国語 / 晋語七
始合諸侯于虛朾以救宋,使張老延君譽于四方,且觀道逆者。呂宣子卒,公以趙文子為文也,而能恤大事,使佐新軍。三年,公始合諸侯。四年,諸侯會于雞丘,於是乎布命、結援、修好、申盟而還。令狐文子卒,公以魏絳為不犯,使佐新軍。使張老為司馬,使范獻子為候奄。公譽達于戎。五年,諸戎來請服,使魏莊子盟之,於是乎始復霸。 四年,會諸侯於雞丘,魏絳為中軍司馬,公子揚干亂行於曲梁,魏絳斬其僕。公謂羊舌赤曰:「寡人屬諸侯,魏絳戮寡人之弟,為我勿失。」赤對曰:「臣聞絳之志,有事不避難,有罪不避刑,其將來辭。」言終,魏絳至,授僕人書而伏劍。士魴、張老交止之。僕人授公,公讀書曰:「臣誅於揚干,不忘其死。日君乏使,使臣狃中軍之司馬。臣聞師眾以順為武,軍事有死無犯為敬,君合諸侯,臣敢不敬,君不說,請死之。」公跣而出,曰:「寡人之言,兄弟之禮也。子之誅,軍旅之事也,請無重寡人之過。」反役,與之禮食,令之佐新軍。
新字:始合諸侯于虚朾以救宋,使張老延君誉于四方,且観道逆者。呂宣子卒,公以趙文子為文也,而能恤大事,使佐新軍。三年,公始合諸侯。四年,諸侯会于鶏丘,於是乎布命、結援、修好、申盟而還。令狐文子卒,公以魏絳為不犯,使佐新軍。使張老為司馬,使范献子為候奄。公誉達于戎。五年,諸戎来請服,使魏荘子盟之,於是乎始復覇。 四年,会諸侯於鶏丘,魏絳為中軍司馬,公子揚干乱行於曲梁,魏絳斬其僕。公謂羊舌赤曰:「寡人属諸侯,魏絳戮寡人之弟,為我勿失。」赤対曰:「臣聞絳之志,有事不避難,有罪不避刑,其将来辞。」言終,魏絳至,授僕人書而伏剣。士魴、張老交止之。僕人授公,公読書曰:「臣誅於揚干,不忘其死。日君乏使,使臣狃中軍之司馬。臣聞師衆以順為武,軍事有死無犯為敬,君合諸侯,臣敢不敬,君不説,請死之。」公跣而出,曰:「寡人之言,兄弟之礼也。子之誅,軍旅之事也,請無重寡人之過。」反役,与之礼食,令之佐新軍。
書き下し
始めて諸侯を虚朾(きょてい)に合して以て宋を救い、張老をして君の誉れを四方に延(の)べしめ、且つ道(みち)し逆(さか)らう者を観しむ。呂宣子卒す。公趙文子(ちょうぶんし)の文にして、能く大事を恤(うれ)うるを以て、新軍に佐たらしむ。三年、公始めて諸侯を合す。四年、諸侯雞丘(けいきゅう)に会し、是(ここ)に於いてか命を布き、援を結び、好を修め、盟を申(かさ)ねて還る。令狐文子卒す。公魏絳の犯さざるを以て、新軍に佐たらしむ。張老をして司馬たらしめ、范献子(はんけんし)をして候奄(こうえん)たらしむ。公の誉れ戎に達す。五年、諸戎来たりて服せんことを請う。魏荘子をして之に盟わしむ。是に於いてか始めて復た霸たり。 四年、諸侯に雞丘に会す。魏絳中軍の司馬たり。公子揚干(ようかん)行(こう)を曲梁(きょくりょう)に乱す。魏絳其の僕を斬る。公羊舌赤(ようぜつせき)に謂いて曰く、「寡人諸侯を属(あつ)むるに、魏絳寡人の弟を戮(はずかし)む。我が為に失うこと勿かれ」と。赤対えて曰く、「臣聞く、絳の志は、事有れば難を避けず、罪有れば刑を避けず、と。其れ将に来たりて辞せんとす」と。言終わりて、魏絳至る。僕人に書を授けて剣に伏せんとす。士魴(しほう)・張老交々(こもごも)之を止む。僕人公に授く。公書を読むに曰く、「臣揚干に誅(ちゅう)す、其の死を忘れず。日(さき)に君使うに乏しく、臣をして中軍の司馬に狃(な)れしむ。臣聞く、師衆は順を以て武と為し、軍事は死有りて犯す無きを敬と為す、と。君諸侯を合す、臣敢えて敬せざらんや。君説(よろこ)ばずんば、請う之に死せん」と。公跣(はだし)にして出でて、曰く、「寡人の言は、兄弟の礼なり。子の誅は、軍旅の事なり。請う寡人の過ちを重ぬること無かれ」と。役より反(かえ)り、之と礼食し、之をして新軍に佐たらしむ。
現代語訳
