国語 / 晋語二
穆公問冀芮曰:「公子誰恃於晉?」對曰:「臣聞之,亡人無黨,有黨必有讎。夷吾之少也,不好弄戲,不過所復,怒不及色,及其長也弗改。故出亡無怨於國,而眾安之。不然,夷吾不佞,其誰能恃乎?」君子曰:「善以微勸也。」
新字:穆公問冀芮曰:「公子誰恃於晋?」対曰:「臣聞之,亡人無党,有党必有讎。夷吾之少也,不好弄戯,不過所復,怒不及色,及其長也弗改。故出亡無怨於国,而衆安之。不然,夷吾不佞,其誰能恃乎?」君子曰:「善以微勧也。」
書き下し
穆公冀芮に問いて曰く、「公子誰をか晋に恃(たの)む」と。対えて曰く、「臣之を聞く、亡人は党無し、党有れば必ず讎(あだ)有り。夷吾の少(わか)きや、弄戯を好まず、復する所を過ぎず、怒り色に及ばず。其の長ずるに及びても改めず。故に出亡して国に怨み無く、衆之に安んず。然らずんば、夷吾は不佞(ふねい)なり、其れ誰か能く恃まんや」と。君子曰く、「善く微を以て勧むるなり」と。
現代語訳
秦の穆公が冀芮(夷吾に従う晋の大夫)に尋ねた。「公子は晋で誰を頼りにしているのか」。冀芮は答えた。「私はこう聞いております。亡命の身には徒党がありません。徒党があれば必ず仇もできるからです。夷吾は幼いころから遊び戯れることを好まず、度を越した振る舞いをせず、怒っても顔色に出しませんでした。大人になってもそれは変わりません。ですから国外に逃れても国内に怨む者はなく、人々も夷吾なら安心しています。そうでなければ、夷吾には才もありませんのに、いったい誰を頼りにできましょう」。君子は言った。「冀芮は、それとなく秦を頼りにしていると匂わせて、穆公を上手に勧めた」。
解説
秦が夷吾を晋君に立てると決めた後の短い問答である。穆公は、夷吾が晋の国内で誰を頼みにしているのかを冀芮に尋ねた。冀芮は、亡命者に徒党はない、徒党があれば仇もできると答え、夷吾は幼いころから遊びを好まず、度を越さず、怒りを顔に出さない人柄なので、国内に怨む者がいないと言った。そして最後に、そうでなければ才のない夷吾が誰を頼れようかと結ぶ。韋昭注によれば、これは国内に頼る者がいない以上、頼りは秦だけだと言外に告げたものである。君子が「微を以て勧む」と評したのは、穆公の自負をくすぐりつつ、支援を引き出した言葉の巧みさを指す。ただし夷吾は恵公となってから約束を破り、怨みを買っていく。正面から頼まずに相手の役割を浮かび上がらせる、言い方の妙を示す章である。
この章句が説くこと
国語晋語弁舌冀芮亡命
関連する章句
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国語・晋語二呂甥(りょせい)及び郤称(げきしょう)も亦蒲城午(ほじょうご)をして、公子夷吾に梁に告げしめて曰く、「子厚く秦人に賂(まいない)して以て入らんことを求めよ。吾子に主たらん」と。夷吾冀芮に告げて曰く、「呂甥我を納れんと欲す」と。冀芮曰く、「子之を勉めよ。国乱れ民擾れ、大夫常無し、失うべからざるなり。乱に非ずんば何ぞ入らん。危うきに非ずんば何ぞ安んぜん。幸いに苟も君の子なり、唯だ其れ之を索(もと)むるなり。方(まさ)に乱れて以て擾る、孰か適(まさ)に我を禦(ふせ)がん。大夫常無し、苟も衆の置く所ならば、孰か能く従うこと勿からん。子盍ぞ国を尽くして以て外内に賂し、虚しきを愛(お)しむこと無くして以て入らんことを求めざる。