春秋左氏伝 / 襄公三年 魏絳、揚干の僕を戮す
晉侯之弟揚干。亂行於曲梁。魏絳戮其僕。晉侯怒謂羊舌赤曰。合諸侯以為榮也。揚干為戮。何辱如之。必殺魏絳。無失也。對曰。絳無貳志。事君不辟難。有罪不逃刑。其將來辭。何辱命焉。言終。魏絳至。授僕人書。將伏劍。士魴。張老。止之。公讀其書曰。日君乏使。使臣斯司馬。臣聞師眾以順為武。軍事有死無犯為敬。君合諸侯。臣敢不敬。君師不武。執事不敬。罪莫大焉。臣懼其死。以及揚干。無所逃罪。不能致訓。至於用鉞。臣之罪重。敢有不從。以怒君心。請歸死於司寇。公跣而出。曰。寡人之言。親愛也。吾子之討。軍禮也。寡人有弟。弗能教訓。使干大命。寡人之過也。子無重寡人之過。敢以為請。晉侯以魏絳為能。以刑佐民矣。反役。與之禮食。使佐新軍。張老為中軍司馬。士富為候奄。楚司馬公子何忌侵陳。陳叛故也。許靈公事楚。不會于雞澤。冬。晉知武子帥師伐許。
新字:晋侯之弟揚干。乱行於曲梁。魏絳戮其僕。晋侯怒謂羊舌赤曰。合諸侯以為栄也。揚干為戮。何辱如之。必殺魏絳。無失也。対曰。絳無貳志。事君不辟難。有罪不逃刑。其将来辞。何辱命焉。言終。魏絳至。授僕人書。将伏剣。士魴。張老。止之。公読其書曰。日君乏使。使臣斯司馬。臣聞師衆以順為武。軍事有死無犯為敬。君合諸侯。臣敢不敬。君師不武。執事不敬。罪莫大焉。臣懼其死。以及揚干。無所逃罪。不能致訓。至於用鉞。臣之罪重。敢有不従。以怒君心。請帰死於司寇。公跣而出。曰。寡人之言。親愛也。吾子之討。軍礼也。寡人有弟。弗能教訓。使干大命。寡人之過也。子無重寡人之過。敢以為請。晋侯以魏絳為能。以刑佐民矣。反役。与之礼食。使佐新軍。張老為中軍司馬。士富為候奄。楚司馬公子何忌侵陳。陳叛故也。許霊公事楚。不会于鶏沢。冬。晋知武子帥師伐許。
書き下し
晉侯の弟揚干、行を曲梁に亂す。魏絳、其の僕を戮す。晉侯怒りて羊舌赤に謂ひて曰く、「諸侯を合するは以て榮と爲すなり。揚干戮せらる、何の辱か之に如かん。必ず魏絳を殺せ。失ふこと無かれ」と。對へて曰く、「絳に貳志無し。君に事へて難を辟けず、罪有れば刑を逃れず。其れ將に來りて辭せんとす。何ぞ命を辱くせん」と。言終はりて、魏絳至る。僕人に書を授け、將に劍に伏せんとす。士魴・張老、之を止む。公、其の書を讀む。曰く、「日(さき)に君、使ひに乏しく、臣をして斯の司馬たらしむ。臣聞く、師眾は順を以て武と爲し、軍事は死有りて犯すこと無きを敬と爲す、と。君、諸侯を合す。臣敢へて敬せざらんや。君の師武ならず、執事敬ならずんば、罪焉より大なるは莫し。臣、其の死の以て揚干に及ばんことを懼る。罪を逃るる所無し。訓を致すこと能はず、鉞を用ゐるに至る。臣の罪重し。敢へて從はずして以て君の心を怒らすこと有らんや。請ふ、歸りて司寇に死せん」と。公、跣(はだし)にして出でて曰く、「寡人の言は、親愛なり。吾子の討は、軍禮なり。寡人に弟有りて、教訓すること能はず、大命を干(おか)さしむ。寡人の過ちなり。子、寡人の過ちを重ぬること無かれ。敢へて以て請ふと爲す」と。晉侯、魏絳を以て能く刑を以て民を佐くと爲す。役より反り、之に禮食を與へ、新軍に佐たらしむ。張老、中軍司馬と爲り、士富、候奄と爲る。楚の司馬公子何忌、陳を侵す。陳叛きし故なり。許の靈公、楚に事へ、雞澤に會せず。冬、晉の知武子、師を帥ゐて許を伐つ。
現代語訳
