史記 / 佞幸列伝
太史公曰:甚哉愛憎之時!彌子瑕之行,足以觀后人佞幸矣。雖百世可知也。
新字:太史公曰:甚哉愛憎之時!弥子瑕之行,足以観后人佞幸矣。雖百世可知也。
書き下し
太史公曰く、「甚だしいかな愛憎の時なる。彌子瑕の行、以て后人の佞幸を観るに足る。百世と雖も知る可きなり」と。
現代語訳
太史公は言う。「愛憎というものは、なんと時によって変わるものか。彌子瑕の行いを見れば、後世の佞幸の臣のありようを知るには十分だ。百代のちのことでも、これで分かるのである」。
解説
「同じ行いが、寵愛のあるなしで正反対に評価される——愛憎の移ろいやすさを心得よ」——寵愛の本質を、有名な故事とともに司馬遷が総括する、この篇の結びです。司馬遷は、まず嘆じます。「なんとまあ、(人の)愛と憎しみは、その時々(の寵愛のあるなし)によって、変わってしまうものか(甚哉愛憎之時)」と。そして、その典型として、彌子瑕(びしか)の故事を挙げます。この故事は、次のようなものです。衛の君主に寵愛されていた彌子瑕は、あるとき、(母の急病を聞いて)君主の許可を偽り、無断で君主の車を使って駆けつけました。本来なら足切りの刑にあたる重罪です。しかし君主は「なんと孝行なことか。母のために、足切りの刑も忘れて」と、かえって彼を褒めました。またあるとき、彌子瑕は、桃を食べて、その美味しさのあまり、食べかけの半分を君主に差し出しました。すると君主は「私を愛するあまり、自分の口を惜しんで、私に食べさせてくれるのか」と喜びました。——ところが、後に彌子瑕の容色が衰え、寵愛が薄れると、君主の評価は正反対になります。かつて褒めた同じ行いを持ち出して、「こやつは、以前、私の車を無断で使い、食べかけの桃を私に食わせた無礼者だ」と、罰したのです。行いは何一つ変わっていないのに、寵愛があるときは美徳と讃えられ、寵愛が去れば同じ行いが罪と断じられた——これこそが「愛憎の時」の恐ろしさです。司馬遷は結びます。「この彌子瑕の一件は、後世の寵臣(佞幸)のありようを見るのに、十分な教訓だ。百世の後までも、(この道理は変わらず)知ることができるだろう」と。ここに、寵愛と評価についての教訓があります。第一に、寵愛にもとづく評価は、極めて移ろいやすく、あてにならないということ。同じ行いが、寵愛のあるなしによって、美徳とも罪とも判断される。他人の一時の好意や気分に依存した評価は、砂上の楼閣である。第二に、だからこそ、他人の寵愛や好意を得ることに一喜一憂し、それに自分の運命を委ねるのは危ういということ。寵愛は、いつか必ず移ろう。第三に、人を評価する立場にある者は、自らの好き嫌いや、そのときの気分によって、同じ行いを正反対に裁いていないか、常に省みるべきだということ。組織や人生で、寵愛にもとづく評価の移ろいやすさとあてにならなさを知ること、他人の一時の好意に自分の運命を委ねないこと、そして人を評価する際に自らの好悪や気分で判断を歪めていないか省みること——「愛憎の時」を説く司馬遷の結びは、寵愛の本質と、公平な評価の難しさを教えます。
この章句が説くこと
佞幸列伝太史公評愛憎之時弥子瑕余桃の故事同じ行いが寵愛で正反対に評価される寵愛にもとづく評価の移ろいやすさ
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