国語 / 晋語八
趙文子為室,斲其椽而礱之,張老夕焉而見之,不謁而歸。文子聞之,駕而往,曰:「吾不善,子亦告我,何其速也?」對曰:「天子之室,斲其椽而礱之,加密石焉;諸侯礱之;大夫斲之;士首之。備其物,義也;從其等,禮也。今子貴而忘義,富而忘禮,吾懼不免,何敢以告。」文子歸,令之勿礱也。匠人請皆斲之,文子曰:「止。為後世之見之也,其斲者,仁者之為也,其礱者,不仁者之為也。」
新字:趙文子為室,斲其椽而礱之,張老夕焉而見之,不謁而帰。文子聞之,駕而往,曰:「吾不善,子亦告我,何其速也?」対曰:「天子之室,斲其椽而礱之,加密石焉;諸侯礱之;大夫斲之;士首之。備其物,義也;従其等,礼也。今子貴而忘義,富而忘礼,吾懼不免,何敢以告。」文子帰,令之勿礱也。匠人請皆斲之,文子曰:「止。為後世之見之也,其斲者,仁者之為也,其礱者,不仁者之為也。」
書き下し
趙文子室を為(つく)り、其の椽(てん)を斲(き)りて之を礱(みが)く。張老夕して之を見、謁せずして帰る。文子之を聞き、駕して往きて、曰く、「吾善からずんば、子も亦我に告げよ。何ぞ其れ速やかなるや」と。対えて曰く、「天子の室は、其の椽を斲りて之を礱き、密石を加う。諸侯は之を礱き、大夫は之を斲り、士は之を首(き)る。其の物を備うるは、義なり。其の等に従うは、礼なり。今子貴くして義を忘れ、富みて礼を忘る。吾免れざらんことを懼る。何ぞ敢えて以て告げん」と。文子帰り、之をして礱くこと勿からしむ。匠人請う皆之を斲らんと。文子曰く、「止めよ。後世の之を見んが為なり。其の斲る者は、仁者の為(しわざ)なり。其の礱く者は、不仁者の為なり」と。
現代語訳
趙文子(趙武)が屋敷を建て、垂木を削ったうえに磨き上げさせた。張老が夕方に訪れてそれを見ると、あいさつもせずに帰ってしまった。趙文子はこれを聞くと、馬車に乗って張老のもとへ出向いて言った。「わたしに良くないところがあるなら、あなたも言ってくれればよいではないか。どうしてそんなに急いで帰ってしまったのか。」張老は答えた。「天子の宮室は、垂木を削って磨き、さらに細かい砥石で仕上げます。諸侯は磨くまで、大夫は削るまで、士は端を切りそろえるまでです。身分に応じた品をそろえるのが義であり、その等級に従うのが礼です。いまあなたは身分が高くなって義を忘れ、富んで礼を忘れておられます。わたしはあなたが災いを免れないのではないかと恐れたのです。どうしてあえて申し上げることなどできましょう。」趙文子は帰って、垂木を磨くのをやめさせた。大工が、すでに磨いたものもすべて削り直しましょうかと願い出ると、趙文子は言った。「やめておけ。後の世の人にこれを見せるためだ。削ったものは仁者のしわざ、磨いたものは不仁者のしわざだと。」
解説
この章句が説くこと
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論語・八佾篇子曰く、『管仲の器、小なる哉!』或曰く、『管仲は倹なりや。』曰く、『管氏に三帰有り。』曰く、『然らば礼を知るや。』曰く、『邦君、塞門を樹つ、管氏も亦塞門を樹つ。邦君、二君の好を為すに反坫有り、管氏も亦反坫有り。管仲、その器小なる哉!』