既に入りて後に聚むることを図れ」と。公子夷吾出でて使者に見え、再拝稽首して許諾す。 呂甥出でて大夫に告げて曰く、「君死して自ら立つるは則ち敢えてせず。久しければ則ち諸侯の謀りて、径(ただ)ちに君を外に召さんことを恐る。則ち民各々心有りて、乱を厚くせんことを恐る。盍ぞ君を秦に請わざる」と。大夫許諾す。乃ち梁由靡(りょうゆうび)をして秦の穆公に告げしめて曰く、「天禍を晋国に降し、讒言繁く興り、延(ひ)いて寡君の紹続(しょうぞく)昆裔(こんえい)に及び、隠悼(いんとう)播越(はえつ)して、草莽に託し、未だ依る所有らず。又之に重ぬるに寡君の不禄を以てし、喪乱並びに臻(いた)る。君の霊を以て、鬼神衷(ちゅう)を降し、罪人克(よ)く其の辜(つみ)に伏す。群臣敢えて寧処(ねいしょ)する莫く、将に君の命を待たんとす。君若し社稷を恵顧し、先君の好を忘れず、辱(かたじけな)くも其の逋遷(ほせん)の裔冑(えいちゅう)を収めて之を建立し、以て其の祭祀を主(つかさど)らしめ、且つ其の国家及び其の民人を鎮撫せば、四隣の諸侯の之を聞くと雖も、其れ誰か君の威に儆懼(けいく)して、君の徳に欣喜せざらん。君の重愛を終え、君の重貺(ちょうきょう)を受けて、群臣其の大徳を受けば、晋国其れ誰か君の群隷臣に非ざらんや」と。
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国語・晋語二公子縶退き、公子夷吾を梁に弔うこと、公子重耳を弔うの命の如くす。夷吾冀芮に告げて曰く、「秦人我を勤(たす)く」と。冀芮曰く、「公子之を勉めよ。亡人は狷潔(けんけつ)無し、狷潔なれば行われず。重賂もて徳に配せよ。公子之を尽くせ、財を愛しむこと無かれ。人実に之を有するに、我以て徼倖す、亦可ならずや」と。公子夷吾出でて使者に見え、再拝稽首し、起ちて哭せず、退きて公子縶に私して曰く、「中大夫里克我に与(くみ)せり。吾之に命ずるに汾陽(ふんよう)の田百万を以てす。丕鄭我に与せり。吾之に命ずるに負蔡(ふさい)の田七十万を以てす。君苟も我を輔けば、天命を蔑(な)みせん。亡人苟も入りて宗廟を掃い、社稷を定めば、亡人何ぞ国をこれ有らん。君実に郡県有り、且つ河外の列城五を入れん。豈に君に有ること無しと謂わんや、亦君の東游して津梁の上に、難急有ること無からしめんが為なり。亡人の懐挟(かいきょう)する所の纓纕(えいじょう)、以て君の塵垢を望む者なり。黄金四十鎰(いつ)、白玉の珩(こう)六双、敢えて公子に当てず、請う之を左右に納れん」と。 公子縶反り、命を穆公に致す。穆公曰く、「吾は公子重耳に与せん。重耳は仁なり。再拝して稽首せざるは、後と為ることに没(むさぼ)らざるなり。起ちて哭するは、其の父を愛するなり。退きて私せざるは、利に没らざるなり」と。公子縶曰く、「君の言過てり。君若し晋君を置きて之を載(な)さんことを求めば、仁を置くこと亦可ならずや。君若し晋君を置きて以て名を天下に成さんことを求めば、則ち不仁を置きて以て其の中を猾(みだ)し、且つ以て進退すべきに如かず。臣之を聞く、曰く、『仁にも置くこと有り、武にも置くこと有り。仁は徳を置き、武は服を置く』と」。是の故に先ず公子夷吾を置く、寔(これ)を恵公と為す。
