国語 / 魯語下
虢之會,楚公子圍二人執戈先焉。蔡公孫歸生與鄭罕虎見叔孫穆子,穆子曰:「楚公子甚美,不大夫矣,抑君也。」鄭子皮曰:「有執戈之前,吾惑之。」蔡子家曰:「楚,大國也;公子圍,其令尹也。有執戈之前,不亦可乎?」穆子曰:「不然。天子有虎賁,習武訓也;諸侯有旅賁,禦災害也;大夫有貳車,備承事也;士有陪乘,告奔走也。今大夫而設諸侯之服,有其心矣。若無其心,而敢設服以見諸侯之大夫乎?將不入矣。夫服,心之文也。如龜焉,灼其中,必文於外。若楚公子不為君,必死,不合諸侯矣。」公子圍反,殺郟敖而代之。
新字:虢之会,楚公子囲二人執戈先焉。蔡公孫帰生与鄭罕虎見叔孫穆子,穆子曰:「楚公子甚美,不大夫矣,抑君也。」鄭子皮曰:「有執戈之前,吾惑之。」蔡子家曰:「楚,大国也;公子囲,其令尹也。有執戈之前,不亦可乎?」穆子曰:「不然。天子有虎賁,習武訓也;諸侯有旅賁,禦災害也;大夫有貳車,備承事也;士有陪乗,告奔走也。今大夫而設諸侯之服,有其心矣。若無其心,而敢設服以見諸侯之大夫乎?将不入矣。夫服,心之文也。如亀焉,灼其中,必文於外。若楚公子不為君,必死,不合諸侯矣。」公子囲反,殺郟敖而代之。
書き下し
虢(かく)の会に、楚の公子囲(い)、二人をして戈を執りて焉(これ)に先だたしむ。蔡の公孫帰生(こうそんきせい)と鄭の罕虎(かんこ)と叔孫穆子に見ゆ。穆子曰く、「楚の公子甚だ美なり。大夫ならず、抑々君なり」と。鄭の子皮曰く、「戈を執るの前なる有り。吾之に惑う」と。蔡の子家曰く、「楚は大国なり。公子囲は其の令尹なり。戈を執るの前なる有るも、亦た可ならずや」と。穆子曰く、「然らず。天子に虎賁(こほん)有りて、武訓を習う。諸侯に旅賁(りょほん)有りて、災害を禦ぐ。大夫に貳車(じしゃ)有りて、承事に備う。士に陪乗有りて、奔走を告ぐ。今、大夫にして諸侯の服を設く。其の心有り。若し其の心無くんば、敢えて服を設けて以て諸侯の大夫に見えんや。将に入らざらんとす。夫れ服は心の文なり。亀の如し。其の中を灼けば、必ず外に文(あや)あり。若し楚の公子君と為らずんば、必ず死せん。諸侯に合せざらん」と。公子囲反り、郟敖(こうごう)を殺して之に代わる。
現代語訳
虢の会盟のとき、楚の公子囲(楚の令尹、のちの霊王)は、戈を持った二人の兵を自分の前に立てて先導させていた。蔡の公孫帰生(字は子家)と鄭の罕虎(字は子皮)が叔孫穆子(魯の卿)に会うと、穆子は言った。「楚の公子はまことに立派ないでたちだ。大夫というより、まるで君主だ」。鄭の子皮は言った。「戈を持った者を前に立てているのが、私には腑に落ちない」。蔡の子家は言った。「楚は大国で、公子囲はその令尹(宰相)だ。戈を持った者を前に立てても、差し支えないのではないか」。穆子は言った。「そうではない。天子には虎賁(近衛の勇士)がいて、武の教えを習わせる。諸侯には旅賁(護衛の兵)がいて、災いを防ぐ。大夫には予備の車があって、用事に備える。士には陪乗の者がいて、使い走りを知らせる。いま大夫の身でありながら諸侯の装いを整えているのは、その心があるからだ。もしその心がないなら、どうして諸侯の装いを整えて諸侯の大夫に会えよう。この人はもう臣下の位には戻るまい。装いというものは心のあらわれである。亀の甲羅のようなもので、中を焼けば必ず外にひびの模様が出る。もし楚の公子が君主にならなければ、必ず死ぬだろう。二度と諸侯の会に臨むことはあるまい」。公子囲は帰国すると、楚王の郟敖を殺してとって代わった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公元年 言を以て物を知る三月、甲辰、盟ふ。楚の公子圍服を設け衛を離ぬ。叔孫穆子曰く、「楚の公子美なり、君なるかな」と。鄭の子皮曰く、「二執戈の者前めり」と。蔡の子家曰く、「蒲宮に前有り、亦た可ならずや」と。楚の伯州犁曰く、「此の行や、辭して之を寡君に假れり」と。鄭の行人揮曰く、「假りて反さざらん」と。伯州犁曰く、「子姑く子皙の背誕せんと欲するを憂へよ」と。子羽曰く、「當璧猶ほ在り。假りて反さずとも、子其れ憂ひ無からんや」と。齊の國子曰く、「吾二子に代りて愍ふ」と。