国語 / 斉語
正月之朝,五屬大夫復事。桓公擇是寡功者而謫之,曰:「制地、分民如一,何故獨寡功?教不善則政不治,一再則宥,三則不赦。」桓公又親問焉,曰:「於子之屬,有居處為義好學、慈孝於父母、聰慧質仁、發聞於鄉里者,有則以告。有而不以告,謂之蔽明,其罪五。」有司已於事而竣。桓公又問焉,曰:「於子之屬,有拳勇股肱之力秀出於眾者,有則以告。有而不以告,謂之蔽賢,其罪五。」有司已於事而竣。桓公又問焉,曰:「於子之屬,有不慈孝於父母、不長悌於鄉里、驕躁淫暴、不用上令者,有則以告。有而不以告,謂之下比,其罪五。」有司已於事而竣。五屬大夫於是退而修屬,屬退而修縣,縣退而修鄉,鄉退而修卒,卒退而修邑,邑退而修家。是故匹夫有善,可得而舉也;匹夫有不善,可得而誅也。政既成矣,以守則固,以征則彊。
新字:正月之朝,五属大夫復事。桓公択是寡功者而謫之,曰:「制地、分民如一,何故独寡功?教不善則政不治,一再則宥,三則不赦。」桓公又親問焉,曰:「於子之属,有居処為義好学、慈孝於父母、聰慧質仁、発聞於郷里者,有則以告。有而不以告,謂之蔽明,其罪五。」有司已於事而竣。桓公又問焉,曰:「於子之属,有拳勇股肱之力秀出於衆者,有則以告。有而不以告,謂之蔽賢,其罪五。」有司已於事而竣。桓公又問焉,曰:「於子之属,有不慈孝於父母、不長悌於郷里、驕躁淫暴、不用上令者,有則以告。有而不以告,謂之下比,其罪五。」有司已於事而竣。五属大夫於是退而修属,属退而修県,県退而修郷,郷退而修卒,卒退而修邑,邑退而修家。是故匹夫有善,可得而舉也;匹夫有不善,可得而誅也。政既成矣,以守則固,以征則彊。
書き下し
正月の朝、五属の大夫事を復す。桓公是の功寡(すく)なき者を択びて之を謫(せ)めて曰く、「地を制し民を分かつこと一の如し。何の故に独り功寡なき。教え善からざれば則ち政治まらず。一再は則ち宥(ゆる)し、三たびは則ち赦さず」と。桓公又親ら焉に問いて曰く、「子の属に於いて、居処義を為し学を好み、父母に慈孝、聡慧質仁にして、郷里に発聞する者有らば、有れば則ち以て告げよ。有りて以て告げずんば、之を明を蔽うと謂い、其の罪五」と。有司已に事において竣う。桓公又焉に問いて曰く、「子の属に於いて、拳勇股肱の力の衆に秀出する者有らば、有れば則ち以て告げよ。有りて以て告げずんば、之を賢を蔽うと謂い、其の罪五」と。有司已に事において竣う。桓公又焉に問いて曰く、「子の属に於いて、父母に慈孝ならず、郷里に長悌ならず、驕躁淫暴にして、上の令を用いざる者有らば、有れば則ち以て告げよ。有りて以て告げずんば、之を下比と謂い、其の罪五」と。有司已に事において竣う。五属の大夫是に於いて退きて属を修め、属退きて県を修め、県退きて郷を修め、郷退きて卒を修め、卒退きて邑を修め、邑退きて家を修む。是の故に匹夫に善有らば、得て挙ぐべきなり。匹夫に不善有らば、得て誅すべきなり。政既に成れり。以て守れば則ち固く、以て征すれば則ち彊し。
現代語訳
正月の朝廷の会で、五つの属の大夫が一年の務めを報告した。桓公は、そのなかで成果の少ない者を選び出して責めた。「土地を区切り民を分け与えた条件は、どの属も同じである。どうしてお前だけ成果が少ないのか。教化がうまくいかなければ政治は治まらない。一度、二度なら許すが、三度目は許さない。」桓公はまたみずから問うて言った。「あなたの属に、ふだんの暮らしで義を行い学問を好み、父母に孝行を尽くし、聡明で誠実で思いやりがあり、その評判が郷里に知れ渡っている者がいれば、いるなら報告せよ。いるのに報告しなければ、それを『明を蔽う』と呼び、その罪は五刑にあたる。」役人がこの務めを果たしたところで、この問いは終わった。桓公はまた問うて言った。「あなたの属に、腕っぷしが強く手足の力が人並みはずれて抜きん出た者がいれば、いるなら報告せよ。いるのに報告しなければ、それを『賢を蔽う』と呼び、その罪は五刑にあたる。」役人がこの務めを果たしたところで、この問いは終わった。桓公はさらに問うて言った。「あなたの属に、父母に孝行せず、郷里の年長者に従わず、驕って騒ぎ立て、みだりに乱暴し、お上の命令に従わない者がいれば、いるなら報告せよ。いるのに報告しなければ、それを『下比』と呼び、その罪は五刑にあたる。」役人がこの務めを果たしたところで、この問いは終わった。そこで五属の大夫は退いて属を整え、属の役人は退いて県を整え、県は退いて郷を整え、郷は退いて卒を整え、卒は退いて邑を整え、邑は退いて家を整えた。こうして一人の平民に善い行いがあれば見つけて取り立てることができ、悪い行いがあれば見つけて罰することができた。政治はできあがった。これで守れば堅く、攻めれば強かった。
解説
この章句が説くこと
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