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国語・晋語二二十二年、公子重耳出亡し、柏谷(はくこく)に及び、斉・楚に適(ゆ)かんことを卜す。狐偃(こえん)曰く、「卜すること無かれ。夫れ斉・楚は道遠くして望(のぞみ)大なり、困しみて以て往くべからず。道遠ければ通じ難く、望大なれば走(はし)り難し。困しみて往けば悔い多し。困しみて且つ悔い多ければ、以て望に走るべからず。若し偃の慮(おもんぱか)りを以てせば、其れ狄か。夫れ狄は晋に近くして通ぜず、愚陋にして怨み多し、之に走らば達し易し。通ぜざれば以て悪を竄(かく)すべく、怨み多ければ与(とも)に憂いを共にすべし。今若し憂いを狄に休め、以て晋国を観、且つ以て諸侯の為す所を監(み)ば、其れ成らざる無けん」と。乃ち遂に狄に之(ゆ)く。 処ること一年、公子夷吾も亦出奔し、曰く、「盍(なん)ぞ吾が兄に従いて狄に竄れざる」と。冀芮(きぜい)曰く、「不可なり。後れて出でて同じく走らば、罪を免れず。且つ夫れ偕(とも)に出でて偕に入るは難く、聚まり居りて情を異にするは悪(あ)し。梁に走るに若かず。梁は秦に近く、秦は吾が君に親しむ。吾が君老いたり。子往かば、驪姫懼れて、必ず秦に援けを求めん。吾が存するを以て、且つ必ず悔いを告げん。是れ吾が免るるなり」と。乃ち遂に梁に之く。居ること二年、驪姫奄楚(えんそ)をして環(かん)を以て言を釈かしむ。四年にして、復(かえ)りて君と為る。
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国語・晋語二秦の穆公許諾す。使者を反(かえ)し、乃ち大夫子明(しめい)及び公孫枝(こうそんし)を召して曰く、「夫れ晋国の乱、吾誰をか先んぜしめて、夫(か)の二公子に若(ゆ)きて之を立てしめん。以て朝夕の急と為す」と。大夫子明曰く、「君縶(ちつ)を使わせ。縶は敏にして且つ礼を知り、敬にして以て微を知る。敏なれば能く謀を竄(ひそ)め、礼を知れば使いすべし。敬なれば命を墜とさず、微なれば可否を知る。君其れ之を使わせ」と。 乃ち公子縶をして公子重耳を狄に弔わしめて曰く、「寡君縶をして公子の憂いを弔わしむ、又之に重ぬるに喪を以てす。寡人之を聞く、国を得るは常に喪に於いてし、国を失うは常に喪に於いてすと。時は失うべからず、喪は久しくすべからず。公子其れ之を図れ」と。重耳舅犯に告ぐ。舅犯曰く、「不可なり。亡人は親無し、信と仁とを以て親と為す。是の故に之を置く者殆(あや)うからず。父死して堂に在るに利を求めば、人孰か我を仁とせん。人実に之を有するに、我以て徼倖(ぎょうこう)せば、人孰か我を信とせん。不仁不信にして、将た何を以て長く利あらん」と。公子重耳出でて使者に見えて曰く、「君亡臣を恵弔し、又重ねて命有り。重耳身亡(に)げ、父死して哭泣の位に与るを得ず、又何ぞ敢えて他志有りて以て君の義を辱めん」と。再拝して稽首せず、起ちて哭し、退きて私せず。
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『春秋左氏伝』僖公九年・十年 唯だ則、国を定む齊侯諸侯の師を以て晉を伐ち、高梁に及びて還る、晉の亂を討つなり。令魯に及ばず、故に書せず。晉の郤芮夷吾をして重く秦に賂ひて以て入らんことを求めしめて曰く、「人實に國を有つ、我何ぞ愛まん。入りて能く民あらば、土於て何か有らん」と。之に從ふ。齊の隰朋師を帥ゐて秦の師に會し、晉の惠公を納る。