將に荊に使いせんとす。荊王之を聞き、左右に謂いて曰く、「晏子は賢人なり。今方に來らんとす。之を辱めんと欲す、何を以てせん。」左右對えて曰く、「其の來るに爲り、臣請う一人を縛りて王を過りて行かしめん。」是に於て荊王晏子と立ちて語る。一人を縛る有り、王を過りて行く。王曰く、「何を爲す者ぞ。」對えて曰く、「齊人なり。」王曰く、「何の坐ぞ。」曰く、「盜に坐す。」王曰く、「齊人固より盜するか。」晏子反顧して之に曰く、「江南に橘有り、齊王人をして之を取りて江北に樹えしむるに、生じて橘と爲らず、乃ち枳と爲る。然る所以は何ぞ。其の土地之をして然らしむるなり。今齊人齊に居りて盜せず、荊に來りて盜す、土地之をして然らしむる無きを得んか。」荊王曰く、「吾子を傷つけんと欲して反りて自ら中れり。」
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論語・衛霊公篇子貢、仁を為すを問う。子曰く、「工、其の事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器を利くす。是の邦に居るや、其の大夫の賢者に事え、其の士の仁者を友とす。」
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孫子・始計篇天とは、陰陽・寒暑・時制なり。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「君子の陳・蔡の間に戹するは、上下の交はり無ければなり。」
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孟子・滕文公章句下孟子、戴不勝に謂いて曰く、「子は子の王の善ならんことを欲するか。我明らかに子に告げん。此に楚の大夫有らんに、其の子の齊語せんことを欲すれば、則ち齊人をして諸に傅たらしめんか。楚人をして諸に傅たらしめんか。」曰く、「齊人をして之に傅たらしめん。」曰く、「一齊人之に傅たるも、衆楚人之を咻せば、雖日に撻(むちうつ)ちて其の齊たらんことを求むと雖も、得可からず。引いて之を莊嶽の間に置くこと數年ならば、日に撻ちて其の楚たらんことを求むと雖も、亦た得可からず。子、薛居州を善士と謂い、之をして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王は誰と與にか不善を為さん。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州に非ざれば、王は誰と與にか善を為さん。一薛居州、獨り宋王を如何せん。」 <語釈> ○「咻」、音はキュウ、義はかまびすしくすること。○「莊嶽」、顧炎武云う、莊は是れ街の名、嶽は是れ里の名。
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『墨子』所染子墨子、染絲する者を見て歎じて言いて曰く、「蒼に染むれば則ち蒼く、黄に染むれば則ち黄なり。入るる所の者變ずれば、其の色も亦た變ず。五たび入れて已に五色と為る。故に染は慎まざる可からざるなり」と。
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