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『春秋左氏伝』昭公二十一年 無射の鐘二十一年春、天王將に無射を鑄んとす。泠州鳩曰く、「王其れ心疾を以って死せんか。夫れ樂は、天子の職なり。夫れ音は、樂の輿なり。而して鐘は、音の器なり。天子風を省みて以って樂を作り、器以って之を鐘(あつ)め、輿以って之を行る。小なる者は窕(ちょう)ならず、大なる者は槬(くわ)ならざれば、則ち物に和す。物和すれば則ち嘉成る。故に和聲耳に入りて、心に藏る。心億(やす)ければ則ち樂し。窕なれば則ち咸(あまね)からず、總なれば則ち容れず、心是を以って感く。感けば實に疾を生ず。今鐘槬なり、王の心堪へず、其れ能く久しからんや」と。三月、蔡の平公を葬る。蔡の大子朱位を失ひ、位卑きに在り。大夫の葬を送る者、歸りて昭子に見ゆ。昭子蔡の故を問ふ。以って告ぐ。昭子歎じて曰く、「蔡其れ亡びんか。若し亡びずんば、是の君や必ず終へざらん。詩に曰く、『位に解らず、民の塈(いこ)ふ攸なり』と。今蔡侯始めて位に即きて、卑きに適く。身將に之に從はんとす」と。夏、晉の士鞅來聘す。叔孫政を為す。季孫諸を晉に惡ましめんと欲し、有司をして齊の鮑國の費を歸すの禮を以って士鞅の為にせしむ。士鞅怒りて曰く、「鮑國の位は下にして、其の國は小なり。而るに鞅をして其の牢禮に從はしむ、是れ敝邑を卑しむるなり。將に諸を寡君に復さんとす」と。魯人恐れ、四牢を加へ、十一牢と為す。
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『慎思録』巻之五卑幼の輩、居れば則ち長者の位を避け、行けば則ち随ひ行き、言語応対は、則ち恂恂として謙遜す。是れ礼の当に然るべき所なり。後世の卑幼は此の礼に循はず。往往長者の位に居り、先生と並び行き、言語応対は、則ち尊長と抗敵す。唯速やかに成人の列に進まんことを欲し、等を躐え節を凌ぐ。分に安んぜざるの甚だしきなり。是を以て驕惰の心を養成して、教ふべからざるに至る。歎ずべきかな。
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国語・魯語下公父文伯の母、季氏に如く。康子其の朝に在り。之と言うも、応えず。之に従いて寝門(しんもん)に及ぶも、進まずして入る。康子朝を辞して入りて見えて曰く、「肥や命を聞くを得ず。乃ち罪あること無からんや」と。曰く、「子聞かざるか。天子及び諸侯は、民事を外朝に合し、神事を内朝に合す。卿より以下は、官職を外朝に合し、家事を内朝に合す。寝門の内は、婦人其の業を治む。上下之を同じくす。夫れ外朝は、子将に君の官職を業とせんとするなり。内朝は、子将に季氏の政を庀(おさ)めんとするなり。皆吾の敢えて言う所に非ざるなり」と。
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『正法眼蔵随聞記』巻一一日示して云く、人其家に生れ、其道に入らば、先づ其家業を修すべしと知るべきなり、我道にあらず己が分にあらざらんことを知り修すれば即ち非なり、今も出家人として、便ち仏家に入り僧侶とならば、須く其業を習ふべし、其業を習ひ其儀を守ると云は、我執をすてゝ知識の教に随ふなり、其大意は食欲無きなり、貪欲なからんと思はヾ、先づ須く吾我を離るべきなり、吾我を離るゝには、無常を観ずる、是れ第一の用心なり、
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『正法眼蔵随聞記』巻一亦物語に云く、故の鎌倉の右大将、始め兵衛佐にて有し時、内裡の辺に、日はれの会に出仕の時、一人の不当人ありき、其時の大納言あふせて云く、是を制すべしと、大将の云く、六波羅に仰せらるべし、平家の将軍なりと、大納言の云く、近か近かなればなりと、大将の云く、其の人に非ずと、是れ美言なり、此の心にて後には世をも治められしなり、今の学人も其心あるべし、其人にあらずして人を呵すること莫れ、
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