秦伯郤芮に謂ひて曰く、「公子は誰をか恃む」と。對へて曰く、「臣聞く、亡人は黨無し、黨有らば必ず讎有り、と。夷吾は弱くして弄を好まず、能く鬥ひて過ぎず、長じても亦た改めず、其の他を識らず」と。公公孫枝に謂ひて曰く、「夷吾其れ定まらんか」と。對へて曰く、「臣之を聞く、唯だ則のみ國を定む、と。《詩》に曰く、『識らず知らず、帝の則に順ふ』とは、文王の謂なり。又曰く、『僭らず賊はず、則と為らざるは鮮し』とは、好無く惡無く、忌まず克たざるの謂なり。今其の言忌克多し、難いかな」と。公曰く、「忌めば則ち怨多し、又焉んぞ能く克たん。是れ吾が利なり」と。宋の襄公位に即き、公子目夷を以て仁と為し、左師と為して以て政を聽かしむ、是に於いて宋治まる。故に魚氏世々左師と為る。十年春、狄溫を滅ぼす、蘇子信無ければなり。蘇子王に叛きて狄に即き、又狄に能くせず、狄人之を伐つ、王救はず、故に滅ぶ。蘇子衛に奔る。
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国語・晋語三公秦に在ること三月、秦の将に成(たいら)がんとするを聞き、乃ち郤乞(げききつ)をして呂甥に告げしむ。呂甥之に言を教え、国人を朝に令せしめて曰く、「君乞をして二三子に告げしめて曰く、『秦将に寡人を帰さんとす。寡人以て社稷を辱むるに足らず。二三子其れ改め置きて以て圉に代えよ』と」。且つ賞して以て衆を悦ばしむ。衆皆哭す。焉(ここ)に轅田(えんでん)を作る。 呂甥衆を致して之に告げて曰く、「吾が君慚(は)じて其の亡を之れ卹(うれ)えずして、群臣を是れ憂う、亦恵ならずや。君猶外に在り、若何」と。衆曰く、「何を為さば可ならん」と。呂甥曰く、「韓の病を以て、兵甲尽きたり。若し征繕(せいぜん)して以て孺子を輔け、以て君の援けと為さば、四隣の之を聞くと雖も、君を喪うも君有り、群臣輯睦(しゅうぼく)し、兵甲益々多く、我を好む者は勧み、我を悪む者は懼れん。庶(こいねが)わくは益有らんか」と。衆皆説ぶ。焉に州兵を作る。 呂甥君を秦に逆(むか)う。穆公之に訊いて曰く、「晋国和するか」と。対えて曰く、「和せず」と。公曰く、「何の故ぞ」と。対えて曰く、「其の小人は其の君の罪を念わずして、其の父兄子弟の死喪する者を悼み、征繕を憚らずして以て孺子を立て、曰く、『必ず讎に報いん。吾寧ろ斉・楚に事えん、斉・楚又交(こもごも)之を輔けん』と。其の君子は其の君を思い、且つ其の罪を知りて、曰く、『必ず秦に事えん、死有るも他無し』と。故に和せず。其の和するに比(およ)びて来たる、故に久し」と。公曰く、「而(なんじ)来たること無くとも、吾固より将に君を帰さんとす。国君を何とか謂う」と。対えて曰く、「小人は免れずと曰い、君子は則ち否とす」と。公曰く、「何の故ぞ」と。対えて曰く、「小人は忌みて思わず、其の君に従いて与に秦に報いんことを願う、是の故に云う。其の君子は則ち否として、曰く、『吾が君の入るや、君の恵みなり。能く之を納れ、能く之を執らえ、則ち能く之を釈す。徳焉より厚きは莫く、恵焉より大なるは莫し。納れて遂げず、廃して起こさず、徳を以て怨みと為す、君其れ然らざらん』と」。秦君曰く、「然り」と。乃ち晋君を改館し、七牢(しちろう)を饋(おく)る。
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