晋侯(悼公)の弟の揚干(ようかん)が、曲梁で軍の隊列を乱した。司馬の魏絳(ぎこう)は、揚干の戦車の御者を処刑した。悼公は怒って羊舌赤(ようぜつせき)に言った。「諸侯を集めるのは晋の栄誉を示すためである。それなのに揚干がこのように辱められた。これ以上の恥辱があろうか。必ず魏絳を殺せ。取り逃がすな」。羊舌赤は答えた。「魏絳には二心がありません。君に仕えて困難を避けず、罪があれば刑罰から逃げない男です。きっと自分から来て申し開きをするでしょう。わざわざご命令を下されるまでもありません」。言い終わったとき、魏絳がやって来た。魏絳は君の取次役に書状を渡し、剣に伏して自害しようとした。士魴と張老がそれを止めた。悼公がその書状を読むと、こう書いてあった。「先ごろ君は使える者が足りず、私をこの司馬の職に就けられました。私はこう聞いております。軍勢は命令に従うことを武とし、軍務では死んでも規律を犯さないことを敬とする、と。君は諸侯を集めておられます。私がどうして敬を尽くさずにいられましょう。君の軍に武がなく、役目にある者に敬がなければ、これより大きな罪はありません。私は、処刑が揚干さまご本人に及ぶことを恐れて御者を処刑しましたが、罪から逃れるすべはありません。事前に十分な訓練を行き渡らせることができず、鉞(まさかり)を用いる事態に至りました。私の罪は重うございます。どうして命令に従わずに君のお心を怒らせたままでいられましょう。どうか帰って司寇(司法の長)のもとで死を賜りたく存じます」。悼公は裸足のまま飛び出してきて言った。「わしの言葉は、弟を思う情から出たものだ。そなたの処断は、軍の礼にかなったものだ。わしに弟がいながら教え導くことができず、大切な軍令を犯させてしまった。これはわしの過ちだ。そなたが死んで、わしの過ちを重ねさせないでくれ。あえてお願いする」。悼公は、魏絳が刑罰によって民を正しく導くことのできる人物だと認めた。戦役から帰ると、悼公は魏絳のために礼をもって宴を設け、新軍の副将とした。張老が中軍の司馬となり、士富(しふ)が候奄(斥候の長)となった。楚の司馬公子何忌(かき)が陳を侵した。陳が楚に叛いたからである。許の霊公は楚に仕え、雞沢の会に参加しなかった。冬、晋の知武子(荀罃)が軍を率いて許を討った。
解説
この章句が説くこと
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史記 孟嘗君列伝先生の言を聞く、敢へて教へを奉ぜざらんや」と。
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説苑・尊賢魏の文侯大夫に曲陽に觴す。飲酣にして、文侯喟然として歎じて曰く、「吾独り豫譲以て臣と為す無し」と。蹇重酒を挙げて進みて曰く、「臣請う君に浮せん」と。文侯曰く、「何を以てか」と。対えて曰く、「臣之を聞く、命有るの父母は孝子を知らず、道有るの君は忠臣を知らずと。夫れ豫譲の君は、亦何如なる哉」と。文侯曰く、「善し」と。浮を受けて之を飲み、嚼みて譲らず。曰く、「管仲鮑叔以て臣と為す無きが故に、豫譲の功有るなり」と。趙簡子曰く、「吾范中行氏の良臣を得んと欲す」と。史黶曰く、「安んぞ之を用いんや」と。簡子曰く、「良臣は、人の願う所なり、又何ぞ問わんや」と。曰く、「君以て良臣無きが故なり。夫れ君に事うる者は、過ちを諫めて可を薦め、善を章かにして否を替え、能を献じて賢を進む。朝夕善を誦し、敗るれば之を納れ、聴かるれば則ち進み、否らざれば則ち退く。今范中行氏の良臣は、其の君を匡相する能わずして、難に至らしむ。出でて外に在り、又入る能わず。亡びて之を棄つ、何ぞ良と為さん。若し棄てずんば、君安んぞ之を得ん。夫れ良将は其の君を営みて、其の位に復さしめ、死して而る後に止む、何ぞ来たると曰わんや。若し未だ能わずんば、乃ち良に非ざるなり」と。簡子曰く、「善し」と。