悼公ははじめて諸侯を虚朾に集めて宋を救い、張老(晋の大夫)に命じて君の名声を四方に広めさせ、あわせて晋の道に従う者と逆らう者とを見定めさせた。呂宣子が亡くなると、悼公は趙文子(趙武)が教養があり、国の大事を心にかけることができるとして、新軍の副将とした。三年、悼公ははじめて諸侯を会盟させた。四年、諸侯は雞丘に会し、そこで命令を布告し、援助を結び、友好を修め、盟約を重ねて帰った。令狐文子が亡くなると、悼公は魏絳が法を犯さない人物だとして、新軍の副将とした。張老を司馬とし、范献子(士富)を候奄(斥候の長)とした。悼公の名声は戎(異民族)の地にまで届いた。五年、戎の諸部族が来て服属を願い出たので、魏荘子(魏絳)に彼らと盟約を結ばせた。こうして晋はふたたび覇者となった。 四年、雞丘で諸侯と会したとき、魏絳は中軍の司馬であった。悼公の弟の公子揚干が曲梁で隊列を乱したので、魏絳はその御者を斬った。悼公は羊舌赤(羊舌職の子、中軍尉の佐)に言った。「わたしが諸侯を集めているさなかに、魏絳はわたしの弟を辱めた。わたしのために、あの男を取り逃がすな。」羊舌赤は答えた。「わたしが聞くところでは、魏絳の志は、事があれば困難を避けず、罪があれば刑罰を避けない、というものです。きっと自分からやって来て申し開きをするでしょう。」言い終わらないうちに魏絳がやって来て、君の従者に書状を渡し、剣に伏して死のうとした。士魴と張老がかわるがわる押しとどめた。従者が書状を悼公に渡すと、悼公はそれを読んだ。「わたしは揚干どのに刑を加えました。その罪が死に当たることは承知しております。先ごろ君は人手が足りず、わたしを中軍の司馬の職に就かせてくださいました。わたしは、軍勢は命令に従うことを武とし、軍務では死んでも軍令を犯さないことを敬とすると聞いております。君が諸侯を会合させておられるときに、わたしがどうして軍令を敬わずにいられましょう。君がお気に召さないのであれば、どうか死なせてください。」悼公は履物もはかずに飛び出してきて言った。「わたしの言ったことは兄弟の情からのものだ。そなたの処罰は軍の務めである。どうかわたしの過ちを重ねさせないでくれ。」陣から帰ると、悼公は魏絳と礼をもって食事をともにし、新軍の副将に取り立てた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』襄公三年 魏絳、揚干の僕を戮す晉侯の弟揚干、行を曲梁に亂す。魏絳、其の僕を戮す。晉侯怒りて羊舌赤に謂ひて曰く、「諸侯を合するは以て榮と爲すなり。揚干戮せらる、何の辱か之に如かん。必ず魏絳を殺せ。失ふこと無かれ」と。對へて曰く、「絳に貳志無し。君に事へて難を辟けず、罪有れば刑を逃れず。其れ將に來りて辭せんとす。何ぞ命を辱くせん」と。言終はりて、魏絳至る。僕人に書を授け、將に劍に伏せんとす。士魴・張老、之を止む。公、其の書を讀む。曰く、「日(さき)に君、使ひに乏しく、臣をして斯の司馬たらしむ。臣聞く、師眾は順を以て武と爲し、軍事は死有りて犯すこと無きを敬と爲す、と。君、諸侯を合す。臣敢へて敬せざらんや。君の師武ならず、執事敬ならずんば、罪焉より大なるは莫し。臣、其の死の以て揚干に及ばんことを懼る。罪を逃るる所無し。訓を致すこと能はず、鉞を用ゐるに至る。臣の罪重し。敢へて從はずして以て君の心を怒らすこと有らんや。請ふ、歸りて司寇に死せん」と。公、跣(はだし)にして出でて曰く、「寡人の言は、親愛なり。吾子の討は、軍禮なり。寡人に弟有りて、教訓すること能はず、大命を干(おか)さしむ。寡人の過ちなり。子、寡人の過ちを重ぬること無かれ。敢へて以て請ふと爲す」と。晉侯、魏絳を以て能く刑を以て民を佐くと爲す。役より反り、之に禮食を與へ、新軍に佐たらしむ。張老、中軍司馬と爲り、士富、候奄と爲る。楚の司馬公子何忌、陳を侵す。陳叛きし故なり。許の靈公、楚に事へ、雞澤に會せず。冬、晉の知武子、師を帥ゐて許を伐つ。
