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国語 / 晋語四

他日,秦伯將享公子,公子使子犯從。子犯曰:「吾不如衰之文也,請使衰從。」乃使子餘從。秦伯享公子如享國君之禮,子餘相如賓。卒事,秦伯謂其大夫曰:「為禮而不終,恥也。中不勝貌,恥也。華而不實,恥也。不度而施,恥也。施而不濟,恥也。恥門不閉,不可以封。非此,用師則無所矣。二三子敬乎!」 明日宴,秦伯賦《采菽》,子餘使公子降拜。秦伯降辭。子餘曰:「君以天子之命服命重耳,重耳敢有安志,敢不降拜?」成拜卒登,子餘使公子賦《黍苗》。子餘曰:「重耳之仰君也,若黍苗之仰陰雨也。若君實庇廕膏澤之,使能成嘉穀,薦在宗廟,君之力也。君若昭先君之榮,東行濟河,整師以復彊周室,重耳之望也。重耳若獲集德而歸載,使主晉民,成封國,其何實不從。君若恣志以用重耳四方諸侯,其誰不惕惕以從命!」秦伯嘆曰:「是子將有焉,豈專在寡人乎!」秦伯賦《鳩飛》,公子賦《河水》。秦伯賦《六月》,子餘使公子降拜。秦伯降辭。子餘曰:「君稱所以佐天子匡王國者以命重耳,重耳敢有惰心,敢不從德?」

新字:他日,秦伯将享公子,公子使子犯従。子犯曰:「吾不如衰之文也,請使衰従。」乃使子余従。秦伯享公子如享国君之礼,子余相如賓。卒事,秦伯謂其大夫曰:「為礼而不終,恥也。中不勝貌,恥也。華而不実,恥也。不度而施,恥也。施而不済,恥也。恥門不閉,不可以封。非此,用師則無所矣。二三子敬乎!」 明日宴,秦伯賦《采菽》,子余使公子降拝。秦伯降辞。子余曰:「君以天子之命服命重耳,重耳敢有安志,敢不降拝?」成拝卒登,子余使公子賦《黍苗》。子余曰:「重耳之仰君也,若黍苗之仰陰雨也。若君実庇廕膏沢之,使能成嘉穀,薦在宗廟,君之力也。君若昭先君之栄,東行済河,整師以復彊周室,重耳之望也。重耳若獲集徳而帰載,使主晋民,成封国,其何実不従。君若恣志以用重耳四方諸侯,其誰不惕惕以従命!」秦伯嘆曰:「是子将有焉,豈専在寡人乎!」秦伯賦《鳩飛》,公子賦《河水》。秦伯賦《六月》,子余使公子降拝。秦伯降辞。子余曰:「君称所以佐天子匡王国者以命重耳,重耳敢有惰心,敢不従徳?」

書き下し

他日、秦伯将に公子を享(きょう)せんとす。公子子犯をして従わしめんとす。子犯曰く、「吾は衰の文に如かず、請う衰をして従わしめん」と。乃ち子余をして従わしむ。秦伯公子を享すること国君を享するの礼の如し、子余相(しょう)すること賓の如し。事を卒う。秦伯其の大夫に謂いて曰く、「礼を為して終えざるは、恥なり。中貌に勝(かな)わざるは、恥なり。華にして実ならざるは、恥なり。度(はか)らずして施すは、恥なり。施して済(な)さざるは、恥なり。恥の門閉じずんば、以て封ずべからず。此に非ずんば、師を用うるも則ち所無し。二三子敬まんや」と。 明日宴す。秦伯采菽(さいしゅく)を賦す。子余公子をして降拝せしむ。秦伯降りて辞す。子余曰く、「君天子の命服を以て重耳に命ず、重耳敢えて安志有らんや、敢えて降拝せざらんや」と。拝を成し卒りて登る。子余公子をして黍苗(しょびょう)を賦せしむ。子余曰く、「重耳の君を仰ぐや、黍苗の陰雨を仰ぐが若し。若し君実に之を庇廕(ひいん)し膏沢して、能く嘉穀を成し、宗廟に薦在せしめば、君の力なり。君若し先君の栄を昭らかにし、東行して河を済り、師を整えて以て復た周室を彊くせば、重耳の望なり。重耳若し徳を集(な)して帰載(きさい)し、晋の民を主り、封国を成すを獲ば、其れ何ぞ実に従わざらん。君若し志を恣(ほしいまま)にして以て重耳を用いば、四方の諸侯、其れ誰か惕惕(てきてき)として以て命に従わざらん」と。秦伯嘆じて曰く、「是の子将に有たんとす、豈専ら寡人に在らんや」と。秦伯鳩飛(きゅうひ)を賦し、公子河水を賦す。秦伯六月を賦す。子余公子をして降拝せしむ。秦伯降りて辞す。子余曰く、「君天子を佐(たす)け王国を匡(ただ)す所以の者を称して以て重耳に命ず、重耳敢えて惰心有らんや、敢えて徳に従わざらんや」と。