陳の公子招曰く、「憂へずんば何ぞ成らん。二子樂しめり」と。衛の齊子曰く、「苟くも或いは之を知らば、憂ふと雖も何ぞ害あらん」と。宋の合左師曰く、「大國令し、小國共す。吾共するを知るのみ」と。晉の樂王鮒曰く、「小旻の卒章善し。吾之に從はん」と。會より退く。子羽子皮に謂ひて曰く、「叔孫は絞にして婉、宋の左師は簡にして禮、樂王鮒は字しみて敬す。子と子家とは之を持す。皆保世の主なり。齊・衛・陳の大夫は、其れ免れざらんか。國子は人に代りて憂ひ、子招は憂ひを樂しみ、齊子は憂ふと雖も害せずとす。夫れ及ばずして憂ふると、憂ふべくして樂しむと、憂へて害せずとするとは、皆憂ひを取るの道なり。憂ひ必ず之に及ばん。大誓に曰く、『民の欲する所は、天必ず之に從ふ』と。三大夫憂ひを兆す、能く至ること無からんや。言以て物を知るとは、其れ是の謂なり」と。
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国語・晋語八虢(かく)の会に、魯人言を食(は)む。楚の令尹囲(い)将に魯の叔孫穆子を以て戮(りく)と為さんとす。楽王鮒(がくおうふ)貨を焉(これ)に求むるも予えず。趙文子叔孫に謂いて曰く、「夫れ楚の令尹は楚に欲有り、諸侯に少しく懦(だ)なり。諸侯の故は、之を治むるを求めて、之を致すを求めず。其の人と為りや、剛にして寵を尚(たっと)ぶ。若し及ばば、必ず避けざらん。子盍(なん)ぞ之を逃れざる。不幸にして、必ず子に及ばん」と。対えて曰く、「豹や命を君に受けて、以て諸侯の盟に従うは、社稷の為なり。若し魯に罪有りて、盟を受くる者逃れば、必ず免れず。是れ吾出でて之を危うくするなり。若し諸侯の戮と為らば、魯の誅尽きん。必ず師を加えざらん。請う戮と為らん。夫れ戮の身より出づるは実に難し。他より之に及ぶは何の害かあらん。苟(いやしく)も以て君を安んじ国を利すべくんば、美悪一心なり」と。 文子将に之を楚に請わんとす。楽王鮒曰く、「諸侯盟有りて未だ退かざるに、魯之に背く。安(いずく)んぞ斉盟を用いん。縦(たと)い討つ能わずとも、又其の盟を受くる者を免さば、晋何を以てか盟主と為らん。必ず叔孫豹を殺せ」と。文子曰く、「人有り死を以て其の国を安利するを難しとせず、愛さざるべけんや。若し皆国を卹(うれ)うること是くの如くならば、則ち大は威を喪わずして、小は陵(しの)がれず。若し是の道や果たして、以て教訓すべくんば、何の国を敗ることか之れ有らん。吾之を聞く、曰く、『善人患いに在りて、救わざれば祥(さち)ならず。悪人位に在りて、去らざるも亦祥ならず』と。必ず叔孫を免さん」と。固く楚に請いて之を免す。
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国語・魯語下虢の会に、諸侯の大夫盟を尋(あたた)めて未だ退かず。季武子莒を伐ちて鄆(うん)を取る。莒人会に告ぐ。楚人将に叔孫穆子を以て戮と為さんとす。晋の楽王鮒(がくおうふ)、貨を穆子に求めて曰く、「吾子の為に楚に請わん」と。穆子予えず。梁其踁(りょうきけい)穆子に謂いて曰く、「貨有るは、以て身を衛(まも)るなり。貨を出だして免るべくんば、子何ぞ愛(お)しまん」と。穆子曰く、「女の知る所に非ざるなり。君命を承けて以て大事に会し、而して国に罪有るに、我貨を以て私に免れなば、是れ我吾が私を会するなり。苟(いやしく)も是の如くんば、則ち又た貨を出だして私欲を成すべけんや。免るべしと雖も、吾其れ諸侯の事を若何(いかん)せん。夫れ必ず将に之に循う或らんとして、曰わん、『諸侯の卿に然る者有るが故なり』と。則ち我身を安んぜんことを求めて諸侯の法と為らん。君子是を以て作(な)すことを患う。作して衷(ちゅう)ならざれば、将に之に道(よ)る或らん。是れ其の不衷を昭らかにするなり。余は貨を愛しむに非ず。不衷を悪(にく)むなり。且つ罪は我に由るに非ず。戮と為るも何の害かあらん」と。楚人乃ち之を赦す。 穆子帰る。武子之を労(ねぎら)う。日中まで出でず。其の人曰く、「以て出づべし」と。穆子曰く、「吾戮と為るを難しとせざるは、吾が棟を養うなり。夫れ棟折るれば榱(たるき)崩る。吾圧(お)されんことを懼る。故に曰く、外に死すと雖も、宗を内に庇わば可なり、と。今既に大恥を免れて、小忿を忍びずんば、以て能と為すべけんや」と。乃ち出でて之に見ゆ。