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国語・晋語七二月乙酉(いつゆう)、公即位す。呂宣子(りょせんし)をして下軍に将たらしめて、曰く、「邲(ひつ)の役に、呂錡(りょき)智荘子(ちそうし)を上軍に佐(たす)け、楚の公子穀臣(こくしん)と連尹(れんいん)襄老(じょうろう)とを獲て、以て子羽(しう)を免れしむ。鄢(えん)の役に、親(みずか)ら楚王を射て楚の師を敗り、以て晋国を定めて後無し。其の子孫崇(たっと)ばざるべからざるなり」と。彘恭子をして新軍に将たらしめて、曰く、「武子の季、文子の母弟なり。武子法を宣べて以て晋国を定め、今に至るまで是れ用う。文子身を勤めて以て諸侯を定め、今に至るまで是れ頼る。夫れ二子の徳、其れ忘るべけんや」と。故に彘季(ていき)を以て其の宗を屏(まも)らしむ。令狐文子(れいこぶんし)をして之を佐けしめて、曰く、「昔潞(ろ)に克つの役に、秦来たりて晋の功を敗らんことを図る。魏顆(ぎか)其の身を以て秦の師を輔氏(ほし)に卻(しりぞ)け退け、親ら杜回(とかい)を止む。其の勲景鍾(けいしょう)に銘せらる。今に至るまで育(そだ)たず、其の子興さざるべからざるなり」と。 君士貞子(していし)の志を帥(したが)え聞を博くして教えに宣恵なるを知るや、太傅たらしむ。右行辛(うこうしん)の能く数を以て物を宣べ功を定むるを知るや、元司空たらしむ。欒糾(らんきゅう)の能く御して以て政に和するを知るや、戎御(じゅうぎょ)たらしむ。荀賓(じゅんひん)の力有りて暴ならざるを知るや、戎右(じゅうゆう)たらしむ。 欒伯(らんぱく)公族大夫を請う。公曰く、「荀家(じゅんか)は惇恵(とんけい)、荀会(じゅんかい)は文敏、黶(えん)や果敢、無忌(むき)は鎮静なり。茲(こ)の四人の者をして之を為さしめん。夫れ膏粱(こうりょう)の性は正し難し。故に惇恵なる者をして之を教えしめ、文敏なる者をして之を導かしめ、果敢なる者をして之を諗(いさ)めしめ、鎮静なる者をして之を修めしむ。惇恵なる者之を教うれば、則ち遍くして倦まず。文敏なる者之を導けば、則ち婉にして入る。果敢なる者之を諗むれば、則ち過ち隠れず。鎮静なる者之を修むれば、則ち壹(いつ)なり」と。茲の四人の者をして公族大夫たらしむ。 公祁奚(きけい)の果にして淫せざるを知るや、元尉たらしむ。羊舌職(ようぜつしょく)の聡敏にして粛給なるを知るや、之を佐けしむ。魏絳(ぎこう)の勇にして乱れざるを知るや、元司馬たらしむ。張老(ちょうろう)の智にして詐らざるを知るや、元候たらしむ。鐸遏寇(たくあつこう)の恭敬にして信彊なるを知るや、輿尉(よい)たらしむ。籍偃(せきえん)の惇にして旧職に帥(したが)い恭給なるを知るや、輿司馬たらしむ。程鄭(ていてい)の端にして淫せず、且つ諫を好みて隠さざるを知るや、賛僕(さんぼく)たらしむ。
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国語・晋語七悼公張老をして卿たらしめんとす。辞して曰く、「臣は魏絳に如かず。夫れ絳の智は能く大官を治め、其の仁は以て公室を利して忘れざるべく、其の勇は刑に疚(や)ましからず、其の学は其の先人の職を廃せず。若し卿位に在らば、外内必ず平らかならん。且つ雞丘の会に、其の官犯さずして辞順(したが)えり。賞せざるべからざるなり」と。公之に五たび命ず。固く辞す。乃ち司馬たらしむ。魏絳をして新軍に佐たらしむ。