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史記 酈生陸賈列伝酈生食其(れきせいいき)は、陳留高陽の人なり。読書を好み、家貧しく落魄して、以て衣食の業を為す無く、里の監門の吏と為る。然れども県中の賢豪敢へて役せず、県中皆之を狂生と謂ふ。陳勝・項梁等の起こるに及び、諸将の地を徇へて高陽を過ぐる者数十人、酈生其の将皆握齱(あくさく)として苛礼を好み自ら用ひ、大度の言を聴く能はずと聞き、酈生乃ち深く自ら蔵匿す。後に沛公兵を将ゐて地を陳留の郊に略すと聞く。沛公の麾下の騎士、適(たまたま)酈生の里中の子なり、沛公時時邑中の賢士豪俊を問ふ。騎士帰る。酈生見えて之に謂ひて曰く、「吾聞く、沛公は慢にして人を易(あなど)るも、大略多しと。此れ真に吾が従ひて游ばんと願ふ所なり、我が為に先(さきだ)つ莫し。若し沛公に見えなば、謂ひて曰へ、『臣が里中に酈生有り、年六十余、長八尺、人皆之を狂生と謂ふも、生は自ら我は狂生に非ずと謂ふ』と」と。騎士曰く、「沛公は儒を好まず、諸客の儒冠を冠して来たる者あれば、沛公輒ち其の冠を解き、其の中に溲溺(そうでき)す。人と言ふに、常に大いに罵る。未だ儒生を以て説くべからざるなり」と。酈生曰く、「弟(ただ)之を言へ」と。騎士従容として酈生の誡むる所の如く言ふ。沛公高陽の伝舎に至り、人をして酈生を召さしむ。酈生至り、入りて謁す。沛公方に床に倨して両女子をして足を洗はしめ、而して酈生を見る。酈生入り、則ち長揖して拝せず、曰く、「足下は秦を助けて諸侯を攻めんと欲するか。且(はた)諸侯を率ゐて秦を破らんと欲するか」と。沛公罵りて曰く、「豎儒(じゅじゅ)。夫れ天下同じく秦に苦しむこと久し、故に諸侯相率ゐて秦を攻む。何ぞ秦を助けて諸侯を攻むと謂ふや」と。酈生曰く、「必ず徒を聚め義兵を合はせて無道の秦を誅せんとならば、宜しく倨して長者を見るべからず」と。是に於て沛公洗ふを輟め、起ちて衣を摂(ととの)へ、酈生を延きて上坐せしめ、
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尚書・伊訓臣下匡(ただ)さずんば、其の刑は墨、具(つぶさ)に蒙士に訓(をし)ふ。嗚呼(ああ)、嗣王厥(そ)の身を祗(つつし)み、念へや。聖謨洋洋として、嘉言孔(はなは)だ彰(あき)らかなり。惟れ上帝は常ならず、
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『春秋左氏伝』昭公二十八年 小人の腹を以て君子の心と為す冬、梗陽の人獄有り。魏戊斷ずる能はず、獄を以って上る。其の大宗、賂ふに女樂を以ってす。魏子將に之を受けんとす。魏戊、閻沒(えんぼつ)・女寬(じょかん)に謂ひて曰く、「主は賄せざるを以って諸侯に聞こゆ。若し梗陽の人を受けば、賄焉より甚だしきは莫し。吾子必ず諫めよ」と。皆許諾す。朝より退きて庭に待つ。饋(き)入りて之を召す。置くに比(およ)びて三たび歎ず。既に食して坐せしむ。魏子曰く、「吾諸を伯叔に聞く、諺に曰く、『唯だ食のみ憂ひを忘る』と。吾子食を置くの間に三たび歎ずるは、何ぞや」と。辭を同じくして對へて曰く、「或ひと二小人に酒を賜ひ、夕食せず。饋の始めて至るや、其の足らざらんことを恐る。是を以って歎ず。中ば置くに自ら咎めて曰く、『豈に將軍之に食ましむるに、而も足らざる有らんや』と。是を以って再び歎ず。饋の畢(を)はるに及び、願はくは小人の腹を以って、君子の心と為し、屬厭(しょくえん)するのみならんことを」と。獻子、梗陽の人を辭す。
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