現代語訳

ある日、秦伯(穆公)が公子をもてなす宴を開こうとした。公子は子犯を供に連れていこうとした。子犯は言った。「わたしは衰(趙衰)の文雅に及びません。衰を供にしてください。」そこで子余(趙衰)を供にした。秦伯は国君をもてなすのと同じ礼で公子をもてなし、子余は賓客としての礼にのっとって公子の介添えをした。儀式が終わると、秦伯は大夫たちに言った。「礼を行って最後までやり遂げないのは恥である。内実が外見に釣り合わないのは恥である。華やかでも実がないのは恥である。自分の力をはからずに施すのは恥である。施しても事を成し遂げさせないのは恥である。この五つの恥の門を閉ざさなければ、国を保つことはできない。これができなければ、兵を用いても役に立たない。おまえたち、慎まねばならぬぞ。」 翌日の宴で、秦伯は『采菽』(天子が諸侯に礼服を賜る詩)を歌った。子余は公子に、階を下りて拝礼させた。秦伯も階を下りて辞退した。子余は言った。「君は天子が諸侯に礼服を賜るという詩をもって重耳に命じられました。重耳がどうして安閑としていられましょう。下りて拝礼せずにいられましょうか。」拝礼を終えて堂に上ると、子余は公子に『黍苗』を歌わせた。子余は言った。「重耳が君を仰ぎ見るのは、黍の苗が恵みの雨を仰ぐようなものです。もし君がまことにこれを覆い守り、潤いを与えて、よい穀物を実らせ、宗廟に供えられるようにしてくださるなら、それは君のお力です。君がもし先君の栄誉を明らかにし、東へ進んで黄河を渡り、軍を整えて周室を再び強くなさるなら、それこそ重耳の望むところです。重耳がもし徳を成し遂げて国に帰って祭祀をつかさどり、晋の民を治めて国を立てることができたなら、君に従わないことがありましょうか。君がもし思うままに重耳を用いられるなら、四方の諸侯で、恐れつつしんで命に従わない者がいましょうか。」秦伯は嘆じて言った。「この人は国を得るだろう。それはわたし一人の力によるのではない。」秦伯は『鳩飛』を歌い、公子は『河水』を歌った。秦伯は『六月』を歌った。子余は公子に下りて拝礼させた。秦伯も下りて辞退した。子余は言った。「君は天子を助けて王国を正すという詩をもって重耳に命じられました。重耳がどうして怠る心を持てましょう。その徳に従わずにいられましょうか。」

解説

秦の穆公が重耳を国君と同じ礼でもてなし、翌日の宴で詩を歌い交わす場面である。春秋時代の外交では、『詩経』の詩を歌って意を伝える「賦詩」が行われた。子犯は自ら、文雅では趙衰に及ばないと言って供を譲った。穆公が歌った『采菽』は天子が諸侯に礼服を賜る詩で、趙衰はすかさず重耳を降りて拝させ、国君に任じられたに等しい重みで受けとめてみせた。続く『黍苗』では、苗が雨を仰ぐように秦の助けを仰ぐと述べ、帰国の後には秦の命に従うと約束している。穆公が大夫に語った五つの恥は、礼を途中でやめること、内実が外見に及ばないこと、華やかで実がないこと、力を量らずに施すこと、施して成し遂げさせないことであった。『春秋左氏伝』僖公二十三年も、重耳が『河水』を、穆公が『六月』を歌い、趙衰が拝礼を促したと記す。言葉の力で後ろ盾を固めた趙衰の働きは大きい。自分より適任の者に役を譲った子犯の判断も見逃せない。

この章句が説くこと

国語晋語賦詩趙衰秦

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