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国語・晋語七五年、無終子(むしゅうし)嘉父(かほ)、孟楽(もうらく)をして魏荘子に因(よ)りて虎豹の皮を納れ、以て諸戎を和せしめんとす。公曰く、「戎・狄は親無くして得るを好む。之を伐つに若かず」と。魏絳曰く、「師を戎に労して、諸華を失わば、功有りと雖も、猶獣を得て人を失うがごときなり。安(いずく)んぞ之を用いん。且つ夫れ戎・狄は荐(せん)処(しょ)し、貨を貴びて土を易(かろ)んず。之に貨を予えて其の土を獲るは、其の利一なり。辺鄙の耕農儆(いまし)めざるは、其の利二なり。戎・狄晋に事えて、四隣震動せざる莫きは、其の利三なり。君其れ之を図れ」と。公説(よろこ)ぶ。故に魏絳をして諸戎を撫せしむ。是に於いてか遂に伯(は)たり。
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国語・晋語七十二年、公鄭を伐ち、蕭魚(しょうぎょ)に軍す。鄭伯嘉(か)来たりて女・工・妾三十人、女楽二八(にはち)、歌鍾(かしょう)二肆(にし)、及び宝鎛(ほうはく)、輅車(ろしゃ)十五乗を納る。公魏絳に女楽一八・歌鍾一肆を錫(たま)いて、曰く、「子寡人に教えて戎・狄を和して諸華を正さしむ。今に於いて八年、七たび諸侯を合し、寡人志を得ざること無し。請う子と共に之を楽しまん」と。魏絳辞して曰く、「夫れ戎・狄を和するは、君の幸いなり。八年の中、七たび諸侯を合するは、君の霊なり。二三子の労なり。臣焉(いずく)んぞ之を得ん」と。公曰く、「子微(な)かりせば、寡人以て戎を待つ無く、以て河を済(わた)る無し。二三子何の労かあらん。子其れ之を受けよ」と。君子曰く、「能く善を志(しる)すなり」と。
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史記 晋世家閏月乙卯、厲公匠驪氏に游ぶ。欒書・中行偃其の党を以て厲公を襲捕し、之を囚へ、胥童を殺し、而して人をして公子周を周に迎へしめて之を立てんとす。是を悼公と為す。悼公の元年正月庚申、欒書・中行偃厲公を弑し、之を葬るに一乗の車を以てす。厲公囚はれて六日にして死す。死して十日の庚午、智罃公子周を迎へて来たり、絳に至り、鶏を刑して大夫と盟ひて之を立つ。是を悼公と為す。辛巳、武宮に朝す。二月乙酉、即位す。悼公周は、其の大父捷、晋の襄公の少子なり。立つを得ず。号して桓叔と為す。桓叔最も愛せらる。桓叔恵伯談を生み、談悼公周を生む。周の立つや、年十四なり。悼公曰く、「大父・父皆立つを得ずして難を周に辟け、焉に客死す。寡人自ら疎遠なるを以て、君と為るを幾(ねが)ふこと毋し。今大夫文・襄の意を忘れずして恵みて桓叔の後を立つ。宗廟大夫の霊に頼り、晋の祀を奉ずるを得たり。豈に敢て戦戦たらざらんや。大夫其れ亦た寡人を佐けよ」と。是に於て臣たらざる者七人を逐ひ、旧功を修め、徳恵を施し、文公の入りし時の功臣の後を収む。秋、鄭を伐つ。鄭の師敗る。遂に陳に至る。三年、晋諸侯を会す。悼公群臣の用ふべき者を問ふ。祁傒解狐を挙ぐ。解狐は、傒の仇なり。復た問ふ。其の子祁午を挙ぐ。君子曰く、「祁傒は党せずと謂ふべし。外に挙ぐるに仇を隠さず、内に挙ぐるに子を隠さず」と。方に諸侯を会せんとするに、悼公の弟楊干行を乱す。魏絳其の僕を戮す。悼公怒る。或ひと公を諫む。公卒に絳を賢とし、之に政を任じ、戎を和せしむ。戎大いに親附す。十一年、悼公曰く、「吾魏絳を用ひしより、九たび諸侯を合し、戎・翟を和す。魏子の力なり」と。之に楽を賜ふ。三たび譲りて乃ち之を受く。冬、秦我が櫟を取る。十四年、晋六卿をして諸侯を率ゐて秦を伐たしめ、涇を度り、大いに秦の軍を敗り、棫林に至りて去る。
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