国語 / 晋語八
訾祏死,范宣子謂獻子曰:「鞅乎!昔者吾有訾祏也,吾朝夕顧焉,以相晉國,且為吾家。今吾觀女也,專則不能,謀則無與也,將若之何?」對曰:「鞅也,居處恭,不敢安易,敬學而好仁,和於政而好其道,謀於眾不以賈好,私志雖衷,不敢謂是也,必長者之由。」宣子曰:「可以免身。」
新字:訾祏死,范宣子謂献子曰:「鞅乎!昔者吾有訾祏也,吾朝夕顧焉,以相晋国,且為吾家。今吾観女也,専則不能,謀則無与也,将若之何?」対曰:「鞅也,居処恭,不敢安易,敬学而好仁,和於政而好其道,謀於衆不以賈好,私志雖衷,不敢謂是也,必長者之由。」宣子曰:「可以免身。」
書き下し
訾祏死す。范宣子献子(けんし)に謂いて曰く、「鞅(おう)や。昔者(むかし)吾に訾祏有るや、吾朝夕顧みて、以て晋国を相(たす)け、且つ吾が家を為(おさ)む。今吾女(なんじ)を観るに、専らにすれば則ち能わず、謀れば則ち与(とも)にする無し。将に之を若何(いかん)せんとす」と。対えて曰く、「鞅や、居処は恭しく、敢えて安易ならず。学を敬して仁を好み、政に和して其の道を好み、衆に謀りて以て好を賈(か)わず。私志衷(ちゅう)なりと雖も、敢えて是と謂わず、必ず長者に之れ由らん」と。宣子曰く、「以て身を免るべし」と。
現代語訳
訾祏が亡くなった。范宣子は子の献子(范鞅)に言った。「鞅よ。以前わたしには訾祏がいたので、朝に夕に相談して、晋の国を補佐し、そのうえわが家を治めることができた。いまおまえを見ると、ひとりで事に当たらせてもできそうにないし、ともに謀る相手もいない。これからどうするつもりか。」献子は答えた。「わたし鞅は、ふだんの暮らしではつつしみ、気安く怠けることはいたしません。学問を敬って仁を好み、政事では人と和してその道を好み、多くの人に相談しても人気取りをいたしません。自分の考えが正しいと思っても、それを正しいと言い張らず、必ず年長の人の意見に従います。」宣子は言った。「それならば身を全うすることはできよう。」
解説
この章句が説くこと
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