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『春秋左氏伝』昭公元年 公子囲、王を弑す楚の公子圍、公子黑肱・伯州犁をして犨・櫟・郟に城(きづ)かしむ。鄭人懼る。子產曰く、「害あらず。令尹將に大事を行はんとして、先づ二子を除くなり。禍鄭に及ばず、何ぞ患へん」と。冬、楚の公子圍將に鄭に聘せんとし、伍舉介と為る。未だ竟を出でざるに、王疾有りと聞きて還る。伍舉遂に聘す。十一月、己酉、公子圍至り、入りて王の疾を問ひ、縊りて之を弒す。遂に其の二子幕及び平夏を殺す。右尹子干晉に出奔し、宮廄尹子皙鄭に出奔す。大宰伯州犁を郟に殺す。王を郟に葬り、之を郟敖と謂ふ。使をして鄭に赴げしむ。伍舉後と為るの辭を應(いか)にせんと問ふ。對へて曰く、「寡大夫圍」と。伍舉之を更めて曰く、「共王の子圍を長と為す」と。子干晉に奔る、從車五乘。叔向秦の公子と食を同じくせしめ、皆百人の餼なり。趙文子曰く、「秦の公子は富めり」と。叔向曰く、「祿を底(さだ)むるには德を以ってし、德鈞(ひと)しければ年を以ってし、年同じければ尊を以ってす。公子は國を以ってし、富を以ってするを聞かず。且つ夫れ千乘を以って其の國を去る、彊禦已に甚だし。詩に曰く、『鰥寡を侮らず、彊禦を畏れず』と。秦・楚は匹なり」と。后子をして子干と齒せしむ。辭して曰く、「鍼は選めらるるを懼れ、楚の公子は獲られず、是を以って皆來る。亦た唯だ命のままなり。且つ臣と羇と齒するは、乃ち不可なること無からんや。史佚言へる有りて曰く、『羇に非ずんば何ぞ忌まん』と」。
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『長短経』察相斉の崔杼、師を帥いて我を伐つ。公之を患う。孟公綽曰く「崔子将に大志有らんとす。我を病ましむるに在らず。必ず速やかに帰らん。何をか患えんや。其の来るや冦せず、人を使うこと厳ならず、他日に異なる」と。斉の師、徒らに帰る。果たして荘公を弑す。晋・楚、諸侯を会して盟う。楚の公子囲、服を設けて衛を離る。魯の大夫叔孫穆子曰く「楚の公子は美なり、君なる哉」と。杜預曰く、君の服を設けたるなりと。此の年、子囲は位を簒う。衛の孫文子来聘す。君登れば亦た登る。叔孫穆子趨り進みて曰く「諸侯の会、寡君は未だ嘗て衛君に後れず。今、吾子は寡君に後れず。未だ過つ所を知らず。吾子其れ少しく安んぜよ」と。孫子は辞する無く、亦た悛むる容無し。穆叔曰く「孫子は必ず亡びん。臣と為りて君たり、過ちて悛めざるは、亡びの本なり」と。後十四年、林父は君を逐う。
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『春秋左氏伝』昭公元年 叔孫、帯を与へず季武子莒を伐ち、鄆を取る。莒人會に告ぐ。楚晉に告げて曰く、「盟を尋ねて未だ退かざるに、魯莒を伐ち、齊盟を瀆す。請ふ其の使を戮せん」と。樂桓子趙文子に相たり。貨を叔孫に求めんと欲して、之が為に請ふ。帶を請はしむるも與へず。梁其脛曰く、「貨は以て身を藩る。子何ぞ愛しむや」と。叔孫曰く、「諸侯の會は、社稷を衛るなり。我貨を以て免れば、魯必ず師を受けん。是れ之に禍するなり。何の衛ることか之を為さん。人の牆有るは、以て惡を蔽ふなり。牆の隙壞るるは、誰の咎ぞや。衛りて之を惡しくせば、吾又焉より甚だし。季孫を怨むと雖も、魯國何の罪かあらん。叔出でて季處るは、自りて來る有り。吾又誰をか怨みん。然れども鮒や賄なり。與へずんば已まざらん」と。使者を召し、裳帛を裂きて之に與へて曰く、「帶は其れ褊し」と。趙孟之を聞きて曰く、「患ひに臨みて國を忘れざるは、忠なり。難を思ひて官を越えざるは、信なり。國を圖りて死を忘るるは、貞なり。謀るに三者を主とするは、義なり。是の四者有り、又戮すべけんや」と。乃ち諸を楚に請ひて曰く、「魯罪有りと雖も、其の執事は難を辟けず。
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